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救われたのは「頑張れ」じゃない言葉

子供はね、ごはんを食べる時、愛情も一緒に食べるのよ。
だから他の家事はおろそかにしてもいいから、ごはんだけは自分で作ってあげて。

これは、深見じゅんさんの『ぽっかぽか』に出てくる言葉です。
何気なく読んだその一文が、ある日の私に響きました。


息子が重度の食物アレルギーと診断されたのは、1歳未満(乳児)のとき。
「これから離乳食を始めるぞ」と意気込んでいた矢先のことでした。

当時はまだ、アレルギーへの理解が浅かった時代です。
右も左もわからないアレルギーの世界で、気をつけても気をつけても何かを食べさせるたびに出てくるアレルギー症状、ひどい時はアナフィラキシー。
ついには、何を食べさせていいのかわからず、安心のおにぎりばかりの日も続きました。

スーパーの空気で症状が出ることもあります。
(アレルゲンの空気に触れたのです)

お友達と手をつないだだけで反応が起きる。
(朝食で食べたジャムやバターが、まだ手についていたのかな)

ソースもドレッシングもだめ
粉類も限られたもの
油もきまったものだけ
コンタミネーション(原料には入っていなくても、製造過程で混入してしまうこと。同じラインで作られると、よくあることです)にも大きく反応。

小さな体を守るため、日々の食事、買えば手軽に安くすんでしまう調味料も、ひとつひとつに細心の注意を払う暮らしに、私も疲れがきていました。

「外食したいな…」
「たまにはラクしてもいいんじゃないかな」
「レトルト簡単でいいな」
「冷食使えたらいいな」

そんな邪念(と当時は思っていました)が頭をよぎります。
その度に、「私は親なのに」「私がこういう体質にしてしまったかもしれないのに、ラクをしたがっているのか、私は・・・」と、よく自分を責めていました。


そんなときでした。冒頭の言葉です。

ごはんを食べる時、愛情も一緒に食べるのよ。

この言葉を知り、ハッとしたのでした。

「この子がアレルギーだから、私はちゃんと“お母さんらしいこと”をできているんだ。この子がいなかったら、忙しいのを理由にラクすることばかり求めていたかもしれない。」(*)

そう思えたとき、何年も抱えていた罪悪感が少しずつ消えていくのを感じました。言葉のチカラが作用したのです。

あのときこの言葉を拾えてよかった。
自分の心にとまってくれてよかった。

短冊に願いごと(2015年)


身の回りには、きっとたくさんの“頓服薬”のような言葉が隠れています。
ただ、それに気づけていないだけで。

だから私は、日々、大きな網を張れる日常でありたいと思うのです。
大漁じゃなくても、わずかでも心にかかるひとつの言葉を大切にしたい。

それはきっと、未来の私を助けてくれる大事な支えになると信じています☆

12cmを履いていた息子は、今では27.5cmに。大きくなりました。



(*)
子育ては、無理せずラクをしていいと思います。ママやパパが心身を崩してしまうことが一番大変です。
私の場合、マックやファミレスに気軽に行ける親子が羨ましくて、かなり自分を追い込んでいました。
そんな当時の気持ちが、この文章の背景にあります。
もし、表現に不足や語弊がありましたらお許しください🙏


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