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なぜデザイン思考はゴミみたいなアイデアを量産してしまうのか

デザイン思考がもてはやされてしばらく経ちましたが、デザイン思考の成功例、何か思い出せますか?仮に思い浮かんだとしたら、その「成功例」は本当にデザイン思考によって生まれたものですか?

一応最初に断っておきますと、僕は「デザイン思考はゴミだ」と言っているわけではありません。デザイン思考(デザインシンキング)にも向き・不向きがあるのに、その特性を踏まえないまま変なバッターボックスに立たせた企業が大変シュールな状況に陥っていることを、普段デザインで事業成長を支援している身として危惧しているというわけです。マイナスドライバーでプラスのネジを回すのはやっぱり無理があるし、おもしろTwitterおじさんだった人に大統領をやらせたらそりゃみんな怪我するよね、という単純な話です。

著名デザインファームPentagram New Yorkのグラフィックデザイナーであり教育者でもあるNatasha Jenは「Design Thinking is Bullshit(デザインシンキングなんてクソくらえ)」という講演の中でこんな趣旨の指摘をしていました。

・GEヘルスケアの小児用CTスキャンや部屋の壁にトラさんの絵を描くアイデアなんて、わざわざデザインシンキングのステップを踏まなくたって頭に浮かぶよね?
・P&Gがエンジングケアのクリームのシェアを伸ばすためにデザインシンキングを行った結果、広告モデルの年齢を若くしただなんて、それって本当にデザインシンキングの成功例なの?

完全に踊らされてますね、大企業(笑)
例に挙げられているのは海外の事例ばかりですが、日本の企業も然りです。きっとこういう人たちは「ユビキタス社会」とか「デジタルトランスフォーメーション」とかにも踊らされてきた人たちなんじゃないでしょうか。

「デザインシンキング」の定義と歴史

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ここで今一度、「デザインシンキング」の定義について確認しますと、世界的にもだいたい上の図のようなプロセスで説明されています。wikiでは「デザイナーがデザインを行う過程で用いる特有の認知的活動を指す言葉」とされていて、具体的に要素分解すると次のように言われています。

1. Empathize:ユーザーが何を求め考えているか観察・共感し(なりきり)、ニーズを探る
2. Define:調べたことをまとめ、ユーザーの真のニーズを洗い出し、問題を定義する
3. Ideate:定義された問題に対し自由に意見を交換して、具体的にどうアプローチするか考える
4. Prototype:試作品を作ってアイデアを具現化し、機能性・効果・実現性について検討する
5. Test:ユーザーに実際に使ってみてもらい検証し、改善点を探って最終的な解決策を目指す

こう見るとそれっぽい感じはします。いかにも大企業が騙されそうな感じがします。まあまあこなれた感じに体系化されているのは、デザインシンキングの歴史が意外と長いからです。

デザインシンキングはその源流からたどると、科学者のHerbert Simonが『The Science of Artificial』(1969年!)で考え方の一つの手段として提唱したことに始まり、のちに建築家のBryan Lowsonが実際の建築に活用、ジャーナリストのNigel Crossが教育(特にエンジニアリング)の領域に持ち込んで広まって行きました。そしてハーバード大学の建築家Peter Roweが『Design Thinking』という本を出版、ここでデザインシンキングという言葉が生まれました。やがて2005年にスタンフォード大学でデザインシンキングがカリキュラムに加えられました。そして大手デザインファームIDEOのTim Brownらが改めて世に紹介するとともにTom KelleyとDavid Kelleyが2013年に『Creative Thinking』を出版するやいなや急激に認知度が上がり、「ロジカルシンキングの限界を打開する!」「iPodもWiiもデザインシンキングから生まれた!」ともてはやされるようになりました。

デザイン思考はそもそもデザイナーの思考を再現していない

さて、タイトルの本題に入りますと、これには色んな答え方があるので順次書いていきますが、シンプルな言い方をすれば「デザイン思考はそもそもデザイナーの思考を再現していないから」ということになると思っています。

デザインシンキングを牽引してきたIDEOやドイツのFrog Designは確かに素晴らしいアイデアを世に出してきました。しかし、デザインシンキングの「成功例」が一般企業からではなく彼らのようなもともとクリエイティブな発想を売り物にする集団から出てきていることに注意しなければなりません。広告クリエイター(コピーライター)出身で今はデザインファームを率いる身としての実体験に基づいて言えば、デザイナー(あるいはもう少し広く捉えて商業クリエイター)は、先の図のようなシステマチックなプロセスを採ったりはせず、ぐちゃっとした混沌をぐちゃっとしたまま捉えたり、プロセスを行ったり来たり、飛び越えたり、複数プロセスを同時進行しながらフレームワークではたどり着けない答えに到達することを得意とする人種です。なので、デザインシンキングが主張する要素(例えばターゲットをよく観察するだとかなりきるといったことを始めとした人間中心主義)は共通する部分が多いのですが、各要素の運用方法や比重の大小はまるで違います。そんなに分析的でシステマチックではなく、もっと総体的、ホリスティックに頭と手を使います。ロジカルシンキングとはつまるところ要素還元主義であり(近代科学がそもそもそうですよね)、その限界を突破するはずのものが、要素還元主義的なフレームワークなのは何とも滑稽です。

デザイナーが先のような発想を得意とするのは合理的かつシステマチックに思考を進めているからではなく、圧倒的な量のアウトプットをこなしてきたからに他ならないと思っています。その訓練によって、「こういうアウトプットにするとこういういいことがある」というように戦略-アプトプット-効果を素早く行き来する力が鍛えられるからこそ、イノベーティブなアイデアを生み出せるのではないでしょうか。そうして生まれた成功例を後付けで「あれはデザインシンキングのおかげなのです。そしてそれは御社にもできます。お金を払えばね」と言って一儲けしよういう魂胆があったのではとつい勘ぐってしまいます。たった数日間から数週間のセミナーやワークショップでクリエイティブな発想が身に付くはずがないということは、デザイナーやクリエイター自身が知っているはずです。。。
そういう煽りがあってか否か分かりませんが、いずれにしろデザインシンキングは異常なまでに神格化されてしまったのは確かです。

「人間中心主義」の欠陥:もはやユーザーの中に答えは無い場合もある

デザインシンキングの不完全性についてもう一つ言えば、デザイナーが普段視線を向けているのは、ターゲットに対してだけではないとういことです。デザインシンキングの主要な特徴としてよく「人間中心主義(ターゲットの中に答えはある!だからよくよく観察して深いニーズを探れ!という思想)」が挙げられますが、例えば「自動車は高くてなかなか買えないが一家の夢の象徴。高いからこそ目標に向かって頑張れる」というインド人の心の内は、必ずしも不満そうな行動に表われ出るとは限りません。must have(無くては困るもの、何らかの苦痛を解決するもの)のプロダクト開発ならまだしも、nice to have(無くても困らないがあると嬉しいもの)のプロダクトとなると、ますます疑問です。Netflixは確かに暇つぶしの救世主かもしれませんが、ターゲットだけを見ていて生まれるものでしょうか。

デザイナーはターゲットの他に、「時代の気分」とでも呼ぶべき、時代・社会の大局にも日常的に目を向け、それゆえその解像度も高いのが特徴です。「気分」は通常一個人の内面で起きることですが、デザイナーはそれをマス規模に拡張して、

「今の時代ってなんとなくこんな気分が漂ってるよね」
「絶対みんな言わないけど、ほんとはみんなこう感じてるんじゃない?」
「長いスパンでみたら、これからこうなるかもね」

ということを高い感度で想像します(その感受性の高さゆえ、往々にして社会不適合者(←褒め言葉)を生むのも事実です)。そうしたマスへの想像力と、ターゲットとしての個を行き来して普遍性を見出すことは、デザイナーのクリエイティブジャンプのエネルギー源の一つであるわけですが、デザインシンキングにはこの視点が抜け落ちていると言えます。

デザイン思考は1→100(改善)には向くが、0→1(創出)には向かないから

さて、いろいろ不備があるデザインシンキングに対する先述の過剰な期待は、デザインシンキングのおかしな使い方に繋がっています。僕はデザイン思考を全否定するつもりはなく、その特性をもっとうまく活用した方がいいという立場です。

デザイン思考はそのクリエイティブな雰囲気から「0→1」に向いているような気がしてしまいますが、先述のようにクリエイター・デザイナーの思考プロセスとは異なっている代わりに、ざっくり試しにやってみてPDCAを回すというデザインシンキングのやり方は、改善には向いています。高い感受性と解像度に基づく深い洞察や、視点の多さと柔軟性に基づくそもそも論への気づきには不向きである一方、マーケ担当者が用意した何のファインディングスも無い資料よりもユーザーのリアルに目を向け、課題を洗い出し解決を目指すという方法論は、信じられるアイデアや動き出した事業を飛躍させるには有効だと思います。逆に多くのデザイナーはそこが不得意な人種でもあります。

使い方を誤らなければ、結構有効なフレームワークだと思っています。

プロトタイピングという手間をかけると、前より賢くなった気がするから

最後に、瑣末な指摘に聞こえるかもしれませんが闇は深い、「プロトタイピング」について。プロトタイピングは改善プロセスにおいて有効な場合もあります。ただ、プロトタイピングをやれば必ず前進するというのはカルトです。ヤバい新興宗教です。デザイン思考の話に限らず、特に日本では「アウトプットの質は努力の量に必ず比例する」という信者は多いようです。

「やった気になる」という魔物はなかなかの強敵で、テーブルにお菓子と飲み物を置きつつ、壁に大量の付箋を貼ってグルーピングしたり線で繋いだりする行為は魅力的です。斬新なプロセスのようにも思えます。開発現場や工場勤務の人以外には。プロトタイピングというのは、工業製品では昔から普通にやってきたことです。それを領域拡張しただけで、何かすごいことが起きると錯覚するのはとても危険なことです。デザイナー、クリエイターには「手で考える」という習慣があり、描いてみてわかることがあります。なのでプロトタイピングは有効なことではあるのですが、「プロトタイピングをやって時間と手間をかけた。だから前より賢くなったし、うまくいく」というように短絡的に関連づけるのは幻想です。

「ベストだと思った最初の案からクライアントにああでもないこうでもないといくじられたが、結局最初の案に戻った」という経験は、クライアントワークをする多くのクリエイターあるあるではないでしょうか。その茶番の正体はこうした努力教によるケースも多いと思います。
出すバリューではなく、手間がかかる調査がメニューに含まれているからだとか、大規模なワークショップをやってくれるからという理由だけでコンサルファームにポンと数千万を出してしまうカモ企業の経営者は、本当に気をつけた方がいいと思います。

それでも僕はデザインの可能性を信じている

デザインシンキングのことを散々ディスりましたし、こっちの記事はデザイナーディスりにも聞こえるアンチ量産記事感もありますが、それでも僕は、デザインはビジネスに応用することができ、今まで到達し得なかった答えに到達し、社会を変えていく力を持っていると信じています。経産省・特許庁が発表した『「デザイン経営」宣言』の普及のための下部組織に会社として所属していますが(ひっそりと)、それもデザインは経営、事業成長を強力に推進するポテンシャルを信じているからです。

デザインをビジネスに応用するとはどういうことか、なぜデザインは事業成長を創り出せるのかということは、また別の記事で書こうと思いますが、人類が言語を獲得して以降数十万年にわたって運用してきた「論理」と「感性」、その両方がビジネスに使えないはずが無いと思っています。優れた経営者は既に日常的に使っています。

そんな可能性を持ったデザイン全体が、「なーんだ、そんなもんか」と低く見られてしまうことによる社会の損失を僕は危惧していて、小さな小さな声ながら、僕はここに書き留めてみました。

※2019年1月10日若干の追記

あと、デザイナーもそうでない人も募集しています(採用も協業も)

Studiesは随時人材を募集しています。クリエイターのクリエイティビティをビジネスに応用することに強い興味がある人であれば、デザイナーに限らずエンジニアでもカメラマンでも、会計士でも哲学者でも、僧侶でも前科持ちでも構いません。

また数期以内にスタートアップ出資事業を子会社化して規模を拡大させようと思っているので、VCや投資銀行などで経験を積んでそろそろ投資担当ディレクターやファンドマネージャーをやりたいという人材も募集しています。

【2020年6月追記】
特にフリーランスで活動している、Webデザインができるデザイナーの方やグラフィックデザイナーの方を待望しています。Studiesは案件ごとに外部のクリエイターとベストチームを組成して臨むスタイルが多いのですが、何より、想いを共有できる仲間かどうかを重視しています。こんな生意気な記事にも共感してくださった方は、ぜひお声掛けください。

【自己紹介】
Studiesというデザインコンサルファームの代表をやっている榊原と申します。スタートアップを中心に、経営・マーケティング戦略策定からロゴやwebなどの表現までをクリエイター(主にデザイナーとコピーライター)が一気通貫で担っており、コンサルティング/デザイン/出資をすべてクリエイターがディレクションするたぶん日本唯一のデザイン会社(当記事投稿時点)です。

僕自身は、東京大学教育学部で教育哲学+教育行政を学ぶ
→「教育と広告って似てね?」と思い博報堂でコピーライターをやる
→賞獲りレースに誰も興味ないチームで商品開発をやったりCM作ったりして、「クリエイターがマーケティングやるのオモロ!」と思った矢先、突然社内留学で営業職に。僕を可愛がっていた役員が人事に詰め寄る
→営業職はそれなりに学びは多かったけど独立。フリーのコピーライターとして大手の新卒採用コミュニケーションや各種のコンセプトワークを担当
→「デザインまでまるっとやってくれ」という相談があまりに多いので元資生堂のデザイナーと起業
という感じです。ゆるふわでやってます。

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