【1】集中力の研究:「集中を研究する」とは。
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前回↓
「集中を研究する」とは何をすることか
これから、私の「集中」について研究する上で前提となることを書いておきたい。
それは何をすれば「集中を研究する」ことになるのかということ。
前回「研究目的」として上のようなことを書いていた。
つまり、「集中するためにはどうすればいいのか」と「集中できない時はどんな時か」を見つけるというのが目的。
では、「集中するための方法」を見つけるためにはどうすればいいだろうか。
まず大前提として、「集中している状態」と「集中できない状態」の区別をしておかないといけない。
つまり、改善されるべき状態と目指すべき状態がどんな状態なのかということを明確にしておくこと。
その上で、「集中できない状態」の時、どんな対策をすれば「集中している状態」に入ることができるかということを見つけていくことになる。
ここで押さえておきたいことは、問題なのは「集中できる状態」ではなくて「集中できない状態」の方であるということ。
そんなの当たり前じゃん、と思うかもしれないけれど意外と忘れがちなことで、いくら「集中している状態」を調べても「していない→している」への流れはみつけられない。
「集中できない状態」の時にどんなことをすれば集中できるのか。
どんな刺激に「集中できない状態」はどんな反応を示すのかということが問題になるということだ。
あと、「集中している状態」を考えるのはあまり面白くない。
それは「集中している状態」は一つしかないから。
「集中している状態」は「集中している状態」であって、それ以外の何物でもない。
これもそんなの当たり前じゃん、と思われるかもしれないけれど「集中できない状態」を考えるとよくわかる。
「集中できない状態」は色々ある。
ゲームにハマってしまっていてそちらが気になるとか。
締め切りが近過ぎて逆に集中できないとか。
そもそもなぜか文字が入ってこないとか。
「集中できない状態」は多様性で溢れている。
だから、こちらを研究した方が断然面白い。
つまり、「集中を研究する」とは「集中できない状態」を研究するということになる。
「集中できない状態」に何らかの刺激を与えることで「集中している状態」に持っていく。
「どんなことをすればできない→しているを作れるのか」
あるいは、「集中できない状態」の時はどんな身体状況なのか。どんな感覚が「集中できない状態」と言われている状態なのか。
こういうことを明らかにしていきたい。
「集中」とはどんな状態か
というわけで、まずは大前提の「集中している状態」と「集中できない状態」がそれぞれどんな状態なのかということを今わかっている範囲で書いてみる。
まず、「集中している状態」について。
例えば本を読んでいるとき、集中して読めている時には文字を読んでいる感覚はほとんどない。文字がイメージとしてそのまま頭に入ってくる。周りのものは見えていない。本の中に入っているともいえるかもしれない。
そいういう時には、周りは静かでどんどんどこかに潜っているような感覚がある。
簡単に書くとこういう感じ。一言でまとめてしまうと、「没頭」「ゾーン」的なものだろうか。
「集中できない」とはどんな状態か
では、次に「集中できない状態」について。
この状態は「ソワソワしている」という表現が自分の中ではしっくりくる。他の人がどうなのか知らないけれど、とにかく「ソワソワしている」。
これは、Twitterを見てしまって時間が過ぎている、とか、YouTubeを見て時間が過ぎてしまっている、みたいな時も一緒で、ソワソワしてしまってとにかくジャンクなものを摂取せずにはいられない感覚。
座っているのも辛いのでうろうろしてしまう。
あるいは、おもむろに外へ出て走り出すこともある。
今わかっていることは、集中の研究はこの「ソワソワ」の研究だということ。
そして、ここでのポイントは「Twitterを見てしまう」「Youtubeを見てしまう」「ジャンクなものを口に入れつづけてしまう」という現象は、「悪い行動」ではなくて、「ソワソワへの対処」としての行動だったということだ。
だから、「Twitterをやめよう!」「Youtubeは見ない!」「うろうろしない!」といった「やめる」改善方法は改善方法ではなく「ソワソワへの対処の喪失」になってしまう。
しかしだからといって、それらが「適切な対処法」なわけではない。
だからこそ、研究の先に「より適切な対処法」を発見することが必要なことだ。
「ソワソワしていて、注意が散漫になり、一つのことに集中できない」
これが、現時点での私の「集中できない状態」だ。
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