インタビュー調査の常識・都市伝説のウソを暴く~「反論できない声の大きな人の発生」=本来のグルインでは各自の発言量は違うのが当たり前、態度が変わるのも当たり前・・・
グループインタビューについて言われることの一つに「各出席者の発言量は平準化されなければならない」というものがあります。そして「モデーレーター」の役割はその名の通り発言量を平準化するのが役割だとされていることもあります。
しかしこれまた都市伝説です。
集団化したグループによって自由に話し合いが行われたとすると、必ずオピニオンリーダー的な役割を演ずる人と、フォロワー的な役割を演ずる人とに分かれます。すなわち、もっぱら話し役に回る人ともっぱら聞き役に回る人がいるということです。なぜならばそれらの役割は集団の中での相対的な力学関係によるものだからです。むしろそのように役割が分かれることこそがグループが集団(一つの社会・コミュニティと)となって機能している証拠であるということすら言えるのです。すなわちグループダイナミクスが発生している状態です。
つまり、出席者の発言量はそれぞれに差があることが当然であるということになります。極論を言うと一人の出席者が他のすべての出席者が言いたいこと・言えることを代弁しているのならそれはそれで構わないのです。本来その調査で得られる情報はすべてその一人から得られているということだからです。
従って、モデレーター=インタビュアーの役割は発言量を物理的に平準化することではなく、聞き役に回っている人に対して、聞いた話に対して同意なのか不同意なのかを確認しつつ、不同意の場合にはその具体的な内容を話してもらうことを促すことで発言内容=発言の種類、即ち情報量を増やすことにあります。リスニングでは「まだ発言されていない方は今までのお話をお聴きになっていてどうお感じなのかをお聞かせください」とアプローチするのがこの場合の常套手段です。
発言量を物理的に平準化しようという発想もこれまたインタビュー=アスキングの認識からきているものと考えられます。アスキングでは個別指名の一問一答が行われます。すなわち、発言者と設問のマトリクスによって、セルごとに発言が記録されていくわけですから、回答しない対象者や、回答されない質問ができてしまうことが問題だと捉えられてしまうわけです。しかし、同じ内容の発言のセルが複数あっても定性調査ではウエイト付けは行えませんから結局調査としての価値は高まらず、無理にセルを埋めることには何の意味もないわけです。
しかし、というか、故にというか、ある出席者の「声が大きい」ことによって他の出席者が「言いたいことが言えない」状態に陥ることは問題です。本来聴取できたはずの別の情報が得られないことになるからです。
この「声が大きい」とはどういうことかを考えてみますと主には二種類の原因が考えられます。一つは「正義」や「常識」を振りかざす場合です。すなわち「タテマエ」です。タテマエには誰も面と向かって反論はできないわけです。もう一つは高い「専門知識」を振りかざす場合です。これも広義にはタテマエですが専門知識を持つプロや専門家にはやはり反論できません。特に後者の場合、他の「一般」の人たちへの「声の大きさ」には顕著なものがあります。それに対して一般人はあえて反論しようという勇気は持ちませんから「そうですね、私もそう『ある”べき”』だと思います。」と反応するでしょう。まさに「タテマエ」(べき論)で反応するわけです。タテマエに「引っ張られ」タテマエが連鎖拡大するのです。
この問題への根本的な対策は下図のようにアスキングや人間工学的なフローにしないこととリクルート時に専門家が混在しないように配慮することです。しかしよほど注意しておかないと「思いがけず」専門家が混在してしまうことがあります。例えば、主婦の食のテーマにおいて、今は専業主婦なのだが管理栄養士の資格を持つ人や、かつてその仕事をしていた人が混在してしまうようなことです。このような事態も事前の「シミュレーション」を念入りに行ってリクルート条件を設定していれば防ぐことはできます。そのためには、当然ですがリクルートの前にすでにインタビューの中で聴きたいことが検討されている必要があるということことです。多くの場合、その順番が逆になっているのではないでしょうか?これも常識のウソ、都市伝説のたぐいです。
このように対象者の「質」をグループダイナミクスが発生しやすいように「上下関係」や「噛み合わない関係」を避けるコントロールをする観点を集団心理学の専門用語を用いて「類似性」の確保と呼んでいます。
しかし、仮にこの問題が起きたとしても熟練したインタビュアーによるリスニングなら致命的な問題にはなりません。「今のような専門家の見方に対して他の人の本音はどうか話し合ってみてください。」とコントロールすれば、一般人の側の中でグループダイナミクスが発生し「一般人の見方」を顕在化させることができるからです。平たく言うと「一般人の数の力」で専門家的見方に対抗することになります。
そうすることによりタテマエとホンネの構造が捉えられ、この問題をかえって情報を深めるように利用することもできます。
しかしアスキングの場合には対象者間は基本的に分断されていますから、各対象者の発言のターンでは各対象者個別にその専門的見方に対抗しなければならないことになり、上記のようにタテマエに流されやすくなるわけです。そしてタテマエ発言がさらにタテマエ発言を呼ぶわけです。そのような場合にオーディエンスは「声の大きな人に引っ張られた」という感覚、印象を持つわけです。こういったインタビューは「当たり前の話」に終始しますから聞いていて面白くありませんし発見もありません。
ここでまたまた別の都市伝説が発生するのですが、このようなアスキングの場合の固有の問題を取り上げて「グルインは『声の大きな人に引っ張られる』ので役に立たない」とする議論があります。確かにアスキングでタテマエに流されることでタテマエ発言しか得られないことは問題です。それ故にモデレーターが「他の方の意見は無視してあなたの意見を聞かせて下さい」と要望することすら発生します。しかしそれなら初めからグループインタビューをする意味はないわけです。それは「集団個別インタビュー」とでも呼ぶべき本来のグループインタビューとは別物のまがい物です。そうなるのは個別指名の一問一答式であるからに他なりません。すなわちその「まがい物」が横行しているわけです。
本来グループダイナミクスが発生するということはある人の発言によってモノの見方が変わったり、潜在していたことを思い出したりするということです。例えば、ある商品の評価において当初は全体にネガティブな雰囲気だったものが、ある時ある人が「でもこんな場合には役立ちます」と発言をした途端に「そういえば私にもそんな経験があった」と他の人が思い出し、全体にポジティブな雰囲気に激変するということがあります。これは専門的には「態度変容」と呼ばれる現象でグループダイナミクスの発生しているグループインタビューの醍醐味と言えるものです。それは、その態度変容を引き出した発言内容にこそ、マーケティングの核心的な情報が含まれていることがわかるからです。この例で言うと、それまで欲しいと思っていなかった人が欲しいと思うように態度変容するような情報であるということです。
この場合にも表層的にはその人の発言に他の出席者が「引っ張られた」ということに解釈されがちなのですが、むしろその「引っ張られる」現象を利用してマーケティング上の重要な情報を得ようとするのがグループインタビューであるということです。その「引っ張られる」ことこそがグループダイナミクスなのです。そして「引っ張られる」ことは現実の市場の中では普通に起きることです。つまり「引っ張られる」ことを否定していたのでは市場で起きる現実を無視することになるわけです。それは市場における消費者行動のメカニズムを解き明かせないということに他なりません。
故にグループインタビュー調査においては「非同意を表明すること」と同時に「引っ張られる」こともむしろ促進しつつ、一方で「タテマエには引っ張られない」対策さえすれば、グループダイナミクスの大きな果実を得ることができるわけです。そしてそのためには基本的にリスニングでなければならないわけです。
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