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【ホラー感想】堕ちる/慄く 最恐の書き下ろしアンソロジー

前に一つだけレビューして↓放置していたシリーズ。

今回残り2つおまとめセットでの感想になります。


ネタバレなし感想

『堕ちる』収録作

全体の評価はこちら。

  • あなたを連れてゆく/宮部みゆき✩✩

  • 竜狩人に祝福を/新名智✩✩✩✩✩

  • 月は空洞地球は平面惑星ニビルのアヌンナキ/芦花公園✩✩

  • 函/内藤了✩

  • 湯の中の顔/三津田信三✩✩✩✩

  • オンリー・ユー かけがえのないあなた/小池真理子✩✩✩

ベストは「竜狩人に祝福を」。
個人的な評価ですが出来の温度差が激しめな感じ。

個別の感想は✩✩✩以上の一部作品のみになります。
ネタバレあり感想がある作品は★マークを付けました。

竜狩人に祝福を/新名智 ★

【あらすじ】ドラゴン達により支配された世界。かつて英雄・ハロルドによりドラゴンは退けられるが、今再びドラゴンは舞い戻ったという。「きみ」はドラゴンを打ち倒す竜殺しとなるべく、今旅立つのだ。

手法・形式を思わぬ形で活用した傑作。

本作は何故か、ゲームブックの形式で書かれています。
ゲームブックは番号の付された文章が順不同に並び、選択肢によって所定の文章に移動を繰り返してお話を進める形式です。
要するにノベルゲームの遠いご先祖みたいな存在ですね。
はて、なんでホラー小説がこんな形式になっているのか。

こういうゲームはまず攻略情報なしに進めるのが一番です。
ゲームの難易度はそれほど高くないので、気軽に挑戦してみましょう。
この世界の秘密が次第に明かされていきます。

さて、
ゲームを1度クリアしたという人も、ぜひ2周目をプレイしてみてください。
1周目で通らなかったルートも見てみると楽しいですよ。
2周目だから、ちょっとズルをしてプレイしてもかまわないでしょう。

そうすれば、この作品がなぜこんな書き方をされているかがわかる……はず。

一見ネタっぽいのに、実はかなりロジカルな計算の元に書かれた作品です。何よりこのアイデアは素晴らしい。

本作が読めただけでも、『堕ちる』を買った価値はありました。
ということで読み逃していた作者のデビュー作『虚魚』を買いました。ちょろいですね。


湯の中の顔/三津田信三 ★

【あらすじ】三津田信三は知人から、叔父の語った話としてある怪談を聞く。それはある古典作品と似ているが、同時に奇妙なリアリティを感じるものだった。
***
肩の痛みを癒すため湯治場を訪れた作家の哲太郎。夜に温泉に入る彼の前には、生首のように顔だけを出した老人が毎夜現れ怪談を語った。老人が人ならぬものではないかと精神的に追い込まれた哲太郎は、老人が住む山小屋を探すが…

導入部はいかにもな三津田信三という感じ。
開幕からネタ被り・パクリにまつわるミステリうんちくを垂れつつ、実話怪談論へ繋げるあたりはエッセイ的にも面白いところです。

本作はいつもの三津田信三シリーズのようなメタフィクションというわけではなく、30周年記念豪華怪異の贅沢セットを三津田氏が堪能、という展開を期待したらそこは拍子抜け。

後半の怪談は独特の雰囲気と奇妙さが醸成されており、終盤の急展開もなかなか読ませるものになっています。
ミステリ要素は見当たらないものの、よく考えると……?というところもあり。
なかなか「三津田信三らしい」作品に仕上がっていると思います。

で、メタフィクションでないのに三津田氏がなぜ登場するかというと、
前半に置かれた導入部が、後半の怪談のコンセプトをメタ的に語る形になっているからでしょう。

この観点を持って読んでみるとなかなか興味深い作品でした。詳しくはネタバレ感想で。

なお、私はこれの冒頭を読んでちょっと前のレビューネタを思いつきました
どれのことかは秘密ですよ🐍🐍🐍===3


オンリー・ユー かけがえのないあなた/小池真理子

【あらすじ】司法書士事務所に勤務する"わたし"は、故人の居宅整理に向かう途中で奇妙な神事らしい集まりを見る。仕事先の大家にその出来事を話すと、大家は何故か激昂を見せる。以来その話題を避けるようにし、"わたし"は大家と再婚相手の若い妻、その子供たちと親交を深めるが……

30年前を回想する形式の作品、ということでさりげなくホラー文庫30周年を題材にしています。
これはベテランの余裕でしょうか。

ホラーというか怪談話で、"わたし"の柔らかさのある語り口により独特な味わいの作品になっています。

結末は予想がつきやすいものですが、"わたし"の境遇とそれが重ねられることにより心理小説としての味わいが強いものになっている印象です。

語り手が30年の時を経たこともあり、物語には諦観と寂莫感があり、何とも言えない読後感を残します。

【「堕ちる」全体として】

全体としてはこのシリーズの中ではちょっと堕ちる…じゃなかった落ちる印象。ただ「竜狩人に祝福を」だけでも読む価値ありです。



『慄く』収録作

『潰える』『堕ちる』が8月刊の一方、何故か遅れて12月刊だった曰く付きのブツ。怖いですね。

それはともかく全体の評価はこちら。

  • アイソレーテッド・サークル/有栖川有栖✩✩

  • お家さん/北沢陶✩✩✩✩✩

  • 窓から出すヮ/背筋✩✩✩✩

  • 追われる男/櫛木理宇✩✩✩

  • 猫のいる風景/貴志祐介✩✩✩

  • 車窓/恩田陸✩✩

ベストは「さん」。

ベテラン組はやや低調で、若手の作品がパワーを見せている印象です。

個別の感想は✩✩✩以上の一部作品のみになります。
ネタバレあり感想がある作品は★マークを付けました。


さん/北沢陶 ★

【あらすじ】少年・長吉が奉公をはじめた和薬問屋の当主の母・"お家さん"。長吉は彼女に気に入られ、当主の娘"嬢さん"の我儘などに晒されたときに慰め庇ってもらうなどするうちに彼女を慕うようになる。
そんななか起こったある事故をきっかけに、長吉はお家さんにまつわるあることに気づくのだが……

巧みな文章力に、ホラー・ミステリの巧妙さを融合した傑作。

本書中で唯一の時代小説(明治〜大正の時代設定)で、まずは古風な関西弁を駆使した雰囲気ある文章が目を引きます。
これ自体は作者の作風でもあるようですね。

タイトルになっているキーパーソン「お家さん」も独特な個性を持つキャラクターで、結末まで強烈な存在感を見せてくれます。

北沢氏はイギリスで英文学を専攻した経歴を持ち、そうした出自だけ考えるとこうした時代小説風の作品がでてくるのは意外かもしれません。
しかし本作、実は英国怪奇小説を思わせる部分があるように思います。
ホラー要素の見せ方は怪談というよりサイコロジカル、あるいはニューロイックな印象が強いものと感じました。

そんな怪奇描写も興味深い本作ですが、結末は別の意味で印象的。
重大な要素と仕掛けが大胆に仕込まれているのですが、それが巧みな文章で描かれることで違和感を感じさせません。
そしてそれが明かされる瞬間が非常に鮮やか。

詳しく書くとネタバレになるため、以降はネタバレ感想で。


窓から出すヮ/背筋★

【あらすじ】デビュー間もない怪談作家・瀬野は、編集者に「実話怪談を自分の視点で再解釈した物語を読みたい」と伝えられる。自分の体験や人から聞いた話を大きく脚色せず、いわば「物語」として不完全な作品しか書いてこなかった瀬野は、どのように「物語」を書くべきか悩むが……

「近畿地方のある場所について」が個人的にイマイチだったのでさほど期待せずに読んだのですが、これは面白かったです。

作品の書き方に悩む作家の姿を軸に、その作品となる怪談小説を織り交ぜた本作はいわばメタ実話怪談といえます。
本作で興味深いのは、実話怪談を加工された創作物として明確に扱っている点かも知れません。

そうした点もあり、本作は実話怪談というジャンル小説に関する問題意識も伺える作品になってます。
この問題意識については、メタ/アンチミステリの某古典作品に通じるものを感じました。

ある意味では、アンチ実話怪談といえる作品ではないかと思います。

詳しくはネタバレ感想で。


追われる男/櫛木理宇

【あらすじ】パワハラ上司に風俗店に付き合わされた"あなた"は、風俗嬢を巡って見知らぬ男と上司がトラブルを起こす場面に居合わせる。その後、男は風俗嬢を殺害して逃亡し、自分も巻き込まれないかと怯えていた上司も不可解な失踪を遂げた。そして"あなた"も背後に生臭い息遣いを感じはじめ…

古くは「ターミネーター」とかもっと古くは「激突!」(多分もっと古いのもある)のような、「ヤバい奴が追いかけて殺しに来る」お話。

あまりに下世話な発端はほぼギャグなのですが、これが実は結末ともしっかり結びついているのがいい。

結末は予想がつきやすくなっていますが、それでも座りの悪い印象を残す効果的な幕引きは印象的なものとなっています。

なお、本作は「あなたは〜」という二人称で記述されています。
正確な理由はわかりませんが、結末を含めてこれが独特の効果をあげています。


猫のいる風景/貴志祐介

【あらすじ】二匹のノルウェージャンフォレストキャットと暮らす映像作家・篠崎は、姪の翠の訪問を受ける。
とりとめもない会話は次第に、次第に翠の自殺した姉・伶美の話に移っていき……

タイトルはほのぼの動物小説みたいですが、内容はというと二人の腹の探りあいを描く会話劇。

シチュエーションからは、連城三紀彦のミステリを思い出します。
と思っているとさらっと貴志祐介っぽい展開に移っていくのは面白い。
オチは予想がつきやすいものですが、過程にはなかなか緊迫感があり、また細かなロジックも決まっています。

しかし、セリフ等の文章がところどころ異様に古臭いのは何なのでしょうか。貴志祐介ってこんな文章でしたっけ。


簡単に全体の感想を。

個人的な好みでは「慄く」のほうが楽しめました。
これは私がミステリ好きで、趣向を凝らしたミステリ色強めの作品が並んでいる点が大きいでしょう。

ホラー色の強い作品が好みの方は「堕ちる」、ミステリが好きな人は「慄く」が気にいるかも知れません。


あとはネタバレ感想です。



!以下の部分にはネタバレが含まれます!
作品の詳細部分に触れるため、未読の方はお気をつけください。




ネタバレ感想

『堕ちる』収録作

竜狩人に祝福を/新名智

ゲームブックのファンタジー世界が「きみ」の妄想であり、現実には殺人に向かっていることは見えやすく、エピローグ自体は予定調和でしょう。

そして、本作の価値はその後にあります。

さて、これはゲームです。
1度クリアしたら、通らなかったルートも見てみたくなりますね。

といっても普通のゲームのようにフローチャートやチャプター機能はないので、ここはチートを使っちゃってもいいでしょう。
つまり、選択肢関係なしに頭からペラペラめくってみるのです。

すると、見覚えのない文章が見えます。

  • 精神科医との対話(2→11→13)

  • 母親の信仰したカルトと伝道について(6→15→23)

  • ティムとの出来事(9→18)

  • 警察への通報記録(21)

これらを読むことで、"きみ"が持つ幼少期のトラウマ、母親への憎悪、そして竜狩人の物語を作り上げた経緯といったものが明確になります。
ここに、 物語の外の現実 が覗いているわけですね。

ゲームブックをそのままプレイするだけではそれがわからない。
というわけで、本作がゲームブックである理由がわかりましたね。
これらの文章を、存在させつつ隠匿するためです。

"きみ"の隠したい、あるいは認識したくない事が、"きみ"の作り上げた物語の中に入ることはありえない。
しかしそれは厳然として存在する。
だから、存在しながら隠匿される。

それを本作は、ゲームブックという形式をある種悪用することで、そのままの形で見事に表現しています。

自己の認識するまやかしと、認識されないが確実に存在する現実。
ここにゲームブックという道具を持ち込むアイデアも秀逸ながら、その完成度も極めて高い傑作です。


湯の中の顔/三津田信三

前半部では前置きとして、"N"の叔父が語った話が田中貢太郎『竈の中の顔』に類似しているという話が語られます。
これは要するにメタ的な「元ネタ」の明示であり、後半部が『竈の中の顔』を三津田信三流にアレンジしたお話であるという意味でしょう。

「それなのに最後まで読むと、逆に創作臭さを覚えてしまう
(略)
それに比べると叔父さんの体験は最初から最後まで、どうも本当のように思えてならないんです」

P276, 277

というあたりをみると、よりリアルになるようブラッシュアップしたと言いたげですね。

では両者を比べて、本作がどんなブラッシュアップをされているか考えてみましょう。

以下では田中貢太郎『竈の中の顔』の内容に触れますのでご注意ください。
青空文庫で読めるので読んでおきましょうね。




さて、『竈の中の顔』の大まかな流れは次のようなものです。

  1. 主人公の居る温泉宿を僧が訪れる

  2. 僧は山小屋に住んでいると聞く

  3. 山小屋に行くと、竈の中から生首が現れる

  4. 更に、仏壇の中に奇妙な仏像と生首を見つける

  5. 温泉宿に帰ると、その僧について話してはいけないと言われる

  6. 温泉宿から帰ると、子供が首を切断されて殺害されていた

一方、本作『湯の中の顔』はこう。

  1. 主人公が湯治場に行き、生首のように見える老人と出会う

  2. 老人は山小屋に住んでいると聞く

  3. 山小屋に行くと、少女の生首が現れる

  4. 更に他の小屋で女、老婆の生首が現れ、生首に追われて逃げる

  5.  

  6. 温泉宿から帰ると、叔母が銭湯で首だけを出す格好で死んでいた

たしかに枠組みをみると似てますね。
ですが一つ違いがあります。
5. 温泉宿に帰ると、その僧について話してはいけないと言われる」にあたる部分がない。
(上記で5.を空欄にしているのはこのためです)

「竈の中の顔」のポイントのひとつは、この「怪異について話をすると被害を受ける」という部分でしょう。
いわば怪異にルールがあって、ルール違反にはペナルティがある。

「5. 温泉宿に帰ると、その僧について話してはいけないと言われる」は、そのルール説明です。

ということは逆に言うと、ルールがわかることで対策がはっきりしている。
このあたりがご都合主義っぽいといえばそうでしょう。
「最後の部分で感じる創作臭さ」というのはこの部分のような気がします。
いや違うかもしれんけど。


比べて、本作「湯の中の顔」では、このルール説明の部分がありません
ルール説明を排除することで、怪異がより理不尽なものになっています。
たしかに、この手の怪異ならルール無用な方がリアルかもしれませんね。
もしルールがあるとしてもそれは推測するしかない。

こうした結末での宙吊り感が、原作「竈〜」と比べて現実の奇妙な体験のようなリアリティを構成しているといえそうです。

また、「竈〜」で最後に死亡する子供は、明らかに殺害されたものです。
対して「湯〜」では叔母の死が怪異によるか、タイミングよく自然死したのかもわからない。
というのもリアルと言えるでしょう。


と、もう一つ着目するポイントがあります。
その叔母の存在です。

結末では、導入部で出たきり露骨にスルーされていた、叔母の渡した封筒の存在に触れられます。
叔母は哲太郎に湯治場を紹介し、「✗」マークだけ書かれた手紙が入った封筒を渡した。
当然、叔母は生首爺にこれを渡させるつもりだったと推測される。
これの存在により、お話の枠組みが大きく変わります。

「竈〜」結末の子どもの死は、ルール違反に対するペナルティでした。
では「湯〜」ではどうか。
哲太郎の行動にルール違反があり、叔母が死んだのがそのペナルティ…とは考えづらい。

叔母は「✗」マークの手紙を誰かに渡そうとした。
しかもそれを、なぜか何も知らない哲太郎に実行させようとした。
その前提を置くなら、何らかのルールに従って何かを実行していたのは叔母だと考えられます。明らかに変ですからね。
(こんな形で本格ミステリにおける「操り」テーマがさりげなく登場するのがまさに三津田信三)

そのどこかにルール違反があり、叔母は死んだ……のかもしれない。
おそらく叔母はルールについて何か知っていたと思われますが、哲太郎は何も知りません。

ということを考えると、結末で哲太郎が風呂キャンセル界隈入りしてしまうことが理解できますね。

哲太郎はルールを知らないので、当然何がルール違反となるかもわからなかった。
また、叔母が「操り」をした……というか恐らくは、しなければならなかったことを考えると、
何か自分にもルールが生じているかもしれない。

しかし、ルールの推測に使えるのは、叔母のケースの限られた情報だけ。
そこから入浴することがルール違反に絡むと推測し、入浴自体に怯えることになったと考えられます。

Nの話からすると、結局ペナルティはなかったようではあります。
ならルール違反はなかったらしい、と考えると、やっぱり何がルールなのかわからなくなってきますね。


こう考えると、本作は元ネタ「竈〜」にあったルールの明確さを徹底的に排除していることがわかります。

このあたりは緻密かつロジカルな作り、つまり人工的でありながら、理解が及ばない怪談としての一種のリアルさも生じています。

ミステリ的手法を活用してロジカルに不可解な状況を作り出す、というわけでこの点やはり三津田信三らしい一作です。


ところで後半読んでて思い出したんですが、生首に追いかけられるパートがコイツに似てないですか?

これ元ネタ?でなきゃカブりですかそれともパ…
🙃<あ゛


『慄く』収録作


さん/北沢陶

本作が時代小説として書かれているのは、おそらく結末の仕掛けから逆算したものと考えられます。
というのは本作、本質的には特殊設定ミステリに近いからです。

長吉は早い段階で「お家さんには予知能力がある」と結論づけます。
物の怪とかの発想にならないあたりが最初は意外でしたが、それは本作が特殊設定ミステリだから当然なのです。
特殊設定は始めに明示しなければアンフェアですからね。

時代性のある描写にそこまで寄りすぎないようにしている印象があるのはそのためのように思います。

ミステリとしての本作の核はホワイダニットです。
予知能力者のお家さんが、長吉を可愛がったこと。
それはなぜか。

カタストロフのなかで明かされるその理由は衝撃的ながら、
予知能力はあるが、他の能力はないお家さんが取り得る大量殺人の方法としてはこれしかない、
という固いロジックが成立するのが素晴らしい。
(亡霊が語る「どうして言わなかった」という言葉は、本作がホワイダニットのミステリであることを暗示しているものでしょう)

また、本作がなぜ時代小説として書かれたか、一方でいつの時代の話かは示されずにいたか、それが最後の1文フィニッシング・ストロークで明かされる点も非常に鮮やかです。

もちろん、能力の制限のなかで気の長すぎる復讐を遂げたお家さんの存在感も素晴らしい。
ミステリの仕掛けとホラーの特殊設定により、意外な結末と同時にこの人物像が強烈に表現されています。


窓から出すヮ/背筋

結末で瀬野はいくつかの怪談をツギハギにして「物語」を構成し、そこに現実の殺人事件を結びつけてしまいます。

これは作中で指摘される通り不謹慎と言えるでしょう。
現実の事件が、お話のために都合よく道具にされているわけですからね。

で、それは作者だけの問題ではありません。
いくつもの怪談がなんと繋がっている、よくできた「物語」。
これはよく見る褒め言葉ですねぇ。かきもあります。
もちろん、その褒め言葉を述べるのは、読者です。

うまくできた「物語」に、いわば都合の良い接着剤として、現実の事件が放り込まれる。
それが読者の納得を生む。
読者が、不謹慎さを要求する。
だから、読者も同罪

と、これは言い過ぎですかね。
しかしここに、実話怪談から生まれた「物語」に対する、作者の問題意識が見えるように思うのです。

「物語」を作り上げたい作者と、
「物語」に納得を求める読者と、
「物語」に利用される現実

この関係性、メタ/アンチミステリの古典・中井英夫「虚無への供物」の「犯人・・の存在に通じるような気がしないでしょうか。

そんなこともあり私は、本作はアンチ実話怪談だと思っています。

納得をしたいがために一つ目小僧の登場を、つまり「物語」ありきで怪奇現象の発生を求めるという、いわば本末転倒なラストシーンも、その印象を強めています。

「近畿地方〜」の作者がこうした作品を書くのかという点にも驚きがあり、興味深いテーマに踏み込んだ作品だと感じました。


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