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「保守」と「リベラル」のバランスとは何か【映画から考える理想郷#4】

こんにちは、Studio Topitaです!
私たちは理想郷を本気で「想像」「創造」するサークルと称し、毎月テーマを決めて語り合い、議事録をアップロードしています。
ぱっと聞いただけでは「?」かもしれませんので、どうぞ是非、自己紹介をご一読いただきたいです。
(常連さんは、いつもありがとうございます!)

Studio Topia 2月 
第4回「『保守』と『リベラル』のバランスとは何か」

みなさん、こん〇〇は!Studio Topiaです。
今月は映画をきっかけに、今の社会について考察しています。

初回に『新聞記者』、2回目に『マトリックス』を鑑賞してきましたが、第3回となる今回は、1947年にアメリカで公開され、第20回アカデミー賞作品賞を受賞した『紳士協定』という作品を観ました。

あらすじ

カリフォルニアの人気ライター、フィルは妻に先立たれ、幼い息子と老いた母との3人で暮らしていた。そんなある日、彼は週刊誌の編集長に招かれニューヨークへ渡ることに。そこで彼に依頼された仕事は、反ユダヤ主義についての記事だった。この企画を発案したのは編集長の娘キャシー。フィルは彼女に惹かれていく一方、自らユダヤ人と偽って取材を始める。そしてある時、社内でユダヤ人だと名乗るフィル。その噂はすぐに広まり、周囲はにわかによそよそしくなっていく…。
ユダヤ人差別をテーマにし、アカデミー作品・監督・助演女優賞(セレステ・ホルム)を得た骨太な作品。監督は「ブルックリン横丁」などで知られる名匠エリア・カザン。一人のジャーナリストが、アメリカの反ユダヤ主義を調査するため、自らユダヤ人と偽って取材をする。ユダヤ人の立場になって初めて分かる様々な差別。出版社自体にも存在する偏見と闘いながら、真の正義を追求していく姿を感動的に描く。

allcimema(https://www.allcinema.net/cinema/11344)より

一見すると全く関係ない三作品を選んでいるように思えますが、『新聞記者』や『マトリックス』とは異なる、権力や秩序という社会を考える上で重要なパースペクティブを『紳士協定』から得られたのではないかと思います。

過去のアーカイブ

議事録

「保守」vs.「リベラル」
正直言って、この二項対立はもう古いと思います。
〇〇党は保守だとか、●●党はリベラルだとか政治に用いるのも、△△新聞は保守だの、▲▲新聞はリベラルだのマスメディアに用いるのも、かなり古いと思います。さらには、そもそもリベラルや保守という言葉を使うこと自体も難しくなっているのではと指摘されました。そして、これが完璧な保守派やリベラル派と呼べる人間などそもそも存在せず、あるテーマにおいて保守的かリベラル的かというだけなのではないかという前提となりました。

しかし、その前提を考慮しても、今月のテーマを踏まえて改めて感じるのは、世の中には、現状の秩序を守ろうとする勢力と、その秩序を壊そうとする勢力がいるということです。秩序を守ろうとするのを保守、秩序を壊そうとするのをリベラルと言うのであれば、それが政治的かどうかに関わらず、人間の本質として、保守とリベラルは存在するのではないかと言う意見が登場しました。そして、これは私たちに社会そのものを考える視座を提供してくれました。

映画は「リベラル」を描きやすく、「保守」を描きにくい
今回扱っている映画は、意図したわけではないのですが、全てリベラルな主人公の物語でした。『新聞記者』は、国家権力という秩序を維持する者と戦う記者のお話、『マトリックス』は、マトリックスという仮想現実を作り出し人間を支配する(世界を維持する)機械と戦う人間のお話、そして今回の『紳士協定』は、反ユダヤ主義を中心に、表ではユダヤ教徒を肯定しつつも、無意識ではクリスチャンである自分の優位性を保とうとしてしまっている者と戦う作家のお話でした。このように、これらは全てリベラルな主人公の物語であると言えるのではないでしょうか。物語の主人公となりやすい存在はこれらの映画だけでなく、多くの映画においてリベラルであることが多いと思われます。
では、逆に、保守的な主人公の物語はあるのでしょうか。おそらく、全くないわけではないでしょう。戦隊モノやヒーローモノは、混乱をもたらす存在から人々を守ると言う秩序を維持する物語であると会でも指摘されました。しかし、近年、このヒーローの物語が単なる正義の味方としてではなく、悪役と何が自分は違うのだろうと葛藤する存在へ変容しています。私たちは単なる秩序を維持することへの胡散臭さを感じてきています。つまり、秩序を維持する存在は、なぜ秩序を維持しなければならないとかを問わなければならない状況に立たされていると言えます。そして、これはますます保守を描くことが難しくなるようになるのではないでしょうか。

まとめ
今回は、数多くの議題を含んだ『紳士協定』の中から、今の社会を考えることにテーマを絞って話を進めていく形となりました。
来週に続く問題として残ったのは、リベラルであること、保守であることの問題です。現政権の問題を明らかにすること(=現代の秩序を破壊すること)は何が問題でしょうか。社会制度を維持すること(=何もしないこと)は何が悪いのでしょうか。その答えを出すことに難しさを感じたのが今回の回でした。
来週は、ついに『20世紀少年』をもとに議論を始めます。
「ともだち」が作り出すユートピア(ディストピア)について考えます。

面白かった意見

・よい人になってはいけない
私たちStudio Topiaの参加者の多くは自分も含めて良い子ちゃんです。
「よい」学生であり、「よい」教師であり、「よい」友人だったりします。
しかし、「よい」というラベルを貼られることは本当にしなければらないことを阻害する可能性があることが会では指摘されました。犯罪者に悪のラベリングをすることの問題はよく指摘されることではありますが、同様に、「よい」というレッテルを貼ることも、同調圧力を強めたり、間違ったことをそのままにしてしまう危険性があるのだと思います。どの程度、私たち良い子ちゃんは嫌われる勇気を持たないといけないのでしょうか。

・「リベラル」は目立ち、「保守」は裏方?
現実の例を考えると、リベラルはジャーナリストのように目立つことで仕事の意義を持つ一方で、官僚のように保守は目立つのではなく、下から社会を支えるような存在です。これは、保守をそもそもで批判する機会があまり訪れないことを意味しているという指摘がされました。しかし、その保守的な社会の側面に目を向ける必要性が今の社会にはあるのでしょう。

編集後記

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

今回は『紳士協定』を鑑賞し、話し合ってみました。
『紳士協定』は参加者の一人から紹介され、初めて観た作品でしたが、1947年という戦後すぐの映画とは思えないほど現代に通ずる物語であり、最近公開された映画の数倍は面白い作品でした笑。最近の社会派と呼ばれる映画たちは、人種差別や性差別といった様々な差別や偏見を問題視しようと務めてきましたが、どこか空回りしているような気もします。何かと昔を美化しがちなので、その分よく見えている可能性もありますが(笑)、『紳士協定』は、「素直」な素敵な作品だと思いました。考える余地をこちらに残してくれています。本記事を書いているのが映画を見た直後なのですが、もう少し余韻に浸りたいと思える久しぶりに出会った映画でした。
ぜひ、みなさんも見てみてください(R.O)。

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Studio Topia 2月テーマ「映画から考える理想郷」
第4回「『保守』と『リベラル』のバランスとは何か」
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