【片付け】私にとってミニマリズムとは?
転勤族のあれこれ
家族で転勤を何度も繰り返す中で、強制的に時限爆弾に追われるかのように、いろいろな思いを整理してきた。ここでそんなことを、一度、振り返ったりしてみようかな。
次に決まった家のスペースの問題もあって、私にとって本当に大切なものもたくさん手放してきたこともあった。転勤族につきものの「人の強制的断捨離」もキツいものがありましたが、今ではもうネットでつながれるからそれほどの痛手はありませんね。
都会に住めば、趣味の楽器が置けなくなったり、ペットも飼えなくなったりして、身近な人に助けてもらったりしました。親切な友人に本当に感謝しています。今では、やっと念願の猫ちゃんと暮らしてます(*^^*)
せっぱつまった期限があると、ある程度、量は整理されるけれど、結局、判断がつかないものはパンドラの箱に入れたまま転居というものもあったね(^^;
最近では、実家の片づけが終わり、実家を処分して数年たちますが、結局、判断つかず持ち帰ったパンドラの箱がいくつかあります。思い出の家具や、たくさんの写真や思い出の品々が手つかずのまま。。これも結局、永久に置いておくわけにはいかないよね。
親のものを整理するときは、自分のものを整理するのとは、また別の悩みがありますね。自分にとって必要でなくても、誰かにとって必要かもなどと考え出すときりがありません。いっそ、その人に送りつけてしまおうか(笑)
そんな思いにきりをつけたくて、ミニマリズムに関する本をぼちぼち読んでいます。
「ミニマム(minimum)」と「ミニマル(minimal)」
ミニマムは、単に絶対量を減らすこと。これなら単純作業で、簡単にできそうですね。でも、機械的にバッサリやれば、きっとあとで後悔しそうです。
一方、ミニマルは可能な限り少なく、最低限を充足する量をキープすること。だから、自分にとって本当に必要なものを探し出して、身近に置いて、それを楽しむことが生活に潤いも持たせますよね。
単なるシンプルにバッサリと単純に量をやっつけるのではなく、自分が満足できる量を保てれば、当面はそれでいいのかなと思う。
自分の心が整理できる範囲で少しずつやっていけばいいんじゃないかな? 自分の価値観をとことん追求して、自分の心が豊かになる方向を探す過程は、本当に心が落ち着く。
同じようなものが2つも3つもあって、いつも迷っている、その迷いを断ち切るために。少しずつ、場所を決めて一つひとつのモノと対話していく。この作業が少しでも進むと、とても気持ちいい。
モノの整理は心の整理
「誰かにもらったから」とか、「誰かが似合うと言ったから」じゃなく、自分の価値観で選択する。たくさんあるからバッサリ捨てるじゃなくね、そのモノたちが本当に活躍できる方法まで探してあげるとすると、とても時間がかかります。ある程度はその辺の線引きも必要ですが。。。
でも、少しずつ、少しずつ、そのモノの生命をかなえてあげたい。
「自分にとってどうか?」という選択が入るので、自分が一度、選択したものには執着が邪魔をして、どうにもならない時がある。でも、人のものだったら、割と早く決断できるかな。
一つずつ、モノとの対話。
今、進んでいるのはモノではないけど、お庭の伸びすぎてしまった植物との対話。これをバサバサやるのも、生き物だけに、なかなか心が痛いもの。。。ごめんね~と言いながら剪定・・・そして、挿し木できるものは丁寧に挿し木。草取りにも良い気候になりました~♪
ミニマルを求める毎日はまだまだ続きそう・・・
そろそろパンドラの箱を開けて、心行くまで整理しなくては・・・
「誰とどんな生活がしたいか?」「何が大切なのか?」
そんな心の整理ができたら、一気に終わると思うよ。