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自分の人生は、自分で決めて自分で歩いていく。こんな生き方誰もできないからカッコいい。

1996年3月3日、横浜アリーナにワタクシはいた。

メキシコのボクサー、ダニエル・サラゴサと辰吉丈一郎の世界戦の取材に来ていた。

もう遠い昔すぎて記憶は定かでないのだけれど、横綱の貴花田なんかが辰吉の応援に来ていたのは覚えている。

辰吉は大阪帝拳所属。

当時のワタクシのいた会社は、読売テレビ関係のスポーツ取材は一手に引き受けてるところだったので、先輩についてよく取材に行っていたのだ。

もうちょっとした変化があれば取材に出るので、しょっちゅう通っていた記憶がある。

密着取材というものは、毎回スタッフが変わると、取材対象との関係もあるので、固定されることが多い。

同じ顔がいつもいると顔なじみなっていい表情とかいいコメントももらえるからだ。

そういうこともあって、いつも辰吉の取材に関わらせていただいていた。

辰吉の奥さんであるるみさんの実家の喫茶店、その近所の定食屋さん、自宅、ジムやロードワーク。

いろんなところについて行ったので、顔も覚えてくれていて、喫茶店でワタクシが飲んでいた飲み物をちょっとちょうだいって全部飲まれたこともあった。

辰吉の人柄がわかりますよね。

みんな好きになるのです。

こんなことも、よくよく考えてみると、ありえない経験。

ファンならお金を積んででも来たいところを、お金をいただいて取材していたわけだ。

当時は、興味がないというか、淡々とこなしていただけだった。

最近自分の過去を掘り起こしているのだけれど、冷静に考えて辰吉のそばにいて、いろんなことを感じることができたのは、まさにワタクシの財産だなと思う。

思うのは、今社会は、辰吉みたいな人が必要なのではないだろうか?

何が自分の前に病気が立ち塞がろうが、何が来ようが、3度も世界チャンピオンになるというその精神力。

今も確かボクサーされているはず。

今は、技術的に上手な人は多いが、このようにしぶとい人はいないと思うのだ。

もし、そんな人がいらっしゃったら教えていただきたい。

謝ります(笑)。

そんな意味でも、これに気づいたことは自分としても収穫であった。


下に、辰吉の言葉を自分の好きなやつだけ拾ってみた。

改めて眺めてみると、現場でも聞かされ共感するというものばかりだった。

ワタクシ自身、知らない間に辰吉先生に教えてもらっていたのだなぁとつくづく感じさせていただいた。

もしも、あなたがこれは分かるとか感じるところがあればぜひコメントしていただきたい。

辰吉丈一郎について話そうではありませんか。


俺は、人の通ったことのないところに行きたい。多くの人が見て、「あぁ、面白かった」というより面白くないかもわからんけど、これは誰も見ていないなというものに興味ある。
自分の考えを貫き通すとかそういうことではない。自分の人生は、自分で決めて自分で歩いていくということ。
俺は挫折をしたことは一回もない。挫折と失敗は違う。挫折は、根底から折れるということやから。
ホンマは僕は臆病者なんですよ。練習なんて大嫌い。でもやらないと、たまらなく怖くなってしまう。だから結局、トレーナーに怒られるほど練習してしまう。
壁はね、破られへん壁でも、やっぱり破らなアカンのです。
逃げ道を作りたくない。負けて次は何するとか、そういうのは考えてません。
自分がハングリーだとは思わない。なんかプライドがあるんですよ。一対一の殴り合いに。負けたらあかんという気持ちがね。
喧嘩はね勝つ気でやったら勝てるんです。だってボクシングと違って喧嘩は自分で負けと認めない限り負けはないわけでしょ。喧嘩に終わりはないですもん。まいったって言わなければ。
このバンタムで僕に勝てるのはいてないですからこれぐらい言わんとね。最近の日本人はオドオドしっぱなしなんだから。この際、ちょっと態度がデカイぞ、いうのんが生まれんとあかんでしょ。
このままでは終わりません。人間、終わりと思うたら終わりなんですよ。まだまだやと思うたらまだまだなんです。
上いこうが、潰れようが、それをみんなわかる方がええ。生き方としては、それこそ生まれてきた価値があるよ。
自分に勝たんことには相手に勝つことは無理やからね。自分に勝てん奴が相手に勝とうとする。そんなんは非常識な奴やね。その相手に失礼や。
しんどいやろうけど、自分が頑張るしかないということはわかってるんやろ。他の人間なんか気にすることあらへん。自分が正しいいうことを見せつけたったらええんや。
自分のスタイルを作り上げる。もっと華麗で、人が見てため息が出るスタイル。日本人ができひんようなスタイルを作っていく。自分で言うのもなんやけど、すごいんだわ。ほんまの辰吉は。
悔しいことに僕は自分のことが好きでしょうがない。大概の期待にも背いて、人を裏切り、人から見放されても、自分自身をよう見話せん。本当の自分がどんなもんかまだ見てないんや。
何度負けても最後に笑えばいい。負けたことで僕は何かを身につけた。それが何かはわからないけど。
欲しいものはない。ないかわりに希望するものはある。それは自分が強くなるのを見てみたいということ。
くじけそうになったら思いっきり自分をくさしてまう。自分が言われたら傷つくようなことを心の中で言い続けてね。そこで改めて、「俺はこんなところで立ち止まるような男やない。もっともっとすごいんや」って、今度は自分自身を褒める。
弱い自分を見るから強い自分を見て楽しいんや。弱い自分を見ておかなくて強くなれるわけがない。
チャンスは待つのではなく、自分で探して掴むもの。他の人とは考え違うかもしれんけど人は人、我は我。
3度、世界獲ったからええやろ?と世間は言う。数の問題やない。終わり方の問題や。辰吉は辰吉。自分の人生は自分で決める。明日の自分がどうなるか楽しみやんか。まだ見ぬ自分を見たいんよ。


これは超いいのでオススメします。

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魂の言葉 

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ジョーのあした

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