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「私ってペラいな」と感じたら(私の思考矯正)

みなさんは、自分のルーツを考えたことがありますか?

私は、父が他界してから自分のルーツについてよく考えるようになりました。自分が「イマココ」に存在することを、きちんと受け止めて生きていきたいと思うからです。


これまでの人類の歴史は、正しいことばかりではありませんでした。
数々の争いや裁きを繰り返すなかで、間違った判断もあれば、良かれと思ったことが失敗に終わることもありました。
埋もれてしまっている価値も、たくさんあるはずです。

「歴史」という単位で私自身を考えると果てしないように思えるけれど、自分のルーツ、つまり私をこの世に送り出してくれた道筋をたどることはできそうな気がします。


想像してみます。
父、母、祖父母たち。
そしてその周りで時を共有した人たちや時代の流れ。

昔では考えられなかった「今できること」。
昔は当たり前に存在していた「なくしてしまった習慣」。

そんなことを思い浮かべると、私が立つ“イマココ”を支えているのは、「あの時」を生きた人たちの息づかいなのだと感じます。
と同時に「自分を大切にしなければいけないな」、「自分をさげすんではいけないな」という気持ちが湧いてきます。


未来を見ることは大切。
けれど、まだ生きていなかった自分へとつながる過去の時間を考えることも、とても大事なのです。

自分に弱々しさを感じた時、私はこれらを考えるようにしています。


■ 今回の記事に関連したおすすめ本

文庫本。単行本タイトルは『デジデリオラビリンス』

『前世への冒険』(森下典子 著)

自分の前世をたどるためにイタリアへ向かうという、ノンフィクションエッセイです。占い師に前世を告げられ、最初は半信半疑だった著者が疑いながらも情報を集め、その真実を突き止めていくという実話。

「前世」というテーマは少し特別な空気に包まれるけれど、自分を形作る過去をたどるという点では、どこか今回の内容とも通じるところがあるように思います。


■ 大丈夫、大丈夫

父が他界した日から、私のルーツを考える時間が始まりました。
その流れの中で感じるのは、「過去が私を見守っている」という安心感と、その先へと私が結び目となってつながっていく役割感です。

(人は自由に放たれるより、ほどよく期待値を持って責務を課される方が生きる喜びがあると思います。)

過去に守られているから、これからの私もきっと大丈夫。

波風立てず普通に暮らしていても、心が折れそうになったり、ままならないこともあるけれど、こんなことを思いながら自分を大切にして、また一歩進んでいきたいと思います。




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