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毒親育ちは就職で躓く

最近ようやく少し涼しくなってきた。
前の記事にも少し書いたけど、現職で色々あって転職に向けて動き始めた。
今の会社に転職したのって、そういえば元夫と付き合ったからだったな〜ってことを思い出したので、就活のことを書いてみる。



遡って大学時代のこと。大学で半年休学&1.5年の留年をかました私は、初めての”レール”を外れる体験に、人生が終わったような気分になっていた。



今思えば大したことないんだけど、もう自分の人生は取り返しがつかないと思っていた。そんな心持ちだから就活にも全く身が入らなかったし、何に対してもやる気が出なかった。今思えばぜったい鬱だったと思う。



ベッドから一週間起きられず、涙も止まらず、過食や拒食として症状が出ていた(鬱です)。自分の部屋だけ時間が止まってて、周りが凄まじいスピードで進んでいくことに耐えられなくなっていた(確実に鬱です)。ハラスメント気質のある人やメンタルが不安定な人に惹かれて、恋愛もうまくいかない。よく死ななかったなと思う。えらい。



全員出席必須の大学の面接対策講座はすっぽかしたし、面接に間に合わなくてタクシーで行ったことも何回もある。説明会に予約しても起きられず行かなかったことも数えきれない。



オンラインでESを出すときに親から鬼電がかかってきてESの提出が間に合わなくなり、「お母さんのせいでESが出せなかった」と泣いて文句を言ったこともあった。今思えば、もっと先を見通して余裕を持って準備をしていない私が悪い。人のせいにするのは本当にダサい。でも、あらゆることが限界だった。この時のことを思い出すといまだに、みっともないことをしてしまったな、どうしようもなく苦しかったな、という気持ちになる。



毒親育ちで解毒の方向に向かえていない人は、就活で躓く人も多いんじゃなかろうか。「やりたいことは?」「成し遂げたことは?」そんなのあるわけがない。自死せずに生き抜くだけで精一杯だった。私は、めちゃくちゃあれこれ悩みまくって話し合おうとしてそれでも解決できなくて、「自分が加害者になるんだ」みたいな覚悟をして絶縁に踏み切った。今でも「これでよかったのかな」と思う日はある。



私は小中高と優等生枠だったから、その頃の知り合いが見たらびっくりすると思う、ていうか信じられないと思う。そのくらい心身ともに荒れに荒れていた。



とにかく実家に帰りたくない!という一心で、4年生の12月から就活を始めて1ヶ月で内定を4つもらって私の就活はあっさり終了した。一見不利でしかない状況だけど、他人と違う時期に動いたことが吉と出たのだと思う。



企業側は「内定辞退者がでた」「採用の目標人数に届かない」「留学してたわけでもないのに、この時期に就活してる奴がまともなわけない」といういろんな思惑がある。だから、「素直で元気で普通っぽいやつ」と思ってもらえれば内定をもらうのは難しくはなかった。もちろん、大企業に入りたい人向けのやり方ではないけど。



というわけで、無事に「実家に帰らなくて良い」という免罪符をゲットし、私は延命した。



就職したIT企業は、小さなSIer(Sier:システム開発を請け負う会社のこと)。SIerの技術者は客先常駐が多いのだけど、私は技術者ではなく管理部門だったので、基本的に毎日自分の会社に出社した。



そこの男性の上司が、これまた相当に拗らせた人だった。資料のホチキス留めが1ミリでもずれていると文句を言われた。仕事中にはたびたび下ネタやギャンブルの話をしていた。



よく「自分なんてデブで不細工だから」と自虐することもあり、返答に困った。物を投げたり、キーボードをやドアを大きい音で叩いたり、はたまたあるときはオフィスの端っこに呼び出されて「仕事舐めてるよな?」と恫喝されたこともあった。「いえ、仕事ではなくお前を舐めてるんです」と喉まで出かかったけど、言わなかった。こういう態度が尚更気に入らなかったのだと思う。



この仕事と並行して、土日には大学時代の接客のアルバイトを続けていた。「もう一生実家に帰るつもりはない」と思っていたから、少しでも稼ぎたかった。あと、人はずっと同じところにいると腐って凝り固まっていくから、できるだけ色々な人に関わっていたいと思っていたのも理由の一つ。



上司は、以前の職場でいじめられていたと言っていた。加害者は大抵の場合、元被害者だ。どんなふうに仕事をしても文句を言われ、私を無能認定した上司は、一日中シュレッダーをかけさせたこともあった。



仕事を回してくれないのをいいことに、指示されたこと以外は一日中自分の好きな仕事(会社ブログの更新、社員インタビューの企画・撮影、新入社員研修を自前の一眼レフで撮影、など)をしていた。インターン生の採用面接したり、採用イベントにも行ったり、インターンのスタッフもしてた。この職場では大した仕事をした記憶がなかったのだけど、こうして振り返ってみると、あの環境で自分のできることを色々している、偉すぎる!



ただ、毎日ひどい言葉を投げかけられていると心が疲れてくるもので、だんだん会社に行くのが億劫になった。会社の最寄り駅で降りることができず、山手線でぐるぐる回ったこともあるし、そのまま休んで上野動物園に行ったこともある。



ここで私のえらいところは、自分で完結せずに同期や他の上司に相談をしたことである。でも、上司らは口を揃えて「彼も彼で大変だから」と言って何も対処してくれなかった。まあ、今ならわかる、数年いて仕事ができる上司がいなくなる方が会社は困るし、彼からの被害を受けていない人が危険を冒してまで私を守るメリットはない。



そんな感じで、色々自分なりに動いたのだけどどうにもならず、結局就職してから半年で辞めた。最後にそれなりに大きい花束をもらい、あまりの白々しさにその場に叩きつけそうになった。捨てようとも思ったけど、花には何の罪もないから、知らない人にあげた。新卒の会社を半年で辞めてしまった自分に「なんて社会不適合なんだ」と焦りと絶望でいっぱいだった。



退職後は土日だけ働いていた接客の仕事を平日も入れてもらい、半年くらいそこでフリーターとして働いていた。社会保険はないから国民保険に入った。「新卒で入った会社を半年で退職」「正社員じゃなくてフリーター」も、親が知ったら発狂するから言わなかった。今も知らない。そもそも「自分はどう思うのか?」を差し置いて親目線で考えること自体健全ではないと、今ではよくわかる。



フリーターをしていた時に、アプリで元夫と出会った。タレ目で口が大きくて、可愛げのある人だなと思った。可愛さって、かっこよさとか頼り甲斐とか全てを凌駕するよね。つまり見た目がわりとタイプだった(元夫が不倫しはじめてからは、すっかり人相は変わったけど…)。「え、こんな可愛い人いる?こんな可愛い人が私を可愛い好き結婚したいって言ってくれるとか、これは本当に現実?」と、浮かれていた。



「この人とこれからも一緒にいたいし、相手も結婚したいって言ってくれてるから、相手の親にも安心してもらえるように安定した職に就こう!」と思って見つけたのが今の会社だった。こうして言語化してみると私の考え方ってすごく男性的な気がする。そういえば、「前世は男で、その影響を色濃く残してる」って言われたことある!合ってる!



で、こんな長々と書いてきて何が言いたいかっていうと、自分の問題を解決していない時にした選択(職業や人など)は、間違いである可能性が高い、ということ(自分の場合)。



誰かに好きになってもらうのは確かにとても素敵なことだけど、自分で自分を好きになること・自分を大切にすることを置いてけぼりにしていないか考える必要がある。元夫と付き合うことで、私は育ってきた環境で受けた傷や、これから先の不安に蓋をした。自分がしたいことではなく「彼の親に認められたい」という他人軸で職を選んだ。



だから、離婚も今回の転職も、「ちゃんと自分に向き合えた結果、以前の自分が選んだものが合わなくなった」ってことの表れだと確信してる。ポジティブ。



自分がどれだけ傷ついてきたか、どれだけ頑張ってきたか。それは他人にとやかく言われることじゃないし、比べるものでもない。私は自分の人生、本当にもがいてきたし、色々あったのに闇落ちしてない自分って超偉いし稀代の天才か…?と思っている。辛さや幸福度を誰かと比べても仕方ない、相対評価はどうでもよくて、絶対評価が○ならオールOK。



今だってままならないことがたくさんあるけど、そういう試行錯誤こそ人生の醍醐味なのかもしれない。転職にあたって色々な人に元気付けてもらったりアドバイスをもらったりしたので、当面は真剣に職探しを頑張る👊


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