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「小市民シリーズ」と米澤穂信の四季(2): 夏期限定トロピカルパフェ事件 - 夏は日常を離れて

※ テレビアニメ版放送に伴い、本記事は当面ネタバレ部分を含めて無料記事として公開します。
未読の方はネタバレ感想をご覧にならないようお気をつけください。

先行作についての記事を踏まえた内容となるため、まずはそちらをお読みください。


はじめに

さて、現在放送中のアニメ「小市民シリーズ」ですが、この「夏季限定」部分の放送が始まってしまいました。

ということで出すならこのタイミングと、課題本の読み込み・執筆をあわてて仕上げたのが今回の記事になります。
あたかも夏休みの宿題、ということで「夏季限定」という題材に妙なマッチングを見せつつも、急いで書いたせいで補習をブチ込まれないか不安になるばかりなのです。

それにしても、アニメ版は一体全体どんな内容になるのかが気になります。
というのも私が「よりによってアレをアニメ化するの?」と思ったのは主にこちら「夏季限定」のことですから。「春季限定」もなかなかのものですけども、あれはまだまだ小手調べです。

しかし、noteでチラッと「夏季限定」の感想・レビューを見ると「日常のなんてことない謎」だの「人が死なないから安心」といった文言が踊っています。これではまるで平穏無事なミステリのような……。

……私の読んだ本、何かとすり替えられてたんでしょうか?

とまあ、どうアレな作品かというのはまた後で。
今回もまずは別作品の話からはじまります。

夏は少し日常を離れて

今回の課題図書

  • 「ボトルネック」(2006)

  • 「夏期限定トロピカルパフェ事件」(2006)

さて、米澤穂信はこの時期から「日常の謎」から次第に離れ始めます。
そうした「日常離れ」を見せると同時に「青春ミステリの俊英」としての一つの到達点を見せたともいえる作品が、「ボトルネック」(2006)です(実際には「夏季限定」のほうが少し先に発表されていますが、ほぼ同時期ということで)。

しかしこれ、今までの作品とはかなり違った怖い作品です。

この作品の主人公・嵯峨野リョウはとある目的で行った東尋坊で崖から落ちて死んだ、と思いきや自分がいたのとは違う世界で目覚めます。というと異世界転生もののようですが、そう楽しい話ではありません。そこは元いた世界とそっくりの世界だけど当のリョウは不在、その代わり流産で産まれなかったはずの姉・サキがいる世界です。というわけでこれはパラレルワールドSFです。

米澤穂信の書いてきた作品は基本的に現実世界に立脚したミステリでした。ついでにいうと、基本的に「日常の謎」が中心となることで現実離れや非日常性が薄い作品だったと言えます。それが、ここに来て明確にSF的な特殊設定を取り込んできた。この設定から、まず日常性から離れていくような傾向が見えそうです(登場人物の名前が揃ってカタカナ表記なのも、この非現実性を強調したものだと思われます)。

当然生じる疑問は、「SFなの?じゃあこれのどこがミステリなの?」というわけで、これのどこがミステリとして成立しているのかというのが本作のキモになります。

さて本作を読了済の方しか分からない話になってしまいますが、本作の結末(の一部)は恐らくかなり早い段階で分かると思います。これはヒント出しすぎで真相がバレバレ、という「驚愕のどんでん返し」売りのミステリにありがちなアレではなく、「あること」が序盤から明快に次々と示されていくから必然的に分からされてしまうのですよ。それどころか、本を開くその瞬間からそれは仄めかされている。
本作の物語は、その「あること」を指し示す事実をひとしきり提示し続けていく過程を追ったものになっています。この構造ゆえに、本作はその「あること」を物語そのものが証明してゆく過程を追った本格ミステリである、と言えるのです。
と曖昧な言い方をすると軽い感じですが、その実はかなり恐ろしい作品です。中高生あたりの頃に読んだら人生観や人格形成に影響大だと思います。それは私が保証します。

隙あらば自分語りが始まりそうなので話を戻しますと、上記の主人公の「産まれなかった姉」嵯峨野サキですが、活発で行動的なヒロインとして描写されています。ということはこれも千反田えるやマーヤの系統でしょうか。
しかし一つ大きな違いがあります。サキは探偵役でもあるのです。
ここでも「氷菓」からある構造を再現するように見せて、かなり大きなズレを設定してある。

で、この作品の後半にはこんなセリフがじつに何気なく出てきます。

「(前半部略)やらないと後悔するかもしれないことをやらないのは、あたしの性分じゃないんだ」

米澤穂信「ボトルネック」(新潮文庫 232P)

これはその探偵役であるサキがとある事件の阻止に赴く際に口にする言葉なのですが、これまでの作品を思い返してみるとまさに衝撃的じゃないでしょうか。なんとこれは米澤氏の描いてきた消極的探偵とは真逆の、積極的に行動する名探偵そのものです。事件が起きちゃったから(起きちゃいそうだから)仕方なく、とかではないんですよ。

実際サキは進んで謎を解きます。主人公の考えていることは的中させるしある事件の真相も喝破するし、そして未来の事件の発生を阻止するため動いたりもします。
奇人変人とはいえないものの、語り手の鼻面をブンブン振り回し、自分も事件の解決や阻止に腕をブンブン振り回す、とこれは例えば御手洗潔あたりのアグレッシブな名探偵の系譜でしょう。明らかに今までの作品での探偵とは全く別の存在です。
だから、上記のセリフは多分無意識に書かれたものではないのだと思います。パラレルワールドものであるということから、自分の書いてきた探偵役と異なったパラレルなものを象徴的に登場させたようにも見えなくはない。

そしてその探偵の有り様がどんな影響を持つかというと、光があれば影もある、というわけで。
本作でもやはり、この名探偵による「推理」は、あくまで結果的・副次的にではありますが、「知りたくもない事実」を突きつける暴力性を発揮する。そしてここではその矛先の向かう相手は、主人公ただ一人なのですよ。
前述の通りその「知りたくもない事実」は、実は早い段階で(読者にも主人公にも)わかってしまっていることなのですが、ある理由で主人公はすぐにはそうと気づけない。「推理」は、結果的にせよそのわからないという逃げ道を塞ぎ、その絶望的な「真相」を眼前に突きつけるものとして機能する。
そしてそれが、いままで主体的であることから逃げ続けていた子供である主人公に、ラストに至ってとある主体的選択を、あまりに残酷な主体的選択を迫ることになる。
だからこそこれはヘタなホラーより怖い話でありつつも紛れもない青春小説でもあるのですよ。ウギャーーーー!

というわけで、この「ボトルネック」ではついに推理・真相の暴力性が、主人公自身を直撃する物語というところに至りました。SF的な設定の導入によって日常性からの離脱が見える一方、推理と真相のもたらす残酷性はより存在感を増しています。


「夏季限定」はこのような時期に書かれています。「ボトルネック」1作ではありますが、ここまでの作品と比べて特徴的なのは、より増した推理の残酷性(「知りたくもない事実」の切実さ)、そして日常の謎から次第に離れゆく作品傾向と言えるように思える。

では「小市民」シリーズはどこへ向かうのか。
前作では登場人物のある種の特異性が印象的なミステリとなっており、今作ではそれを踏まえてどんな展開が待っているのかと思わされるところなのですが、だがしかし……。

「夏期限定トロピカルパフェ事件」(2006)

【あらすじ】高校2年の夏休み。小鳩常悟朗は小佐内ゆきに「小佐内スイーツセレクション・夏」というスイーツ店・品物のリストと地図を渡され、夏休みの間にランキング1位までを一緒に回るという約束を取り付けられる。「ほとんど、男女交際」のような小佐内の態度に戸惑う小鳩だったが……。

ネタバレなし感想

エエ゛ーーーーーーーッ!?
この作品って……"アレ"だったの!?
と初読時はハチワレのように驚愕してしまった大問題作。

といっていると既読の方にも「何興奮してんだアホかコイツ」と思われそうですが、いやこれは私の思い込みである可能性大有りかもとはいえ、本作には前作からも予想だにしなかった「ある構造」が秘められているとしか思えないのです。
しかし、それはあくまで裏に隠された構造。そこまで誇張的に書かれてはいないためになんとなく読み終えてしまうかもしれません。その点についてはネタバレ感想の方で。

各篇について

前作に続き、作品はあくまでさらりと幕を開けます。

まず今回の設定は、夏休みと学校外というもの。「ボトルネック」ほど明確ではないですが、少しだけ日常から離れたものになっていますね。

そしてそんな夏休み、お話は小佐内が「スイーツセレクションの制覇に付き合ってくれ」と小鳩に持ちかけ、食い歩きがはじまるところから幕を開けます。おや、前作から打って変わってラブコメ展開?いやいやそんなはずは。
とまあそんなこんなが気になりつつ引っかかりつつも、前作同様作品は日常の謎的にはじまります。

・第一章 シャルロットだけはぼくのもの

小佐内からシャルロットを4個購入・持参するよう頼まれた小鳩だったが、購入できたのは3個だけ。
試しに食べてみたシャルロットの美味しさに惹かれた小鳩は、もう一つ自分が食べようとある隠蔽工作を考える……。

開幕いきなり、探偵のはずの小鳩が「犯行」に走るという倒叙ミステリが登場します。
突発的な「犯行」とその隠蔽工作がある種のユーモアと緊迫感を交えて描かれますが、その結末の付け方はシンプルかつ鮮やかです。

しかし、実はこれがあとから考えれば非常に重要な暗示も孕んだエピソードになっている……というのがクセ者です。

・第二章 シェイク・ハーフ

小佐内との約束まで時間の余った小鳩は、立ち寄ったハンバーガーショップで堂島健吾に出会う。知り合いの巻き込まれた薬物乱用グループについて調べているという堂島は、「連絡してくれ」という言葉とともに暗号めいた謎のメモを残していった。現れた小佐内を交えて暗号に取り組む小鳩だったが……

こんどは暗号ミステリか、あるいはダイイングメッセージものといった趣。
「春季限定」の「おいしいココアの作り方」に続き堂島が関わる謎となっていますが、やはり堂島らしい解決となっており説得力ある内容。

しかしこのエピソードの、作品全体における意味づけとしてはそれとは別に……という、これまた大胆な一作です。

・第三章 激辛大盛

小鳩を呼び出した堂島は、薬物乱用グループについての「泣き言」を聞かせる。グループから抜け出させようとしていた女生徒・川俣さなえに「邪魔だ」と助けを断られたという。

……ん?なにこれは。謎も推理もないですよ。
小鳩はついに推理を完全回避して小市民と化すことに成功したのでしょうか。いや、これはそうではなく……


ということでここからお話は急展開し、舞台は明らかな非日常の世界へと変貌してしまいます。この非日常への突入にあたり、探偵は有無を言わせず推理に関わることになる。
ここはタイムリミットサスペンス風になかなかの緊迫感で展開します。

しかし。
前作を読了済みの人にとっては、つまり「あること」を既に知っている人にとっては、展開する「大事件」よりも、気になることがあるはずですよね。
結末に至ってそれは見事に解き明かされることになります。そこが本作の最大の読みどころであり、シリーズの核となるものに通じるのです。

そしてその「真相」によって、このシリーズの世界観の正体、シリーズの妙な手触りを形作ってきた「互恵関係」、「小市民」といったワードの霧に隠されていた「ある構図」が衝撃的に姿を表すのです。


ここで少し前の話に戻るのですが、「ボトルネック」ではパラレルワールドという形で非日常的なものへの傾斜が見られました。一方で、本作はパラレルワールドのようなSF的・あるいはファンタジー的な設定が用いられるわけではありません。
しかし、最終的に明示されるその「構図」は、下手をすればもっと非現実的なものとも言えるかもしれない。
それによってこのシリーズに対して持っていた認識は粉々にブチ壊され、全く別個のモノに変質してしまうのです。
そしてそれは「ボトルネック」同様、作品全体(前作「春季限定」も含む)を通しての「証拠」が導くという構造を持っていることで、どうにも逃れがたいものとして突きつけられるようになっているわけです。

アニメ版について「どれだけふるいにかけられるのか」と気になっているのはまさにそれを含むラスト部分にありまして、ミステリ読者ならともかく、「『氷菓』大好き〜(*´꒳`*  )」というようなアニメの視聴者は、これに免疫というか耐性がないんじゃないか、と思ってしまうのは偏見ですか。

まあそこはどう作られるかにもよりそうなので、楽しみに待ちましょう。


とネタバレ無しで言えるのはここまでです。どこがどう問題作なのかはネタバレ感想にて。


ところで、しつこく余談が続くのですが。
この最後に明かされる本作の真相、あるひとりのミステリ作家とその作品を思い出す内容のものになっています。
と思って巻末の解説を見ると案の定同じ作家名が挙がっていた、のですが……未読の方への余計な先入観を防ぐために、ここではこの作家の名前自体を伏せます。
ですから未読の方は、文庫巻末の解説を先に読まないことをおすすめします。
それだけ、本作を一見しただけでは想像もつかない名前だし、名前自体出さないほうがいいと思うんです。
ただそれに関連して一つだけ。

こんなマニアックで特異な本格ミステリを、ほのぼのミステリだなんて、私は口が裂けても言えません。


ところで、以下のネタバレ感想では1つか2つ、一部の人しか知らないような妙な用語を意図的に入れてあることをご了承ください。
それは、本作がそういうマニアックなミステリであるからです。




!以下はネタバレ感想になります!
作品の詳細部分に触れるため、未読の方はお気をつけください。





ネタバレ感想

ということで、このシリーズは本作にてとんでもない正体を表します。
ですが、この正体が何であるかについては、段階を追って明かしていくこととします。

本作もまた表面的な雰囲気は前作から継承され「ほのぼのミステリ」ふうに開幕します。ということでまずは各篇について。

・「シャルロットだけはぼくのもの」

シンプルながらよくできた倒叙ミステリですが、一番の見所は全体の構図でしょうか。

倒叙ミステリとしての見どころはもちろんいかに「犯行」が露見するかにあります。
何かを拭くにあたって何を使ったのかを何気なく伏せる、という初歩的な「信用できない語り手」の仕掛けをしれっと使っているのが楽しいところです。

重要なのは、このエピソード全体の構図。小鳩が「犯行」に走ることから当然ではありますが、ここでは小佐内が「探偵」の役割を担い、小鳩と対決することになります。

そして、本書を結末まで読めば、ここで展開される「小鳩対小佐内」の対決の構図が、作品全体の内容を暗示しているということがわかります。
このエピソードは、メタ的な視点からも本作を読み解く上での最大のヒントになっているのです。

・「シェイク・ハーフ」

ズボラに見えて合理的といえば合理的、という堂島らしい、「地図の付け足し」という非常に即物的な真相は見事に決まっています。
そして「衝動的な探偵」らしく、別に必要もなさそうなのにわざわざ暗号を解こうとする小鳩の姿も「春季限定」に続いて印象的。
しかしその謎の解明は、あくまで表面的なもの。

全体の解決篇でも言及される(188P〜)通り、このエピソードで最も重要なのは、小佐内が登場することそのものです。
「約束の時間まで、まだ一時間はある」(71P)という描写から小佐内の登場までさほどの時間は経っていないと思われるため、小佐内がこの時間に何故かハンバーガーショップにいるという事自体がまず不自然になります。
しかしここで巧妙なのは、「小鳩を推理に焚き付けたこと」「小鳩が謎を解いた時に嬉しそうだったこと」という細かい伏線が作中では強調されていること。
これらはもちろん重要な伏線ではあるのですが、同時にそれが「小佐内がいること自体」という最大の手がかりを隠蔽するミスディレクションにもなっており、これに気づかない限り最終的な(本書全体としての)真相にはたどり着けないという、何ともいやらしい仕掛け(褒め言葉)です。


・「激辛大盛」以降

というわけで、ここから本作は長編ミステリとしての正体を現します。

と、いきなりなように思えますが、これ自体は前作の構造と共通した部分もあるんですよ。
前作「春季限定」の作品形式を「連鎖式」と書きましたが、連鎖式ミステリには前作のような「独立した短篇のように見えていた各エピソードが、最後に繋がりを見せる」というもののほかに、こうした「連作短編だったものが、途中から長編になってしまう」というタイプもあります。

ここで描かれる「小佐内"誘拐"事件」の発生により、物語はリアルタイムに進行する事件の只中に叩き込まれていきます。こうして舞台は日常を離れ、探偵は否応なしの推理に走らざるを得なくなります。


ただし。
そもそも、前作からの読者の比較的多くは、素直に小佐内の身を心配したりはしてくれないんじゃないでしょうか。

つまり小佐内が特異な「復讐者」であると知っている人であれば、小鳩の言うように "小佐内さんを信じぬく" (207P)ことができる人なら、小佐内が単に無為無策に誘拐されることはまずないだろうと察しがつくはずです。
むしろ、小佐内の目的――何をしでかすつもりなのかというところが気になるはず。

しかし、それに意識を向けたところでもまだまだ掌のうち、というのが本作の巧妙さです。
前作による先入観から、「誘拐されることで『復讐』の動機を得る」ことが小佐内の考え、などと思わされそうなところですがそれが思うツボ。描かれている構図はもっとずっと大きいのです。

この「"誘拐"事件」という前作から見ても大きな事件、作品序盤からの小佐内の不自然な言動、そして、謎を解かずにはいられない「衝動的な探偵」・小鳩という存在そのもの。
……そして、作品自体の、ラブコメくさい不可解な導入部
全ては小佐内の計画通りだったわけです。

「事件」は作品の開幕から既に始動して、常に進行し続けていた。
小佐内以外の登場人物の誰にも、もちろん小鳩にも、そしてもちろん読者にも認識されないまま。
結末で明かされるのは、そんな事実です。

本作のすべての要素が、計画通りに仕組まれた「復讐」そのものであり、あらゆるものを巻き込んだ遠大な「操り」の構図として浮上してくる。

ちょっと言い方を変えましょう。
本書「夏季限定トロピカルパフェ事件」自体が、初めから最後まで小佐内による一連の「復讐」を描いた長編小説だった。
そして、
探偵であるはずの小鳩はそのコマの一つに過ぎなかった。

そして、この事実が、本作の、本シリーズの、「正体」を表したものであると私は思います。
というわけで、ようやく本作の「正体」についての話になります。

彼と彼女と本作の正体

というわけで本作の「正体」について書くのですが、その前にもう一段階。
本作の正体を語るためには、まず小佐内の「正体」を語る必要があります。
……あれ?小佐内の正体は、前作で明かされたんじゃ?

まず、小佐内による大掛かりな「犯行」を整理してみます。

  • 自分に対する犯行計画の実行を誘導するため、内通者を利用して実行犯を操る

  • 自作自演の身代金要求により、略取から誘拐に罪状をランクアップする

  • バールストン・ギャンビット(= 自ら「誘拐」の被害者になる)により、疑いをかけ難い立場を得る

  • 小鳩 = 探偵を操り、推理をさせるように仕向けることで安全を確保する

  • 実行犯及び探偵の操りを隠蔽するため、表面上の長期的計画を設定する

  • 表面上の長期計画を「スイーツコレクション」とし、きっちりとスイーツも食べる

とまあ最後はともかく、ここまで徹底的かつ壮大な「犯行」をやっているわけです。
前作に引き続き作品の裏に大きな犯罪の物語があった――という作品の全体像は共通しているとはいえ、ヒロイン……であるはずの小佐内がこんなめちゃくちゃな、常軌を逸した「犯行」を、それも衒いもなく平然と実行していたというのにまずは衝撃があります。

ちなみに、前作「春季限定」の結末では、「小佐内の正体が明かされた一方で小鳩の過去は伏せられている」といった状況となっていました。なので次回作では小鳩が推理を自粛するきっかけとなった中学時代の事件が語られるのかもと匂わされてもいた。
しかし、それ自体も、伏せられた小鳩の過去に意識を向けさせることによる誤導だったのではないでしょうか。なにせ、本作では小鳩の過去についてはまるで触れられないのです。

前作で「復讐者」という正体を持っているという「真相」が示されたはずの小佐内。しかし、今作の結末に見える異様さは、単に「復讐者」とするにはかなり大きな逸脱を見せていると言える。

つまり、前作では、まだ小佐内は底を見せてはいなかった。
そして、今作に至って、小佐内の真の正体が判明した。
そう言えるのではないでしょうか。

では、小佐内が「復讐者」でないなら何なのか。それを考えるために、いくつか要素をあげていきます。
前作で既に明かされていたその見た目に似合わぬ行動力、特殊能力めいた「変装」、そして、手段と目的が入れ替わったような「復讐」という異様な行動原理。
そして今回見せた、探偵をも掌中に置いてあらゆるものを操ってみせた、完膚なきまでのトリックスターぶり。それに、自らの目的のためには法に背くことも厭わないその異様な思考回路……。

こう挙げるだけでも、真相の解明と、それによる秩序の回復を行う「探偵」であると(一応は)言える小鳩とは、完全に対立する存在であるといえることがわかります。

ゆえに小佐内は、まさに「名探偵」に対する「名犯人」である……

おっと。

これはちょっと違いますね。ニュアンスが違う。
犯罪者然としたそんな呼び方は相応しくない。小佐内は犯罪を目的とはしないですからね。
特異な掟に基づいた「復讐」を愛し、スイーツを同じくらい愛する独自の価値観。そして、探偵をも翻弄するトリックスター。
そんな、小佐内の有り様にふさわしい呼び方は、おそらくーー

ーー

ーー

ーー

ーー「怪人」




……何いってんだコイツ。
と思われるでしょうか?
でも、これは実は前作の時点でとっくに明らかだったんですよ。

作中で何度も小佐内の行う「変装」。
これは一見コスプレみたいに見せてはいますが、完全に怪盗ルパンや怪人二十面相の七変化と同等のものです。

そして独自の理屈による、趣味としての「復讐」。
常人には理解不能のその行動原理、それも今回明かされた法ですら踏み越える無法のやり口。
それは自分だけが定めた掟に基づき、趣味同然の犯罪を行う、怪盗・怪人のそれとかわりはありません。

変装して暗躍し、無法の「復讐」を行う神出鬼没の怪人
それが小佐内の正体です。
その「真相」は前作から、あまりに露骨に示唆されていた。

「探偵と、変わったタイプのヒロイン」という微妙な感じに見えていたこの2人のコンビも、この結末に至り本当の姿を明らかにしました。
それは、「名探偵と怪人」のコンビ

かくして本作は正体は、ついに明らかになりました。



これは、「怪人対名探偵の物語」なのです。



あばよ、とっつぁん

アア、読者諸君、これが一体本当のことでしょうか。盗賊が探偵を出迎えるなんて、探偵の方でも、とっくにそれと知りながら、賊の誘(さそい)にのり、賊のお茶をよばれるなんて、そんな馬鹿馬鹿しいことが起り得るものでしょうか。

江戸川乱歩「怪人二十面相」(新潮文庫Nex 130P)

「名探偵」小鳩と、「怪人」小佐内の対決。
本作が見せるその真の構図は、小鳩が最後に打った推理によって、ここに明らかになりました。

そしてこれこそが、小鳩の推理がたどり着いてしまった、このコンビにとっての「知りたくもない事実」でもあるのです。探偵と怪人が相容れるはずはない。故にコンビは解消せざるを得ないのですよ。

ここが「ボトルネック」と印象を同じくする部分なのですが、このたどり着いてしまった真相というのが主人公を直撃し、そのアイデンティティーというか、従来の有り様を根底から崩壊させてしまう。そのようなより切実さを増した真相の暴力性、という一つの方向性がここには見られると思うのです。

と、本書を素直に読んだ限りではこれは誤読に見えるかもしれません。
というのも本作結末における「互恵関係」解消のやり取りにおいては、小佐内はこんなことを言っています。

こんなにも嘘ばっかりなんだもの。……わたしたちが『狐』であり『狼』だっていうのも、きっと嘘なんだわ。だってほら、小鳩くんはこんなに騙されたし、まだ間違ってる。
(略)
そして、わたしもわたし。わたしの計画は、こんなにも見抜かれた。わたしたちがとっても賢い『狐』でも『狼』でもないんだとしたら、『小市民』になろうっていうのも嘘なんだとしたら
(略)
残るのは、傲慢なだけの高校生が二人なんだわ……

米澤穂信「夏季限定トロピカルパフェ事件」(創元推理文庫 226P〜228P)

バッサリとした切り捨てです。
しかし、これだけの「犯行」と「推理」の応酬を見せられて、この2人が「『狐と狼』=『名探偵と怪人』ではなく『傲慢なだけの高校生』」とあっさり納得することができるかどうか。

私の考えは、ちょっと違います。
ここで、小佐内が「嘘」といっていることを少し言い換えてみましょう。

  • 怪人は、名探偵の裏をかいて犯行を達成してみせた。

  • 名探偵は、怪人の企みを最後には見抜いてみせた。

それだけです。お互いにお互いの上を行き合っただけのこと。
これが嘘なら、明智小五郎と怪人二十面相も嘘であり、ただの傲慢な成人男性が二人になってしまうじゃないですか。まあ、そうかもしれないけど。

では、ともう少し考えてみます。
それが「嘘」とされたのは何故なのか。
言い換えれば、小佐内にとって二人は「狐と狼ではない = 本物の名探偵と、本物の怪人ではない」とされてしまうのは何故なのか。

と頭を抱えたところで、先程引用した「怪人二十面相」新潮文庫版を見てみます。
すると、解説で辻村深月がこんなことを書いているじゃないですか。

この本の中には、スーパーヒーローが二人、対等に存在しているのだ。一人は、言わずと知れた名探偵の明智小五郎。そして、もう一人が悪者のはずの二十面相。二人の力は、それがお話の中のことだからといってどちらかが絶対ということがない。拮抗している。明智さんには明智さんの正義があるし、二十面相には二十面相の正義がある。

辻村深月(江戸川乱歩「怪人二十面相」解説, 新潮文庫Nex 217P、強調は引用者)

なんと全部説明してくれてます。というわけで都合よく乗っかりましょう。

辻村氏の言う通り、二十面相シリーズのような(他にはリンカーン・ライムシリーズ等でもいい)、「怪人対名探偵の物語」における名探偵と怪人は対等であり、どちらも絶対的存在ではありません(最後には探偵が勝つのが普通ではありますけどね)。

「名探偵」小鳩と「怪人」小佐内の関係も、本書を読めばわかるように力が「拮抗している」存在です。それを示すように、冒頭「シャルロットだけはぼくのもの」では推理においても小佐内が小鳩を上回って見せています。
だから、小佐内にとってそれが「嘘」のように見える理由はごく単純。
二人が対等で互角だから

神出鬼没の怪人がいれば名探偵の推理は絶対ではなくなる。
神算鬼謀の名探偵がいれば怪人の奸計は絶対ではなくなる。
名探偵と怪人とは、お互いがお互いを、ホンモノではなくする関係。
小鳩は小佐内を「嘘」に、小佐内は小鳩を「嘘」にしているのです。

「怪人対名探偵の物語」は、対立する対等な存在の対決という形で、作品世界の特権的地位である「勝者」――すなわち、「ホンモノ」の座を名探偵と怪人が奪い合う物語であるといえます。
だから、名探偵と怪人は必然的に対立し、相容れる存在ではない。その二名の間に、互恵関係などは成立し得ないのです。
お互いが完全にベクトルの異なる存在であることを知った二人は、あるべき別々の存在に戻らなくてはいけない。

おっと、そうだ。
言い添えておくと、もちろん小佐内の言うことは部分的には間違いなく正しいです。
傲慢でない名探偵など居ないし、傲慢でない怪人など居ないということは自明のことですからね。


また、この「真相」はもう一つ重要な示唆を持っています。それが、日常性からの逸脱から連なる、人工的世界観の提示です。
名探偵と怪人。まるで古典も古典の本格ミステリ――いえ、探偵小說的構図ではないですか。この作品の結末では、ほのぼの系日常の謎のそれと見えていた世界観が、実際には名探偵と怪人の対決を描いた人工的な本格ミステリ的構図を偽装したまやかしだったと判明したといってもいい。

これが、このシリーズの各作がなぜお菓子の名前をタイトルに掲げているかの答えを秘めています。
そんなあきらかにクセの強い具材を、甘ったるいお菓子のような・・・・ガワにくるんで仕上げた、おかしな・・・・ミステリ。
それがこのシリーズだと、ここでわかるのです。
(こうした特異な性質については、続く「秋季限定」の方でも少し言及します)




と、ネタバレなし感想で微妙な書き方をした「本作を読んで思い出す1人の作家」の話を蒸し返しましょう。
この連鎖式の作品構造、作品全体を支配していた衝撃的な「操りの構図」……とこの作品を構成する2つの要素を並べてみると、ミステリオタクの頭には、あるミステリ作家の名前が浮かんでくるじゃないですか。
文庫解説にも書いてましたので、ネタバレ感想のほうには名前を書いてもいいでしょう。

本作は、山田風太郎の作品を彷彿とさせるのです。

山田風太郎というのはあの忍法帖シリーズの山田風太郎ですよ。アニメの方の視聴者にもわかりやすく言うと「バジリスク」の原作者です。

解説の小池啓介氏はなんとも平然とこの名前を書いてしまっているのがミステリオタク以外には非常に不親切なのですが、エログロ奇想伝奇小説の書き手のように思われがちな山田風太郎は、日本ミステリ史上でも重要な位置を占めるミステリ作家です。
なにしろ、「連鎖式」という作品形式を発明し、「操りの構図」の扱いにも日本ミステリ界で最も先駆的に取り組んだのが、何を隠そうミステリ作家・山田風太郎なのですよ。

ということで、私が本作から思い出すのがその山田風太郎の作品、特に以下の2つです。

  • 長編化する連鎖式ミステリ」という構成を編み出し、さらに「"ヒロイン=犯人"が探偵を操る」という異様な操りの構図を見せる歴史的大傑作「■■■■■■■■■■■■■」

  • 常軌を逸した「復讐」の計画進行に沿った「操り」の構図を、その「復讐」の存在自体を表向きの物語の裏に最後まで隠蔽して進行する異形の傑作「■■■■■■■■■■■■■」

どうでしょう!本作にはこれらの作品の要素がそっくり盛り込まれているじゃないですか!
と思わず作品名をズラズラ書いてしまったのであわてて伏字にしました(バレないように文字数も適当です)。まあ分かる人はわかります。

それにしても傑作!傑作!と語彙力低下は深刻、このままではケケケと鳴くバケモノになりそうな状態ですが、山田風太郎は傑作ばかり書いているから仕方ないのですよケケケケケケ。

さて、上の書き方では本作をパクリ呼ばわりしているようなので念の為補足すると、本作の特質はそのアレンジの仕方にあります。
上に挙げた山田風太郎の両作ですが、どっちもクセがすごいんじゃ。と内なる千鳥ノブが顔を出すのですが、しかしそれを基にしたと思われる本作は、衝撃的内容ながらもあくまでさらりと口当たりがいいものに仕上げてあります。クセがあんまりないんじゃ(ちょっとある)。

ともかく、「ほのぼのミステリ」とか「スイートでちょっとビターな学園ミステリ」というような「ガワ」をもった本作と、山田風太郎ほど似つかわしくない名前もないでしょう。平穏な学園に突然変な忍者が乱入してきたら困るじゃないですか。
ですが上記の通り本作の「正体」は、山田風太郎にオマージュを捧げたとしか考えられないマニアックな本格ミステリなのです。

「怪人対名探偵」という秘めたる人工的世界観の提示、さらにその人工性をより強調するかのような――つまり新本格ミステリ的とも言える――先行作家・先行作品へのオマージュ。
軽いお菓子のような本作の内側、いわばパイ生地を何層もめくったところに見えてくるのは、そんな毒々しいフルーツです。

これは米澤穂信の次に向かう地点を示していた……なんていうのは考えすぎでしょうか。流石にちょっと先走り過ぎでしょうか。
でも、私はそこまで的外れではないと思ってますよ。何しろこの翌年に発表された作品が、「インシテミル」ですから。




ところで。ちょっと問題を捉え直して見ましょう。本当にこの二人のコンビは成立不可能なのでしょうか?
2人の「互恵関係」は、以下のようなものでした。
小鳩は小佐内の復讐にブレーキをかける。
小佐内は小鳩の推理にブレーキをかける。
すなわち、

探偵は怪人の犯罪を阻止する。
怪人は探偵の推理を妨害する。

おやおや、これは、実はごく自然な関係なのではないでしょうか?探偵と怪人というのは、じつは本来的に互恵関係にあるのかもしれない。

というところで、次作に続くのです。

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