「俺たちの中国」はそこにある
先日、中国・アジアのIT関係を主戦場としており、近年は日本国内で異国体験ができるガチ外国飯屋の開拓でも知られるライターの山谷剛史さんが会いにきてくださいました。
普通、中国に日本人が来たとなればそれなりに気を遣って小綺麗なところに連れて行ったり、「地元の人が行くようなところに行きたいな〜」と言われて本当に「地元の人が行くようなところ」に行くと、なぜか拒否られたり怒られたりするというバグが発生しがちです。
しかし、そこは「ガチ」である山谷さんのこと、まったく気を遣わずに普通の日本人なら顔をしかめるであろうところに飯を食いに行きました。通りがかりで入ったその店は、僕の住む東莞市の、高速鉄道の中心駅の周辺にある食堂でした。
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地下鉄とは違い、中国の高速鉄道駅は人里離れたところに急に現れたりすることが多いのですが、僕のところでもそれは例外ではありません。草っ原の中に突然そびえ立つ駅を出て周辺を歩くと、そこにはコンクリート打ちっぱなしの道々に広がる工場群と、その隙間に息を潜めて存在しているような下町がありました。その中に立ち並ぶ店のひとつに、僕らは入りました。
おそらくは、周辺の工場の従業員がさっと昼食を食いにくるような店なのでしょう。こういう場所の労働者は地元民というより遠方から出稼ぎに来ている人が多いので、もはや「地元の人が来る店」ですらありません。
今時は飲食店ではほぼマストのQRコードでの注文もなく、耳が遠そうな店員のおばあちゃんに何度も「你好!点餐!」と大声で叫び、ようやく振り向いたおばあちゃんがまた別の人(おそらく息子)を呼んでくるという、手間のかかるスタイルです。
物価上昇著しいいまの中国で、ひとつのメニューは高くても20元(≒420円)。ご飯もスープもおかわり無料。僕たちは2品を頼んで、会計はたったの27元(≒570円)でした。
出てきたものの素朴かつ強い味付けもさることながら、ご飯の盛られている量とそのステンレスの器に、なんともいえないノスタルジーを感じました。中国に来たばかりのころはこういう店にばかり行っては腹を壊したりしていましたが、いつしかこういう店に行くことも少なくなってしまいました。久々にこういうところに来たなあ。
ちなみに山谷さんにも大変満足していただいたようで、「俺たちの中国ってこういうことなんだよ」と興奮気味に話しておられました。僕も同じ気持ちでした。
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その後、ほどほどの時間で解散し、家に帰って嫁に写真を見せながら「こんな店に行ったよ」と言ったのですが、嫁の反応は「久しぶりに会う友達なのに、なんでわざわざそんなところに行くの」というものでした。
いまの中国の都市には、先進国並みに整備された華々しい街並みだってたくさんあります。もちろん、小綺麗で洒落たレストランだっていくらでもあります。たしかに僕らの行った食堂は、そういった「すでに華々しい中国」からは完全に取り残された場所で、中国の人々からすれば、外国人がわざわざ行くところではないのでしょう。
そうでなくても中国の人々は、そうした自分たちの誇りから外れた「中国」に人々が注目することをよしとせず、むしろ隠そうとします。嫁の反応には、そうした「望まない中国」の姿をわざわざ見に行こうとする外国人への違和感、嫌悪感も含まれていたのかもしれません。
でも、嫁ないし中国の人々には悪いけど、山谷さんもそういったように、そういう中国の人々がひた隠しにしようとする「中国」こそ、「俺たちの中国」だと思ってしまうところもあるんですよね。
むしろ、「華々しい中国」なんていうのはいまも一握りで、大多数が僕らが見て回ったような姿をしているのではないかとさえ思います。僕の住む東莞市は「新一線城市」と言われる、発展度ランキングで言えば上位15位以内には入る場所ですが、そこにだって「俺たちの中国」は残されているわけで。
たぶん僕は、これからもメディアが映し出す「華やかな中国」でも、逆に恣意的に切り取られた「危険な/恐ろしい/地獄のような中国」でもなく、その中間にこそあるなんでもない大多数の風景こそを「俺たちの中国」として、取り上げていくことになるのではないかと思います。
それは単に自分の「中国にはこうあってほしい」という執着の押し付けかもしれないし、誰の望むことではないのかもしれないけど、なぜだか自分の使命はそんなことのような気がしてならないのです。
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というわけで、これからもすぐそばにある「俺たちの中国」の話をこのマガジンに書いていければと思います。これからもよろしくお願いします。
「俺たちの中国」に乾杯。ではまた。
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