ロスジェネの怒り
それぞれの世代には,それぞれの苦悩があります。今日はロスジェネの苦悩について。
失われた世代
ロストジェネレーションとは,1970年から1984年に生まれた世代です。つまり,現在40代から50代半ばの世代といえるでしょう。私は1974年生まれですので,私もまたロスジェネです。
学校生活
この世代は,多くの悲劇を背負わされました。学校教育は徹底したつめ込み式で,教師が生徒を殴るのは当たり前の時代でした。私の通った公立校は,警察が定期的に巡回するほど荒れていました。シンナーでラリッた先輩,暴走族,毎日繰り返されるリンチ,校舎の影でヤキを入れられる日々。これは私だけの特殊な経験かもしれませんが,こうした学校が多数存在したことは事実です。教師に従わなければ,容赦なく殴られ,鼻血が出るのは日常茶飯事,時には歯が折れました。
大学受験
地獄のような中学生活を終え,次に待っていたのは受験戦争です。受験戦争という言葉など,随分大袈裟に聞こえるでしょう。しかし,私たち1992年入試組は,まさに戦争でした。なぜなら,1992年(205万人)が大学受験生数のピークであり,倍率は今と桁が違ったからです。
今の倍率は高くても5倍,だいたいは2・3倍でしょう。しかし,私たちの頃は私大バブルの時代でありまして,花形の私大になると20倍を超えました。想像してみて下さい。競争率2倍の受験環境と競争率20倍の受験環境の違いを。今の子たちは,2人に1人が受かります。つまり,「受からせる試験」です。一方で,私たちの頃は,20人に1人しか受かりません。それは,必然的に「落とす試験」でした。
就職活動
ロスジェネの特徴は,苛酷な就職活動を強いられたことです。バブル崩壊の余波は大企業にも及び,企業が軒並み新規採用を見送りました。いわゆる就職氷河期です。しかし,私の時代は「超」氷河期と呼ばれました。なぜなら,企業の採用見送りが最初に始まった年だからです。100社受けても採用されない子がたくさんいました。企業側は,はなから採用するつもりはありません。しかし,建前上,新入社員を募集している。つまり,採用試験で待っているのは,今では信じられない圧迫面接でした。私たちロスジェネは,ほとんどイジメや言葉の暴力に近い試験を,何度も何度も受けざるを得なかったのです。今でも憶えています。成績優秀でしっかりした子が,キャンパスの片隅で泣いていた姿を。希望通りの企業に就職できたのはほんの一部であり,多くの学生がフリーターや低賃金の派遣会社に流れました。
ロスジェネの苦難
こうして,私たちの世代の多くは,就職に失敗しました。そして,企業による社会的訓練を受けないまま,歳をとってしまった。しかも,低収入の中,親の面倒もみなければなりません。やれ結婚しない世代だ,やれ子どもを産まない世代だ,やれ犯罪が多い世代だと,多くの人々は言います。しかし,社会的に浮かび上がるどんな手段があったのでしょうか?ロスジェネの多くは,貯蓄がほとんどありません。親の面倒や自分の老後資金どころか,日々の生活さえ危ういのです。
ロスジェネの弁護
個人の責任?
ある人は言うでしょう,「あなたの生活が逼迫しているのは,あなたの責任である!時代のせいにするんじゃない!」と。確かにそうです。私は,私個人の問題としては,そう思います。ロスジェネであろうが戦中世代だろうがZ世代だろうが,人は皆,己の人生に責任を持たねばなりません。他者や社会のせいにしてはなりません。私はそう考えるからこそ,飛び込んだベンチャー企業で必死に働き,ハーバード大卒や東大主席のエリートに踏みにじられながら,時には屈辱的な仕事に手を染め,時には今でも唇を噛みしめざるを得ない泥水を舐め,ある程度の暮らしを手に入れました。ただ,正直に申し上げれば,私の場合は運が良かっただけです。多くの善き人々に恵まれ,先輩の引き立てや後輩の支援があったからこそ,ある程度の経済的自由(Financial Independence, Retire Early)を手に入れられました。
コバンザメの言い分
しかし,ロスジェネ全体を見渡せば,私は到底「お前の生活はお前の責任だ!」と言うことはできません。成功した友人もいます,それ以上に,日々の生活に呻吟(しんぎん)する友人もいます。必死に頑張ってきたのに,一向に報われない人々が多くいます。渡米して成功した友人,中国に渡って成功した友人は,こう言いました。「お前らは無能だな。日本がダメなら海外へ行けばいいじゃないか?なんで日本に拘るんだよ」と。ああ,愚かな人々だ。お前らは海外に縁があったから,そういう発想も浮かんだのだ。お前らは金持ちだから,留学や海外へ渡る資金があったのだ。お前らは有名私立のお坊ちゃんだから,母国から逃げるという選択肢もあったのだ。しかし,海外に縁もない,余裕資金もない,理由(わけ)あって日本を離れられない人間が多くいることを,お前らみたいなボンボンは知らないのだ。
いつの時代も貧乏人は存在します。どの世代にも困窮した人々はたくさんいます。しかし,ロスジェネにおける貧乏人の割合は,統計的な異常値です。個人の責任で済む話ではありません。これは一種の社会問題です。
誰がロスジェネを生んだのか?
ロスジェネを生んだ戦犯は誰でしょうか?それは,団塊の世代です。皮肉なことに,私たちの親世代です。私たちの親は戦後生まれです。戦争を知らず,平和ボケした世代です。学生時代は学園紛争に明け暮れ(遅れた反抗期か!),能天気な顔してバブルに酔いしれ,海外からeconomic animalと称された世代です。経済的奴隷である私たちの親が私たちを生み,私たちを経済的底辺に追いやる。何とも皮肉な話ではありませんか。
地獄の入口
それぞれの世代には,それぞれの世代の苦悩があります。違う言い方をすれば,ある特定の時代を生きた人々は,その世代特有のPTSDに罹っているのかもしれません。私の祖父は,戦争で生き残った罪悪感に苦しみました。「俺だけ幸せになっていいのか?」と。ロスジェネは,失敗や困難の連続(暴力教育・受験戦争・超氷河期・貧困)に苦しんでいます。「なんで俺だけ幸せになれないんだ?」と。ロスジェネのPTSDとは,社会から見捨てられた絶望感です。誰かに傷つけられたのではありません,存在を無視されたのです。ロスジェネは,多くの苦痛を味わいました。正義面した教師の暴力,徹底的に相手をいたぶる不良の横行,蟲毒(こどく)のような受験競争,ナメクジのように這いずり回った就職活動,社会のお荷物と称される現在の虚無感。つまり,あらゆる人間,あらゆる世代からの暴力。ロスジェネが東京都知事選に立候補した石丸氏に拒否感を抱いたのは,過去の経験から,石丸氏の内に潜む暴力性(幼児性)に気づいたからです。
日本の沈没
私は,自分の人生に悔いはありませんし,人生は自己責任だと信じています。が,世代全体として見渡した時,社会は善くも悪くも集団責任であることを痛感します。親の世代の罪を,子である私たちが負っているのです。
ある人は言うかもしれません。「ロスジェネなんて知らんがな。いつまでも過去に拘るな。とにかく俺たちに迷惑かけるな」と。そう嘲る人々は知るがよい。社会を形成する人々は,互いに互いの罪を負わねばならない現実を。ロスジェネは,団塊の世代に次いで二番目に人口が多い。
その世代の多くが,ろくに就職できず,貧困に喘ぎ,面倒をみる子どももいない。このロスジェネが,徐々に老化し,社会保障を受ける側にまわる。つまり,日本社会は時限爆弾を抱えているのです。ロスジェネは,日本沈没の重しです。ロスジェネを無視したあなた方は,ロスジェネと共に沈むだろう。
「人の子よ。震えながらあなたのパンを食べ,おののきながら,こわごわあなたの水を飲め。この地の人々に言え。『神である主は,こう仰せられる。彼らは自分たちのパンをこわごわ食べ,自分たちの水を怯えながら飲むようになる。その地が,そこに住むすべての者の暴虐のために,やせ衰えるからである。人の住んでいた町々が廃墟となり,その地が荒れ果てるその時,あなた方は,わたしが主であることを知ろう』」(エゼキエル書12-18~20)
以下は参考書籍です。