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自分で書いた下手くそ日本語 vs. まるごと機械翻訳の日本語の話

今日は思い出話です。

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昔、日本語教育関係のお仕事を手伝っていた時のことです。

中国のとある日本語学校の生徒(留学希望者)が書いた、日本の大学院に提出する研究計画書の添削をお願いされました。もちろん中身は日本語です。

その日は2つの計画書が回ってきたのですが、この2つがまあ対照的でして。

1つは、正直言って日本語がダメダメでした。中国語の表現がそのまま残っていたり(「さまざまな国の人」と書くべきところを不同bu tongの国の人」としてたりとか)、「会議参加する」のように基本的な「てにおは」が間違っていたりとか、中国の日本語学習初級者がよくやる間違いをふんだんに含んだものでした。読んでもまったく意味がわからないので、中国語の原文をもらわないと添削できないほどでした。

反面、中国語版を読むと研究内容自体は面白く、ユニークなものでした。詳しい内容は書けませんが、中国の少数民族にかかわるもので、しかも日本の視点から研究することに意義のありそうなものでした。

もう1つは、少し不自然な表現を含むものの、おおむね綺麗な日本語で書かれていました。文法的なエラーがほぼなく、すぐに読み通すことができました。添削するところもほぼありません。

ただ、「ちょっと綺麗すぎないか?」とも思いました。日本語学校に通う学習者が書くものとしては、あまりにソツがないと感じたのです。

そこで、これも中国語の原文をもらい、試しに当時話題になり始めたばかりのDeepLで翻訳してみたところ、ほぼ同じ内容の文章が出力されました。そう、まるごと機械翻訳にかけただけだったのです。僕はDeepLの性能に感心しつつも、さすがにこれは楽しすぎでは? と思いました。

しかも、ここで僕に中国語の原文を送ってくれた日本語学校のスタッフ(この人は日本語ができない)がさらにあることを教えてくれました。「この研究計画書、全く同じものを見たことがあります」というのです。

そう、その生徒が出してきた研究計画書は日本語が機械翻訳だったばかりでなく、元となる中国語の内容そのものも、どこかからパクってきた(友達か誰かのものを丸写ししたか、あるいはネットに出回ってるものか)ものだったのです。同じ大学に出す人はいないからバレないだろうと踏んだのでしょうが、にしてもちょっと浅はかです。

そんなわけで、コメントに困る2つの研究計画書を見たのでした。

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今日、この話を思い出して書いたのは、読者のみなさんと考えてみたくなったからです。

「日本語はダメダメだけど自分で書いたとわかる、ユニークな内容の研究計画書」と、「内容は丸パクリ、翻訳も機械翻訳、自分ではほぼ手を動かさず書いた研究計画書」のうち、みなさんはどちらが価値が高いと思いますか?

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