書くほどに、誰にも真似できない言葉になる
どうしても眠れなくて夜中にグーグルを旅していると、フィンランド在住の日本の女の子のブログが目に入った。
親の仕事の都合でフィンランドにいるのか、それとも留学生なのか、その辺はわからないけれど、若さのあるとてもハツラツとした文章が印象的だった。
軽い気持ちで読み進んでみる。
さらっと1時間弱で読み終わる小さなブログは、特別なひねりもなく読みやすい。
けれど、そこにはフィンランドの空気があった。
読者に伝えたい、というよりも、筆者が本当に楽しんで有意義にすごしている時間を、彼女自身がひとつひとつ置いて確かめるように語られている。
その誠実さが、読んでいるこちらに現地の風景を連れてきているのだと思った。
良い文章とは、文法や語彙力ではない。
どれだけ読者をそこへ導けるか、なのだ。
20代の頃から、一度は訪れたいと思っているフィンランド。
もっともっと行きたくなった。
彼女の、フィンランドをこんな風に伝えられる屈託のない文章は、誰にでも書けるわけじゃない。
でも、それは誰にでもきっとある。
自分だけが持つ言葉の並びを、誰もがそれぞれのペン先に持っているのだ。
きっとそれは、書いているうちに見えてくるもの。
書くほどに、見えない景色が少しずつ形を持ちはじめる。
そうしてそれは、いつしか『自分の言葉』になる。