20年かけて現在も修行中。先達という生き方。
世の中にはいろいろな相談事を仕事として受けているような人がいます。
しかし、先日も男性弁護士が見ず知らずの男性の自宅に忍び込んで、履いているパンツを切ったとかなんていうニュースがありましたが、資格があるとか、勉強ができるという以前に、心とか魂の力を上げていく必要があるのではないかと考えています。
世の中には、言葉巧みに人に近づいてきて、私のアドバイスを定期的に受けないと、不幸になりますよとか、これを買わないと助からないとか、人の不安につけ込んでくる人が大勢います。
私も自己啓発でいろいろな団体を覗いてきましたが、あれ?と思ったところは距離をおいて、冷静に判断するように心がけています。
コンサルタント、コーチ、カウンセリング、法律の先生、占い師、おがみ屋など、言い方はバラバラですが注意するに越したことは無いでしょう。
そんな私も、社労士という人事労務の法律家であり、また、コーチングで相談を受ける身。
自分も常に心が揺れ動いている中で、いかに心を保ち、自分の魂を磨きあげようか日々努力を重ねています。
そんな中で、20年ほどかけではありますが、日本古来からある仏教の巡礼というものを利用して、心の修行を重ねてきました。
たまに、お遍路さんだとか四国八十八ヶ所とかの名前を聞かれることもある方もおられると思います。
私はその四国八十八ヶ所のお遍路さんを一度満願し、地元近畿の西国三十三所を七回満願しています。
これは、定年後にお年寄りがまわるものだと考えておられる方もいらっしゃいますが、死後の安泰をすがるような宗教的な捉え方ではなくて、心や魂を内省によって鍛えるという心のジムだと私は考えています。
昔からお寺や神社に参拝するというのは、日本人にとっては当たり前のことであり、手を合わせる事で傲慢な人の欲望を抑え、有り難さへの感謝であるとか、人への接し方につながるのではないかと考えているのです。
日本中どこの町にも必ず神社やお寺はあって、会費は要らず、お賽銭程度で心が整う。
こんな素晴らしいものはありません。
先達というのは、そういう心の整え方のアドバイスをする人なのです。
私は20年かけてまわってきましたが、今、日本では無宗教だとか、何も信じていないという人がたくさんいます。
たまたま、いい感じでサイクルがまわっている時はいいのですが、一旦空回りすると坂道を転がり落ちるようになってしまいます。
みなさんもニュースでご存知かと思いますが、まだ小さな子供さんをエアーガンで撃ったり、しつけと称してご飯を食べさせなかったりとで、結果として死なせてしまうようなことがあちらこちらであります。
何をしていいか、悪いかが各家庭や社会できちんとなされていないことによる痛ましい悲劇がこれからも広がらないようにするにはどうすればいいか。
先達は、そんな人々への水先案内人。
もちろん私の修行は生涯続きますが、少しでも人のために世のためにお役に立てるよう自分を成長させていきたいと今日も励んでおります。