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「目指すべきでない未来」だけははっきりしている【映画から考える理想郷#5】
こんにちは、Studio Topitaです!
私たちは理想郷を本気で「想像」「創造」するサークルと称し、毎月テーマを決めて語り合い、議事録をアップロードしています。
ぱっと聞いただけでは「?」かもしれませんので、どうぞ是非、自己紹介をご一読いただきたいです。
(常連さんは、いつもありがとうございます!)
Studio Topia 2月
第5回「『目指すべきでない未来』だけははっきりしている」
「決まりきった正解はない」「立場によって正義は変わる」「答えなどない」と、よく言われる時代です。
そう思う方も多いのではないでしょうか。
確かにその通りです。
が、たとえ「目指すべき未来」が一致しなかったとしても、「目指すべきでない未来」は一致するかもしれません。それに、「目指すべき未来」を考えない理由にもなりません。あるいは、SDGsなど、「目指すべき=正解」とされているものも、この世には多くあります。
今回のStudio Topiaでは、『20世紀少年』を鑑賞しながら、そういった「多面的な見方」や「ひとつだけの正解」といった部分に注目し、想像を膨らませてみました。『20世紀少年』に現れる「ともだち」の存在や、20世紀という時代そのものなどから紐解いていきました!
不気味な目と指のマーク…というイメージの強い方も多いかもしれませんが笑、これを期に見返してみるのも面白いと思われます!
あらすじ
世は20世紀末、小学生の頃に遊びで書いた“よげんの書”の内容通りに、世界滅亡の危機が現実に起こりつつあることを知ったケンヂは、かつての仲間を集め世界を救うために立ち上がる。しかし、事件の裏には“ともだち”と呼ばれる謎の存在が……。
議事録
カリスマは出現するか?
映画の中で、「ともだち」は独裁者として君臨し、日本のみならず世界中の人の生活をコントロールしていきますが、その政治は、(今回は取り上げていませんが)第二章のパレードシーンに鮮やかに描かれるように多くの人に賞賛され、求められています。やっていることはめちゃくちゃですが、まさに「カリスマ」性(超人間的・非日常的な、資質・能力)を持っているということができます。
このような熱狂的支持を集める人は歴史上にも散見され、時には救世主だったり、あるいは暴君だったりするわけです。
いずれにしても、これからの世界、そういった「カリスマ」が現れるのか?が議題となりました。
「信者」と呼ばれる熱狂的ファンを持つタレントやアーティストが豹変(!)してしまうなど、小集団をまとめるカリスマは出現しうるが、それを「ともだち」の如く全人類を代表して、というのは難しいのでは?という意見が出ました。
また、人単体ではなく特定の「概念」がカリスマ化する、つまりはそれに無条件で従ってしまう時代なのでは?という指摘もされました。今は世界が「SDGs」を中心として回り始めています。その本質や理由を理解しきらず、ただ「なんかすごい」と雰囲気に呑まれてしまっては盲信と呼ばれてしまっても仕方ありません。そして、そうあるべきではないでしょう。
何もしなくてもいい時代?
さて、現代はとにかく便利になった時代で、自分以外の人や機械に仕事や選択を託すことができます。
かといって、では何も選ばなくても良くなったかというと、そうでもないでしょう。仕事を託すのか、託さないのか、あるいは託すなら誰に、どれくらい、どんなふうに、いくらで…などと、考えれば考えるほどキリがなくなります。選択肢が多くなり、また、選ぶ側の自由度や権利、情報網も拡大されたため、逆に面倒臭くなっているとすらいえます。
信じられるカリスマに全て託し、全部決めてほしい…という考え方も生まれてくるでしょう。
とはいえ、「自分で信じる分にはいいけど、他人に強要してはいけない」という意見も出されました。
ここで強いのが、ファシリテーターではないか、という意見も。単純に自分の意見を押し付けるだけでなく、自分に集まる人たちの意見をうまく引き出し、捌き、まとめ上げて一つのこたえをつくっていく、そんな存在こそが望まれているのでは?ということでした。
絶対、はないのか?
さて、冒頭に戻りますが、「決まりきった正解はない」「立場によって正義は変わる」「答えなどない」と言われる時代に、本当に「絶対的な何か」は存在しないでしょうか。
「多様な時代に、絶対視されているもの(法律、モラル…?)があるからぎりぎり踏みとどまれている。その絶対的なものも相対化され見失われつつあるので、それを今一度見直さなくてはならないのでは」という意見が出されました。例えば、「人が増えすぎて環境に悪いから半分を殺してしまえ、という意見にそれではいけないと言えなくてはならない」かつ、そういった絶対視されるものは人々の間で生まれながらにして共有されているはずだ、ということでした。
人によって正義(美学)が違うのは当たり前ですし、それを同じくするのも無理でしょう。何もせず全ての人が同じ未来を目指すのも難しそうです。
ですが、たとえ「目指すべき未来」が今はっきりしなくても、「目指すべきではない未来」は共有できるはずだ、ということでしょうか。
人間には動物・本能的な感情と、論理的な理性があります。
芸術など、感情が重要視されることもありますが、社会においては理性が最重要視される時代でありますし、動物的感情を乗り越えようとしている部分も多いでしょう。
たとえば、もともと自分の集団を守るためには大切であったろう争いが、正しくない、と認識される世の中となっています。
とはいえ、理性で乗り越えるべきものはあるけれど、それが全てになるわけではないし、マイナスな面もあることを認識しておくべきなのかもしれません。これまでの歴史を振り返って、絶対的であることを反省し、改善することは大切ですが、今度はそれがいきすぎて、全てを相対化してしまうことにも問題があるのです。
編集後記
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今月の「映画から考える理想郷」シリーズ第一弾は、本当はもっとポップなイメージだったというか、空想をたくさんする予定だったのですが、自由や保守、多様性と絶対など、難しいところに落ち着いてしまいました…。
一つの意見を押し付ける力が弱まり、たくさんの意見が散見される世の中になりましたが、その中にも正当性があるものとそうでないものがグラデーションを持って混ざっていますし、お互いに切磋琢磨する(喧嘩は除く)ことも可能ですよね。何が正解かわからない、と絶望することもないように思います。ただ、その意見をすり合わせるのは、考えたくないくらい大変ですね泣
私は一人のカリスマに従いたいタイプではないので「ともだち」にも「ケンヂ」にも盲信したくはありませんが、そういうのは「熱狂できないつまらない生き方」でもある気がするので、時には盲信し、時には批判的になるスタンスでいこうかと思います。(奈都)
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Studio Topia 2月テーマ「映画から考える理想郷」
第5回「『目指すべきでない未来』だけははっきりしている」
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