50代になって「発信する力」についての考察してみましたの件
昭和生まれの51歳、私はTwiiter を始めて10年近くになります。
2003年ごろ初めてデスクトップのパソコンに出会ったのが
私の「インターネットデビュー!」でした。
そんな私が最近SNSで感じる「発信力」について考察してみました。
最近のお気に入りの「つぶやき」です汗↓
◆①digitalart(デジタルアート)に出会った瞬間
私は2003年ごろ、Photoshop/element2.0に出会いました。
高校時代から空手を始めていた私のニックネームは「CHOP」そう、空手チョップのCHOPでした。
その頃からTwitterを始めました(2010年の5月18日)・・・・・。早いものでそれから10年が経ってしまいました。
下のリンクから過去にSNS主にTwiiterですが、投稿画像が見れますw もし宜しければ、フォロー&RTもしくは(・∀・)イイネ!!を頂けますと、今後の励みになります。
私たち昭和生まれの時代は今みたいにスマホが普及していたわけでもなく、専門農業の3代目だった私の父は毎日朝早くから、夕方暗くなるまで「畑やハウス」に仕事に出て、パソコン?インターネット?なんて!まるで「別世界!」
今思うと、「ブラウン管」テレビから流れてくる情報が全てであり、小中学生の頃は部活動ばかりしていて、SNSなど全く皆無だったのです。
◆②小中学校はバスケ三昧
小学校4年生くらいになる何故か・・・昔は半強制的に「部活動」というものに入らなくてはなりません。
「下校組」になんて言語道断!私は体育の授業で「割と」好きだったバスケットボールに所属してましたね。
中学校になるとそのまま「バスケ部」へ実家から小学校は地区内にあり「歩いて登校できる」距離でした。
我が愛しの熊本県山鹿市鹿本中学校は自転車で30分ぐらいかかるところにありました。毎日朝から自転車で通うのは本当にしんどかった。
朝よく寝坊して泣きべそをかき、現在80歳になる実父によく軽トラに自転車積んでもらって「送り届けて」頂いた記憶があります。
本当に懐かしい・・・。故郷の想い出は幾つになっても「良いものです」
◆③中学校でのバスケのライバルは「松野明美」⁉
中学校時代地元の「鹿本郡地区対抗大会」でバスケットボールのライバル?となったのがあの「松野明美ちゃん」です。
私は鹿本中学校でしたが彼女は「鹿南中学校」大会では、「小柄なのによく動き回る名セッター」でもありました。
結構鹿本中学校バスケ部はいいメンバーが揃っていたと思うのですが、彼女のフリースロースタイルの遠距離シュートには、苦い思いをしていたなぁと記憶の片隅で思い返してしまいます(苦笑)
明美ちゃんとはなぜかその後彼女が陸上部へと進んだ「熊本県立鹿本高等学校」で同じクラスになることになるのですが。。。
それはまた別の記事でノスタルジィに浸りながら「ご紹介します」w
◆④高校時代は空手道一筋
高校時代「小中学校」と同じバスケットボールに入部するんだろうなぁ?とここまでの記事を読んで読者の皆様はそう感じられたかもしれません。
しかし、一つ上の兄貴になんだかとっても!反抗心が芽生えていた私は同じ高校の「柔道部のキャプテン候補」になりつつあった兄に対して!「入部届」を叩きつけたのです
しかし、道場の入口で追い出され、女には無理だとその場で却下されてしまったのです。
女には無理と言われた私は「何が何でも武道をやりたい」と一念発起して、空手部の勧誘をしてくれた「大友先輩」👉(女性)に出会い
「女の子でも頑張れるよ、空手部女子少ないんだぁ、一緒に頑張ろうよ」という言葉で空手部に入部することになったのです。
それから短大時代から33歳ぐらいの頃「空手道3段」を取得するに至ったわけですが、その経緯はいろいろまた「長ーいお話」になりそうなので、次回改めてご紹介させていただきたいと思います
◆⑤2010年ごろから芽生えたアーティストとしての欲
パソコンがあれば「もう何もいらない」と思えるほど、PhotoshopでのArt作品にのめり込んでいた2011年頃、私に転機が訪れました。
京都平安神宮のアートコンペの公募「神々への捧げもの」に「入選」しました。初コンペで「初入選」当時は舞い上がってしまいましたね。
入選したという事で「京都へ1週間」滞在もしました。
まだ中学生だった娘を残して今思えば「好き放題」やっている母親だったかもしれません。24歳になった娘と当時の事の「思い出話」をするとあんまり乗り気ではなくて、よく「お母さんはお母さんしてなかったでしょ」!と苦言を言われたりもしています。
でも作品を描くからには「絵で食べて生きたい」と痛切に思うようになるのと当時の私からしたら、当然のこと。
でも今思えば「結局何もかも完結しないモノガタリ」のようで、中途半端だったのかもしれません。
当時アドバイザーというかスポンサー的な存在の方もいらっしゃいました。私の作品が好きで様々なアドバイスを頂きました。
あの当時「目が出るまで40過ぎたら無理やろ」なんて言われてPhotoshopに向き合っていた自分。食事や家事も忘れるほど「没頭してしまっていた」自分の過去回帰・・・。
それがいいのか悪かったのか?
それはこれからの私自身の「発信力」の在り方で、その結末は変えられるものだと感じます。
その後いろいろ活動しました。
作品を作り続けるという事は、自分の感性を発信し続ける事。
その経緯や作品画像に関してはブログなどでご参照いただけますと励みになります。
◆⑥ブログやtumbler、Facebook 、Instagram、SNSの足跡は消えない
結局、過去にネット上に投稿してきたものは私自身の日常の足跡です。それは、私自身のイメージの足跡でもあり、現実。
私の道は私だけのものであって「そうであってはいけない」。
私の道しるべは「誰かの道しるべ」にもなる可能性を秘めている。
そんな風に今ははっきりと感じます。だから今までの「足跡」に向き合うことにしました。あんまり人には言えない複雑な自分の「置かれている立ち位置」について、そして来年結婚するであろう「一人娘」やそのお相手のご家族に対して、今までの自分を見つめ直しながら、此処noteの「言葉の箱庭」で誰かの日常に寄り添うために・・・。
◆⑦99200件のツィートインプレッションを獲得
【画像👆見づらくてすみません】
9月の中頃から
SNSの在り方を切実に見直し、言葉に寄り添い、人の温かさを知りPhotoshop歴も更新したいのですが、海外でも注目されている
現在はCanva という画像作成ツールのプラットフォーム
を中心に情報を更新しています。
2020年9月はTwitterのSNSで10万ツィートインプレッションを目指しSNS活用フォロワー様も120獲得
プロフィールアクセス2000人以上
新しいハッシュタグの発起人になるために
パートの合間にコンテンツ作りの「下準備」ともなる情報を発信し続けています。
好奇心は前へ進む力
「あなただけの感性を素敵な日常の未来へ」
人の想いは温かい
つないだ言葉は輝きだすはず!
ほっとする日常のそばに私は寄り添いたいと心から願っています。
◆⑧初投稿完了(つд⊂)
私は今回初めてnote に向き合いました。
Canvaで画像を作ったり、素材を探したり、人の想いは「つながる」ことによって「輝く」ものだと私は信じています。つながりが、また新しい「つながり」へ其処には「どんな輝き」が待ち受けているのでしょうか?
私には頭の中で膨らむ「何か」があります。
ワクワク感一杯です
それを今後皆様の「ほっとする日常につながり」へのお手伝いとして、情報発信が出来ればいいなぁと感じます。
51歳まだまだ勉強部不足ですが、今後もお付き合いいただければ嬉しく、そしてワクワクします。
よろしくお願いいたします。