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「柴又MADコンテスト」を復活させたら超会議でMCしてた話


出会いのはじまり

「おもしろそうじゃないですか?」

2023年7月。

音リビアの泉企画出し会議で松屋の飴切MADコンテストおよびおいでよっ!柴又MADコンテストに関する話題があがりました。
普段はたわけた人たちからパワハラを受け続ける秋田のローカルタレントですが、表向きには頭を下げていれば生活できるのです。

でもそう簡単にはいかない。地元で似たような企画の立案や審査員を務めたこともありますが、格闘技世界チャンピオンたちが繰り出す奇想天外なナウいムービーを説明するということは一筋縄じゃない。

これは20代の頃に学生サークルが持ち上げられてこき使われたときによく似ています。過疎地域の地域振興と同じで、ただ若者やよそ者がまちを荒らすだけでは何も意味がないから。空間やお客さんに合致するアートがひとつでもなければそれは間違っている。気持ちとは裏腹に不安がありました。

それでも、自分では何もできず逃げてばかりの私です。半ば依頼されたものは完遂させるべく動き始めました。

いったい何がどうなってんの?

観光協会に問い合わせましたが、しばらく返事はありませんでした。普段テレビ番組のアポ取り仕事をすることもあるので比較的慣れているのですが、一定期間をおいて架電してもなしのつぶてだったんです。

「まずいな」と思いました。大人の対応というのは特定の相手に不快感を与える攻撃をしないこと。秋田県人が一番知らないことです。
一か月ほど経った後、4度目の電話でようやく担当者となる方につないでもらうことができました。

コンテストの告知ぺージが残る当時の広告代理店は足取りがつかめない状況にあったので、その一か所と、12年前の石川さんの写真だけが手がかりでした。

温厚なキーパーソン

ある日、メールが入っていました。

これは田舎にいるだけではわからない感情です。すくなからず私は当時のコンテストを傍目に眺めていただけですが、それでもインターネットの可能性は地方に光をくれる。

ぼうっと見えたUSTREAMの奥にいた大人は、再び実在の可能性となってそう遠くない場所に現れてくれました。沼津経済新聞で記者をしているという榎さんは、つい昨日のことのように柴又の思い出を話すんです。

今の自分と同い年のときに開催していたこと、迷う前に企画を走らせたこと、ニコ生やMAD動画に可能性を見出したことなどなど。

私が地元にいるだけでは到底見えない、理想的な大人のシゴトだと思いました。そして企画の中で紹介する経緯を伝えたところ、「当時のイベントとして紹介するだけではなく新規の大会を開催できないか、事務局とかけあってみる」と。何気ない一言で始められるのは昔から変わらないのでしょう。

その後こちらでも企画書に提案できる資料や情報を提供し、時期や中身を折衝しながら進むことを祈る日々が続きました。


再び動き出すコンテスト

髙木屋本舗の石川さんともつながることができました。不思議な縁もあるものだなと、秋田にいながらでもわかるスケールでした。

2023年10月、榎さんはラクナ脳梗塞という病気で車椅子生活になっていました。それでも明るいSNSの更新は根っからの陽気さができる才能だなと恰幅していました。私がそうだったら同じく振舞えるでしょうか。

できることとできないこと

関係性があるからこそ企画が提案できるし、関係性がないからこそ提案できるきっかけがある。それは時に悔しいことでもあります。
榎さんは東京に足を運んでいました。企画承認に向けてのことと察します。

当初2023年9月の承認で11月告知開始となる予定でしたが、12月に承認が出てそこから開催方式やコンテスト規定について詰めていく形になりました。

主人公は誰

2023年12月の音MADラジオで告知し、音MDM関係者からCMSに関する助言もいただきつつホームページ用意など準備を進めました。

予算的に難しい事情などもあったので、ロゴ制作や結果発表などは私のポケットマネー(そんなに無い)から出すことにしました。その後ノリで「超会議出れるんじゃね?」という話になり、企業や自治体としてだと出展できなかったので結果オーライでした。

欲を言えば12年前のように柴又現地からの配信イベントとしたいところでしたが、ニコニコ動画との絡みも出したいという私の狙いもあり幕張に赴くこととなりました。ブース代も馬鹿になりません。

お金は大事だよ

2024年はじめ、弊社および私の経済状況は大変苦しいものとなります。
ひとえに経営力の無さでもありますが、約束通りお金を払わない会社が複数あるとしわ寄せは末端に来るのです。起業したてのいちおうベンチャーくんに十分な体力があるでしょうか。お笑いライブも出れなくなりました。

毎日230円のカタいごはんが入った正直儲かりません弁当を齧る生活、我ながらしんどいものがありました。ロゴ制作をしてもらった美人スタッフ(以下有能氏)もキレ散らかしていたに違いありません。

数年ぶりに単発バイトを入れなおし、個人事業主としての財布にぶち込む毎日が続きました。正直企画自体の告知や、より洗練されたコラボを実施すれば多くの参加者や企業協力を得られたかもしれません。

当時の榎さんには、かなわないことがわかりました。今ももちろん。


少しだけ学んでいた

平成の終わりに…

私の知り合いが失敗していたことを思い出しました。
どうしても困ったときは、助けてくれる人がいるはず。

それは田舎にいると気づけないことです。ヘルプを出すこともままならない生活(1年で10kg減)でしたが、それでも柴又での現地インタビューや素材撮影など多くの面でスタッフ陣の協力をいただきました。

これは通常の秋田にいる自称企画屋さんやクリエイター()さんでは必ず不可能な出来事です。嬉しかった。有能氏もサムネやポスター、グッズに関して完璧な仕上がりでした。天才の所業に違いない。

大丈夫だ、問題ない

正直、作品が集まるか不安でした。石川さんもきっとそうです。
素材もそろっているのかわからない中で、昔と同じようにとりあえず走りだすだけでいいのだろうか。

嬉しかったですよ一作品目見たとき。素材も当然感涙モノですが、MADコンテストの始まりは、やはりMAD動画ですから。(ろくに予想もできてない自分は)未熟です…

榎さんが書いたプレスリリースからYahoo!ニュースもよろしく、宮崎さんへのインタビューが拡散されていきました。

本当なら私がアポ取りやディレクションしなければなりませんが、スタッフ陣が撮影やサムネ制作、動画編集など進めてくれました。バイト生活でごめん。石川さんみたいにもっと立派な経営者になります。まだ時間かかる。

締め切りを伸ばした結果、ギリギリ準備できた超会議当日でした。
ホームページもっと弄ったりSNS広告や企業協賛出したかったですが、予算や気合でできないこともあります。これは後任の企画や人材に託します。

何といっても当日はゲストのこにわさん・モツさん・かっぱさんが有能すぎました。zoomから画面共有リハ完璧じゃなくてごめん

来場してくれた作者さん、視聴者さん(リハや本番で話せなくてすみません!)も初めて見る方ばかりで感動しました。これは田舎で受ける疎外感とは真逆のモノです。両日ともに夜飲食したのも忘れられない。大変だった合作やしょうもない動画でもよく覚えているものですから。

実際は現地とのzoomリハもする余裕なく、台本も仮のままで頭に進行内容と大まかな尺が入っているだけでした。うまく動画が流しきれないものや流せなかったものがあり大変失礼いたしました。

それでも、柴又の現地や幕張の会場現地で楽しむ二現中継企画も新しい可能性のひとつとして見出せたのではないかと思います。大前提としてご協力いただいた作者の皆さんあってのことですが、その中で介在していた方々の働きあっての感謝も伝えたいのです。

何気ない時間がない

ないんですよ。いつの間にか地元メディアに一切出てない30代で、老害に片足漬かってしまった。とても情けないことです。

それでも、人生設計の寄り道に葛飾柴又が現れるとは予想外のラプソディーです。夢だらけの田舎生活だけだと思っちゃあおしめえよ。

どれかが終わったわけではありませんが、本番時のこにわさんの目や石川さんと打ち合わせしたときの気さくな姿は鮮明に焼き付いています。
真剣に物事に取り組めたり、関われたりする人が地元にももっと増えたらいいなと思う。私もその中の一人になりたいです。

おいでよっ!って柴又に呼ばれてるような、そんな時間でした。
12年後は何してるだろうなあ。

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