「ただしさ」が人々を追いつめる国(御田寺圭「ただしさに殺されないために」読書感想文)

白饅頭こと御田寺圭さんの新刊「ただしさに殺されないために」を読みました。

白饅頭マガジン購読罪に続いて、白饅頭書籍購入・閲読罪が罪状に追加されました。きっと末代まで罪に問われることでしょう。

冗談はさておき、著者の白饅頭さんがマガジンでいつも論じられているような社会批評をさらにソリッドにしたものという印象で、読み手の背中に鋭いものを突きつけてくるような迫力に満ちた本でした。最後まで読むのは辛いが、それでもこれに目を通しておかなければいけない、という気持ちにさせる何かを感じました。

そこから僕が受け取ったメッセージは、「このクソみたいな社会を作っているのは、俺たち自身だ」ということです。あらゆる疎外にほとんど自覚もないまま同意し、その結果として息苦しい社会をつくる共犯者となっていることを、美辞麗句で誤魔化さずに受け止めなければならない。そんなことを思いました。

僕のショボい言語化能力ではこの程度の表現しかできないので、興味がある方はぜひご自身でお読みになっていただければと思います。

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ところで、この本にはちょうど僕の住む中国に触れている部分が出てきます。

そもそも西欧民主的な意味での「自由」が存在しない国である中国と対比して、いま特に「リベラル」とされる人が「よい多様性」と「悪い多様性」を線引きし、「社会的に望ましくない」表現や活動にこぞって制限を加えようとすることの危険性に、著者は警鐘を鳴らしています。

誰もが自由であることについてまわる不快感や、「愚かな他者」に足を引っ張られることに耐えられなくなった「リベラル」な人々が、民主的な手続きをすっ飛ばして平気で他者の自由に制限を加えようとしている光景には、あまりにも身勝手な、人間が持つある種の残酷さ(著者の言うところの「素直な人間性の輝きの発露」)が浮かび上がります。

そして、そのように「自分にとって許しがたい他者の自由」に制限を加えようとしたものの帰結は、権力者にすべてを明け渡してしまうような未来です。「悪いから」「不快だから」「ただしくないから」という理由で容易に他者に制限をかける社会では、最終的に誰しもにその排除や制限の矛先が向いてくるだろう——と。

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これは、中国で起こっていることそのものではないか、と思います。たとえば、まさに新型コロナウイルスのパンデミックで起きたことはその典型です。

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