見出し画像

中国と香港と、「怀旧」と「懷舊」と、他文化への尊重と

こんなツイートを見かけました。とある映画館が、上映の際に出すドリンクセットに関する告知をしたが、それを取り下げることにした、という内容です。

なぜ、キャンペーンを取り下げる必要があったのでしょうか。そこには、以下のような流れがあったようです。

・映画館が展開しようとしていたのは「七人樂隊」という、香港を代表する7人の映画監督によるオムニバス映画のコラボドリンクセット

・そのセットの名前は「怀旧的(ノスタルジック)香港ドリンクセット」

・しかしこの「怀旧」というのは簡体字での表記であり、香港で通常使われる繁体字ではないことへの違和感を述べる人が現れる(炎上というレベルではなく、ちらほらと出現した程度)

・さらに、このドリンク自体が康師傅という台湾発(現在はほとんど大陸中国企業化しているようですが)の大手食品メーカーによるものであることにも、違和感の声が上がる

・そうした声を受け、映画館側は謝罪のうえで同内容のセットを販売しないことを決定

こんな感じです。

何がダメだったのか

中華圏に詳しくない人のために、香港の言語と文字について少し説明しておきます(知っている人は、しばらく読み飛ばしても問題ありません)。

香港は中国のなかでも「特別行政区」という特殊な土地であり、言語的にも中国(大陸)とは差異があります。

法律上では、香港の公用語は「中国語」と「英語」とされています。しかし、香港で現実に公用語として使用されているのは、大陸中国で標準的に用いられている普通話(Mandarin)ではなく、地域特有の言語である広東語(Cantonese)です。そして、両者は発音などの面において大きく異なっています。

そして前述のように、文字にも差異があります。大陸中国では近代以降、長らく簡体字と呼ばれる簡略化された文字を使用しているのに対し、香港では簡略化されていない、昔ながらの繁体字が使用されています(厳密には繁体字を簡略化したものが簡体字とは言えないようですが、わかりやすさ優先のためにこのような表現にしています)。両者には共通の文字もあれど、表記が違うものはまったくといっていいほど違います。

ピンとこない人は、こちらの動画を見るといいと思います。表記や発音において、広東語と普通話が大きく異なっていることがわかります。

冒頭の件で言うと、「ノスタルジック」を表す「怀旧huai jiu」という単語は、香港での言語習慣にならうのであれば、繁体字で懷舊waai gauと表記するのが適切であろう、ということがいえます。

この点について反応や指摘が多くあり、当の映画館はキャンペーンをいったん取り下げることになった、というわけです。

前置きが長くなってしまいましたが、以下にはこの件に関する私見を述べてみたいと思います。

さすがにこれは……

個人的にはあんまりこういう間違いとか、うっかりミスに目くじらを立てたくないほうではあるのですが、大陸中国と香港を多少は知るものとして、「うーん、これはさすがにダメかなぁ」という感想です。いくらなんでも、ちょっと雑すぎです。

日本に置き換えて考えてみましょう。どこかの外国で東京を舞台にした日本映画が上映されるとして、それに付随するキャンペーンの名前が「おおきに(OOKINI)セット」とかだったとしたら、いやそれはちょっとアカンのでは? 日本とか東京についてちゃんと調べたの? と言われてもしょうがないでしょう。

ドリンクに関しても、なんでわざわざそれ? という感じです。康師傅が「中国で人気のレモンティー」というのは間違いないのですが、香港を象徴するものとして提示するには、かなりズレていると言わざるを得ません。

これもたとえるなら、「東京名物」として「551の豚まん」を挙げるようなものです(関西人以外に伝わるのだろうか)。そりゃ外国から見たら同じ「日本」というくくりかもしれませんが、東京の人からすれば「そりゃないだろ」と思うでしょう。

そもそも、香港には「維他」(VITA)という大衆のソウルドリンクそのものみたいな紙パックのレモンティーがあるのに、なんでそっちにしなかったかなあ……というのが、多少なりとも香港を知るものとしての素直な感想です。

ましてや、いま扱っているのは香港というカルチャーをこれでもかと象徴するような映画なわけで、また大陸中国の影響が強まる昨今、このタイミングで公開されることに大きな意味のあるもののように見えます。

ならば映画館側として、これに関するキャンペーンを展開する程度に「乗っかる」のであれば、もう少しちゃんと調べたり、当事者の意見を(映画の配給元とかに)聞いたりしたほうがよかっただろうな、とは思います。

とはいえ、あまり責める気にならない2つの理由

と、ボコボコに言っておいてなんなのですが、いっぽうでこの件をあんまり悪し様に言ったり、「他文化を尊重できないのはダメ!」「勉強不足!」と斬り捨てるようなこともあんまりするべきではないよな、と思う理由が2つほどあります。

ここから先は

1,635字
この記事のみ ¥ 300
期間限定!PayPayで支払うと抽選でお得

いただいたサポートは貴重な日本円収入として、日本経済に還元する所存です。