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「小市民シリーズ」と米澤穂信の四季(1): 春期限定いちごタルト事件 - 春は秘密を隠して

※ テレビアニメ版放送に伴い、本記事は当面ネタバレ部分を含めて無料記事として公開します。
未読の方はネタバレ感想をご覧にならないようお気をつけください。


はじめに、というには長すぎるまえがき

もう今さら過ぎるのですが、米澤穂信の「小市民」シリーズがついに完結しました。これほどミステリファンから完結を切望、熱望、または絶望されたシリーズもないでしょう。

1作目の「春期限定いちごタルト事件」が発表されたのが2004年。最新作となる完結編「冬期限定ボンボンショコラ事件」の発表はもちろん今年2024年。実に足掛け20年ですよ。シリーズの舞台は高校ですけど、シリーズ開始当時にちょうど高校生だった人なんて最早アラフォーじゃないですか(いや別に私のことじゃないですからね)。
私は『冬季限定』はとっくに完成していて米澤氏の死後に出版される手はずにでもなってるのかと疑ってたくらいですよ。

しかし、ある意味20年かかったのも道理と思う部分もあって、本シリーズは一見タイトル通りのサクッとしたおやつ感覚の作品に見せかけて、只者ではないヤバい味付けを見せてくるシリーズです。それゆえサクッと執筆できるというものではなかったのは明らかなわけです。
というわけで今回はこのシリーズがどうヤバいのかという話をしたいのです。

ちなみにテレビアニメ化されて話題の本シリーズですが、私が思ったのは「え、アレをアニメ化するの?よりによってアレを?」。なぜかというと内容が劇物だからです。

……原作カバーの片山若子氏のイラストのイメージがあるからでしょうけど、キャラデザに違和感ありますねえ。仕方ないか。

それはともかく、上記のサイトの説明文を見ると「スイートでちょっとビターな学園ミステリ」という文言が書いてあって変な笑いが出ましたよ。
これは大嘘です。アニメはまだ始まったばかりなので、少なくとも原作について言えばですけども。
しかしですね、こんな謳い文句じゃまるでアニメ「氷菓」と同じような作品みたいじゃないですか。わかってやってるとしたら相当意地が悪いですよ。ミステリ作品としては正しいですけど。

ということで、「『氷菓』の原作者の新作アニメ!私、気になります\(╹ ▽╹๑ \)」と興味を持ったアニメ視聴者、というか特に「アニメ『氷菓』のファン」が今後どれだけふるいにかけられるのかが私、気になります。
……などと普段アニメにカケラも興味がなく、放送中のアニメもしかのこのこのここしたんたんくらいしか知らない私は無責任にも考えてしまうのですが、傍から眺めてみると作品をどう見ていいのか掴みかねている視聴者が多いように思われ、そのへんは案の定という感じ。原作のほうも何ともとらえどころが難しんですよコレ。

しかし、完結したタイミングとはいえ、コレの映像化、というかアニメ化にOKを出した米澤氏も中々意地が悪い。実にミステリ作家に相応しいですね
……とここで公式サイトに寄せられたコメントを見ると

まさか、動いて喋る小鳩や小佐内たちを見る日が来ようとは、まったく思いもかけないことでした。「日常の謎」から少しずつはみ出していく彼らの物語に、いま、別の形が与えられたことを嬉しく思います

公式サイト/原作・米澤穂信コメントより(強調は引用者)

との事。「まったく思いもかけないこと」と言ってるあたり、米澤氏本人も「え、アレをアニメ化すんの?」と思ったんじゃないかと邪推してしまうんですが。
それはともかく、米澤氏の言う通りこのシリーズの重要な要素の一つは確かに「『日常の謎』からのはみ出し」なのですが、問題はどう日常を逸脱するかの方です。そこをどんな形で映像化するのかを米澤氏はニヤニヤして見てるのかもwww


って、さっそく話が逸れてますね。コイツどうしようもねえな。
それはともかく、今回の話はちょっと遠回りしたものになります。
デビュー後しばらく、米澤穂信は「青春ミステリの俊英」たる作家として知られていました。このシリーズもそういった所から出発しているのは見ての通りです。しかし、現在の米澤氏は「青春ミステリの俊英」というより「直木賞作家」になってしまいました。直木賞を獲ってるから作品内容がどうこうというものでもないですが、書き始めた当時と今の米澤氏は作風が変わっている――いやいや、それは正しくない――作風が広がっています。青春ミステリの俊英が開始したこのシリーズは、それとは少し違う作家によって完結した、とも言えるわけです。高校生として読み始めた読者がアラフォーの読者として読み終えるように。
そういうわけですから、この20年の間で変わったものと変わらないものが、またその頃の作品の傾向が、このシリーズにも表れているはず。それをある程度捉えたうえで語る必要があるのではないか。

つまり要するに、このシリーズを語るには米澤穂信という作家自体についての話もしていかなくてはいけない気がするわけです。
そういうわけで今回の記事は長くなります。いや私の記事はいつも長くなりすぎなのですが、今回は触れておくべきことが特に多いのです。というか書いていたらあまりにも長くなりそうだったので分割するんですけどね

まずはメニューをご覧あれ

あくまで執筆現在の予定ですが、この記事で言及する作品は以下のようなものを予定しています。

  • 「氷菓」(2001)

  • 「さよなら妖精」(2004)

  • 「春期限定いちごタルト事件」(2004)

  • 「ボトルネック」(2006)

  • 「夏期限定トロピカルパフェ事件」(2006)

  • 「インシテミル」(2007)

  • 「儚い羊たちの祝宴」(2008)

  • 「秋期限定栗きんとん事件」(2009)

  • 「折れた竜骨」(2010)

  • 「真実の10メートル手前」(2015)

  • 「王とサーカス」(2015)

  • 「黒牢城」(2021)

  • 「冬期限定ボンボンショコラ事件」(2024)

多すぎるわ。いやいやいやいや、削ってもこのくらいのサンプルが必要だったのですよ。だって20年も経ってるんですからそりゃあそうなるじゃないですか、ねえ米澤さん。

陰険さを見せつけるのはここまでにして、今回は、これら作品を再読したうえで「小市民」シリーズ各作品と関連付けて、それらがどんな流れの中で書かれたのか――という話をしようかと思うのです。

各作品の要点のみを踏まえてそこまで踏み込んだことは書かないつもりなので、未読の方は何のことかわからないこともあるかと思いますがご了承ください。
気になった作品があれば是非読んでみてくださいね。取り上げる作品はどれも間違いなしの傑作・秀作だけなので。

ということでまずは「春」からです。

まず当面の道筋としてこんなことを書いておきます。
米澤穂信のミステリにごく初期から見られる要素は、2つのキーワードで示せると思っています。

一つは、やむを得ない探偵
もう一つは、知りたくもない事実


春は秘密を隠して

今回の課題図書

  • 「氷菓」(2001)

  • 「さよなら妖精」(2004)

  • 「春期限定いちごタルト事件」(2004)


さて、米澤氏のデビュー作「氷菓」(2001)を開いてみるといきなりこんな言葉に出くわします。

「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に、だ」

米澤穂信「氷菓」(角川スニーカー文庫版 8P)

これはアニメの視聴者の方もご存知のとおり、主人公・折木奉太郎の言です。この男は本作の探偵役でもあるのですがこんなスタンスなわけで、世の名探偵達のように「事件だァ!行くぞワトソン君!」と勇んで推理に赴くことなど望むべくもないわけです。本作が扱うのは殺人等の事件ではなく「日常の謎」なので、進んで解かなければならないような理由もない。
でこの折木を「私、気になります」の決めゼリフで推理の場に引っ張り出すのがヒロインの千反田える。構図としては、冷めた感じながら才能を秘めた主人公と狂言回し的な役回りを持つ行動的な女の子(もちろん美少女かつお嬢様の属性付き)といういかにもなラノベ・アニメ的なそれでして、折木のスタンスというのもこれだけ見れば「やれやれ俺は推理力を見せびらかしたくなんてないのにコイツが余計なことに首を突っ込むからまた推理しちまったぜじゃあ俺は帰るぞやれやれ」といったもののように見えます・・・・
ともかく、「氷菓」においての推理は、折木が千反田により推理させられる状況に置かれることでしか行われません。これが米澤氏のミステリによく見られる要素「やむを得ない探偵」の原型です。

しかし本作の問題は、その千反田えるも話が進むとこんなことを言い出す点ですよ。

「……もし調べたら、不幸なことになるかもしれません。忘れられた方がいい事実というものも、存在するでしょう?」

米澤穂信「氷菓」(角川スニーカー文庫版 125P)、強調は引用者

本作の中心を為す謎というのはこの千反田の失われた記憶なのですが、本作が巧妙なのは「千反田えるは並外れた記憶力を持っている」という事実をラノベ・アニメ的ともいえる個性、あるいはキャラ立ちの要素として印象付けている点にあります。
そうした記憶力の持ち主が忘れているような内容ですよ。そりゃ忘れたままのほうがいいんじゃないの?って誰でも思うじゃないですか。

本作における「謎解き=推理」とは、そんな「忘れられたほうがいい事実」を殊更に暴き立てる行為であると言えます。
少し一般化すると、探偵による推理の導く「真相」とは、時に「知りたくもない事実」となり得る。
本作からはそんな見方が表れてはこないでしょうか。

もうちょっと変な言い方をしてよければ、謎解きという行為・探偵という存在・解き明かされる真実といったものに、人を傷つけかねない暴力性すら見えて来るわけです。

この「やむを得ない探偵」「知りたくもない事実/推理と真相の暴力性」。これはデビュー作で明確に表れている要素なのです。

さて、これは余談であり要するにムダ話ですが、一応書いておきます。
「氷菓」の冒頭は、折木奉太郎の姉による「ベナレスからの手紙」で幕を開けます。これが物語の、また謎解きのすべての始まりとなる。
で、ミステリオタク的には「ベナレス」というと、当然「への道」じゃないですか。

なんやそれ?といいますと、T.S.ストリブリングという作家が100年近くも前に書いた変わったミステリ短編集「カリブ諸島の手がかり」という作品があるのです。そのラストを飾る一際ヘンな作品がその名も「ベナレスへの道」。

さて「氷菓」の読者・アニメ版の視聴者の大半はこんな作品は読んでないでしょうけど、米澤氏は間違いなく読んでます。ミステリオタクだからね。
どこがどうヘンなミステリなのかはここでは秘密にして、ここでは当の「ベナレスへの道」の巻頭に置かれたこの文句だけ紹介しておきます。

本篇では、教授はあるヒンドゥー教のしきたりを調査すべきではなかった。

T.S.ストリブリング「カリブ諸島の手がかり」倉阪鬼一郎訳 (河出文庫版 368P), 強調は引用者

調査すべきではない事実。関わるべきではない謎。するべきではない推理。
この見方は、デビュー作の巻頭で既に「ベナレス」という名によって象徴的に示されていたのではないか。


……って、こうやってすぐ脇道にそれるから文章が長くなるんですよ。
ムダ話はともかくとして、「さよなら妖精」(2004)を見るとさらに上記の傾向は深化しているのがわかります。以下では多少内容を匂わせる書き方をしてしまいますが、これは掛け値なしの大傑作なので、余計な先入観を得る前にみなさん是非読んでください。


さて、「氷菓」において推理が解き明かすのは過去の出来事でした。それは遥か以前の出来事であり、それを解明することが一定の痛みを伴うにせよ、問題はその過去のことを消化できるかに留まる。
しかし、「さよなら妖精」において推理が暴き出すのは「現在」です。そして、それが故に推理と真相の暴力性の矛先はより鋭く、現在の自分自身へと向かい、心を抉る。

両方を読んだ方は分かるかと思いますが、この作品の登場人物の構図はおそらく意図的に「古典部シリーズ」、とくに「氷菓」と似せてあります。
まず日常の謎があるが、主人公は進んで関わろうとはしない。しかし好奇心旺盛で積極的な美少女(あっちは千反田える、こっちはマーヤ)がそれを知りたがるので、やむを得ず主人公は謎と対峙することになる。それと同時に、主人公にとって新たな日常への扉が開かれることにもなる。

と、ここは全く同じと言っていいでしょう。最終的な謎の解決に複数人参加による多重解決的な手段での解明が行われるのも同様です。
この作品は元々古典部シリーズの完結編として構想された(らしい)ので似るのはわかりますが、結局別作品にするならもっと別物にしてもいいはずです。しかし実際には共通点はかなり多い。意図的に似た構図を踏襲して、その差異をより明確にしたのではないかと私は思います。

でどこが違うかというとまずは主人公の立ち位置。「氷菓」では主人公である折木奉太郎が探偵も担っていたのに対して、こちらでは各種の日常の謎を実際に解く探偵は主人公の守屋路行ではなく太刀洗万智という別人です。
しかし、この探偵・太刀洗が作中のメインの謎ーー「マーヤはどこに帰ったのか」ーーの解明には不参加であることがプロローグで明かされているのですよ。しかし主人公はその「真相」を暴かずにはいられなくなる。
これがどういう結果を生んでいるかというと言うまでもなく、探偵の不在により、探偵ではなかったはずの主人公はついに自ら推理をせざるを得なくなるのです。しかし同時に、本来の探偵の不在そのものが、「真相」はすなわち「知りたくもない事実」であると暗示してもいる。
そして結末にいたり、推理の結果やはり辿り着いてしまった「知りたくもない事実」を、主人公は自ら重い秘密として抱えていくこととなる。それは謎を解くという行為の持つひとつの本質を痛切に描いたものと言えないでしょうか。

謎というのは秘密であり、秘密であるからには、その裏には知りたくもない事実がしばしば潜んでいる。謎解きというのはそれゆえしばしば他者や自分の痛みを伴う行為である。なのに探偵はやむを得ずそれを解くことになってしまう。
初期の作品から、そうしたものがかなり明確な形で表れているように思うのです。


とまあ案の定さっそく脇道回り道遠回り、やたらめったらに長い話になりました。で何の話をするんだっけ。ああ「小市民」シリーズでした。
というわけで、記念すべきシリーズ1作目「春季限定」が登場するのはこういった流れの中なのです。

「氷菓」「さよなら妖精」は前述の通り、共通した部分を多く含む作品になっていました。
では「春季限定」もまたそれらと共通した部分――知りたくもない事実、やむを得ない探偵――を持つ作品かというと……

これは、紛れもない異色作なのです。


「春期限定いちごタルト事件」(2004)

【あらすじ】同じ高校に入学した小鳩常悟朗と小佐内ゆきは、互恵関係を結び「小市民」を目指す二人組。しかし二人の前には幾つも奇妙な事件が立ちはだかる。「小市民」となるため推理をしないと決めていた小鳩だが、結局はその推理力を発揮することとなり……。

ネタバレなし感想

本作は1作目ということで(当初からシリーズ化の予定だったかはわかりませんが)、このシリーズの基本部分の説明が主となっている側面があります。しかしこの基本部分というやつが既にクセ者なのです。
道具立ては一見ラブコメ風ですがメインの二人の関係は友達以上恋人未満とかではなく「互恵関係」。互恵関係 is 何。こうした基本構造から既に歪さというか妙な手触りが見えるのです。

本作は連作短編の形式を取っています。というわけで各篇について。

・羊の着ぐるみ

旧友・堂島健吾に、ある女子生徒のポシェットを探してほしいと頼まれた小鳩。校内をくまなく捜索しても見つからないポシェットだったが、小鳩はあることに気づく。

このシリーズの特徴の一部を明らかにしつつ、シンプルでスマートな手がかりからの真相解明を手堅く見せる一篇。
しかしむしろ見どころは、ミステリとしての真相開示後に示されるとある錯誤です。これによってシリーズの特殊性が浮き上がってくるのです。

ところでこのタイトルってどういう意味なんですかねぇ。着ぐるみなんてどこかに出てきたでしょうか。うーん。

・For your eyes only

美術部の卒業生が残した「世界で一番高尚な絵」。それは同じような風景を描いた2つの絵だった。それが何を意味するのか推理することになった小鳩だが……。

このシリーズにおける探偵という存在や推理という行為の位置づけを垣間見せる作品です。
与えられた状況から、真相自体は想像が付きやすい人も多いでしょう。
それよりインパクトが強いのはミステリ的なものとはまた異なった衝撃の結末
あれ、この本ってこんな感じの話なんですか……?

・おいしいココアの作り方

珍しく小鳩と小佐内を自宅に招いた堂島は、「おいしいココアの作り方」を披露した。しかし、それを実行するためには食器が足りないはずであったことが判明する……。

ごく普通の日常的状況なのに不可能状況が生じている、しかも「犯人」が特殊なトリックを講じたということは考えられない、というかなり凝ったミステリです。一篇の短編ミステリとして見れば間違いなく本書中のベストで、ロジックがよくできている一方、その「真相」の納得度も(ある理由で)高いという完成度の高さを見せてくれます。
それと同時に、このエピソードではこのシリーズに見られる「ある特異性」がより前面に押し出されてくるのも印象的です。本書全体、あるいはシリーズという点でいえば、むしろそれを印象的に描くためにこのエピソードがあると言えます。

・はらふくるるわざ

定期試験中、教室後方のロッカーから栄養ドリンクの瓶が落ちて割れたという出来事を語る小佐内。小鳩はその「事件」が何故起きたのか推理することに。

本書中最大の問題作。
しかしなんとも地味〜〜〜なミステリです。上記のあらすじの通り謎も地味ですが、真相も地味ですよ。前の「おいしいココアの作り方」にあった強烈な不可能状況や細やかなロジック展開、鮮やかな真相等々はありません。
しかし、本作はそれ以外の部分によって大問題作になっているのです。それが前の一篇「おいしいココアの作り方」から引き続いて本作(シリーズ)のある特異性を強烈に印象付けるものになっています。
この特異性の強調を最大の効果で行うため、謎解きとしては地味なミステリになっていると考えられます。考えてみればみるほど、本シリーズにおける最重要といえるエピソードです。

・狐狼の心

街の不良に盗まれた小佐内の自転車が発見された。発見されたのはなにもない道端だが、盗んだ当人はその現場から姿を消していた。
なぜ自転車が盗まれ、その場所に乗り捨てられたのか?推理する小鳩だったが、事態は急展開を見せる。

これまでの4篇から予測はまず不能といっていい、血や硝煙の香りがしそうなタイトルが登場しました。これはノワールかヤクザもののどっちでしょう。ここからはいきなり銃撃戦ですか。それとも仁義なきドスですか。
しかし、これはちゃんとタイトル通りの話なのですよ。

ということでついに、この軽ミステリのお話の裏に隠れていた、この作品の真の姿が明かされます。実は本作はヤクザの抗争劇だったのです。うそです。

詳しくは後のネタバレ感想での話になりますが、ここで明かされる本書の真の姿は、「氷菓」や「さよなら妖精」のそれとも明らかに違った異質さを持ったものになっています。
もちろん明かされる「事件の真相」自体もそうした異質さ、それまで見てきたはずのものとのいわばギャップが大きなインパクトを与えるものではあるのですが、それ以上に衝撃的なのがそれに伴って明かされる、とあるものの正体です。

これは、今まで見てきたものをさらりと根底から覆すような大きな反転となっており、本作の特異性がついに完全に表出する作品となっているのです。


というわけで、200ページ台の薄手の本ではあるものの、非常に異質なインパクトにより読み応えのあるミステリになっています。

しかし、「米澤穂信のミステリ」としてみると、本作で解かれる謎からは余り「知りたくもない事実」の匂いはありません。
しかし、その推理が導く結果というとこれもどうも妙な手触りが残ります。ことに「For Your Eyes Only」のほのぼのエンド寸前からの急転直下・ドン引きの結末には「えぇ……」と声を漏らさざるを得ないところ。

そして。本作では設定の根幹を成しているはずの、最大の謎が丸ごと明かされずに残ってしまいます。
それも何かの仕掛けで隠されているというわけではなく、ある人物がただ隠しているだけなのですよ。
ならばーーその謎の真相は、「忘れられたほうがいい事実」なのではないか。それを匂わせるだけ匂わせて、あくまで軽めの雰囲気でサラリと幕が引かれてしまうのが曲者ですね。

さて、本シリーズの探偵役について少し。
小鳩常悟朗は「小市民になる」という名目を掲げ、推理を行おうとしない存在です。
ということは、古典部シリーズの折木奉太郎のように推理に消極的な探偵に似ていそうですね。
しかしながら、この点を考えてみると……これがかなり特異な存在といえるのです。これについては本シリーズの大きな特徴の一つとなりますが、核心にふれるためネタバレ感想に記載します。



!以下はネタバレ感想になります!
作品の詳細部分に触れるため、未読の方はお気をつけください。





ネタバレ感想

本作は概ね、「日常の謎を扱ったほのぼのミステリ」に擬態しています。しかし、本作はこれまでの米澤ミステリを踏まえて見るほど、異端的な作品であることが見えてきます。

まずネタバレなし感想で有耶無耶な書き方になってしまった、探偵のスタンスについて書いておきます。

小鳩の特質は、それまでに米澤氏の書いた消極的探偵のそれとは傾向を異にしています。それは、本書を読めば明らかな通り、内心では推理をしたがっているという点。

一見は堂島等が事件を持ち込むのでやむを得ず推理しているように見えますが、問題作「はらふくるるわざ」を見れば分かる通りそれは全く違う。実際は思わず推理をしそうになってしまう探偵で、それに小佐内や自身の「小市民」志向がブレーキをかける(要は自粛)という構図です。
つまり、消極的な探偵なんかではなく、その真逆なのです。
言うなれば、小鳩は衝動的な探偵なのです。

例えば古典部シリーズの折木とこの小鳩を同類として扱った論をたまに見るのですが、前述の通りそれは明らかな間違いです。むしろ、小鳩は折木のような消極的な探偵のアンチ的存在と言っていい。
そしてこうも言える。推理が「知りたくもない事実」に関わる場合、この推理に対する衝動性は、極めて危険なものになるのではないか?

……いやいや、この作品でそこまではわからないんですけどね。

というわけで各エピソードについて。

・羊の着ぐるみ

「犯人」の行動を巡るホワイダニットとして、さり気なく示される「行動の理由」が秀逸ですが、最大の読みどころはそれとは別にあります。
この解決を受けての「犯人」とのやりとりにおいて小鳩と小佐内の関係性が「恋愛関係」に誤解される点、すなわち早速「互恵関係」という関係性の異様さがクローズアップされることがこのエピソードの最大のポイントでしょう。

それが集約されるのが、結末での会話におけるこのやりとり。

「わからないなあ。ぼくには縁のないシチュエーションだ」
まあ、それをわかりたいとぼくらが思うようになれば、そのうちわかる日も来るかもしれない。
(中略)
「そうよね。……わたしも、そうなの」

米澤穂信「春期限定いちごタルト事件」(創元推理文庫 56P)

この二人の関係性のおかしさが奇妙な違和感とともに浮かび上がるではないですか。
といっても私は初読ではよく意味がわからずラブコメ的なやり取りなのかと思っていたアホなのですが、読み返してみれば全く文字通りの意味だというところに驚きました。

そして「羊の着ぐるみ」という一見意味不明のタイトルが「狐」と「狼」の本性を隠す小鳩と小佐内の姿をーーあるいは、「ほのぼのミステリ」に擬態した本作自体をも――象徴している点もまた大胆なポイントです。

・For your eyes only

サイゼリヤに行ったことのある小市民の皆さんなら、似たような2枚の絵という条件が与えられれば「間違い探し」という結論に至ることはさほど難しくはないでしょう。

それよりも。本作のキモはミステリ的に、というよりキャラクター描写が必然的に導く驚愕の結末です。推理の結果として得られたほのぼのした「真相」が物理的にブチ壊されてしまうわけですが、このことがこのシリーズにおける「推理」という行為がどんなものであるかの一端を示していると言ってもいいでしょう。小鳩が推理=余計なことをしなければ、「高尚な絵」の幻想は保たれ、このブチ壊しもなかったわけです。

しかし気になるのは、アニメ版ではこのエピソードが飛ばされてしまったらしいことです。これはちょっと気になりますよ。
もしかしてあのドン引きENDの処理に困ったんでしょうか。
そりゃあまりにも唐突で、しかも異様に殺伐としたシーンですからね。ドン引きの空気のままエンディングに突入することになりますからねえ。
でもですね、「小市民」シリーズは「ほのぼのミステリ」や「スイートでちょっとビターな学園ミステリ」なんかじゃないんだからそれはおかしなことじゃないのですよ。ゆえにこの結末も正面切って映像化するべき、というのが個人的な考えです。
もしかして後ろにタイミングをずらして映像化したりするんでしょうか。それならある意味で構成としての納得感もありますが。

・おいしいココアの作り方

このエピソードはミステリとしてはほぼ純粋なハウダニットといってよい作品です。ズボラだから謎が残った、という理由付けもキャラクター描写から納得させるのは米澤氏の巧みさでしょう(それは同じくキャラクター描写から導かれた前篇のドン引きENDとも共通しています)。これによってシンプルなロジックの着地が鮮やかなものになっています。

それより印象的なのは次々に観点を切り替えて問題を検討する小鳩の、ここまでと比較してタガの外れたようなイキイキとした推理っぷりです。
というわけで本編は、シンプルながら「衝動的な探偵」の特質が大いに発揮された一篇となっており、これが次のエピソードにもつながるのです。

・はらふくるるわざ

というわけで、作中最大の問題作の登場。
ここで描かれるのは、なんと探偵による「推理という行為の隠蔽」なのです。何じゃそりゃ。

ここでの謎は至って地味で、真相も地味。解明する差し迫った理由も当然無し。
そんな謎を、探偵はわざわざ推理するのです。
頼まれてもいないのに。
誰に真相を明かしたりしないのに。
それどころか推理した事自体も隠して。
……何のために?
理由や目的なんかないのですよ。これは衝動的な推理なのだから。

というわけで、これこそが「衝動的な探偵」小鳩の真骨頂といえる部分。ついにこのシリーズのおかしさが突出してくるのです。
その一方で、さりげなく小佐内の方にもおかしな部分がいよいよ目立ってくるのですが……それが、前述のような小鳩の奇怪さにより少し目立たない形になるかたちでこっそり隠されている感があります。

最後にこのタイトル「はらふくるるわざ」について。文句自体は

おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつあじきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず

徒然草/第十九段

この引用になっています。
これはたぶん「思ったことをアウトプットしないと腹がパンパンになったみたいで気持ち悪いからつまんない文章でもなんとなく書いちゃうんだ。どーせすぐゴミ箱にポイするから誰も見ないし」というような意味の文章だと思います。まるで死んだ頭で書いたこの記事のことみたいじゃないですか。じゃあそろそろゴミ箱にポイしますか。
といいつつポイせずになんとなく続くのですが、ともあれ本作は上記の通り、気になったことを勝手に推理してしまい、誰にも見せずにゴミ箱にポイしてしまう、という本編の小鳩の行動通りのタイトルではあるわけです。

しかし、それ以上に気になるのは「はら」がひらがなになっているところですよ。なんでこんな微妙な改変をしたのか、と考えてみると……。
じつはこれ、クリスチアナ・ブランド「はなれわざ」のダジャレだったりするんでしょうか?

ノーコメントで_(◜᎑◝ _)


・孤狼の心

ここでこれまでの各編に散りばめられた伏線が拾い上げられ、「春期限定いちごタルト事件」としての結末へと繋がっていきます。
連作短編のエピソード同士が繋がっていく構成、とこれはミステリ用語では「連鎖式」といわれる手法です。本作の版元・東京創元社から刊行の作品には比較的多く見られる形式ですが、米澤氏の作品では「氷菓」の時点で既にこうした連鎖式の構造が見られます。

しかし本作での使われ方はよりインパクトのあるものになっています。連鎖式ミステリの構造を活用することで、詐欺グループの犯罪計画の進行という「日常の謎」を逸脱したストーリーが、「ほのぼのミステリ」的な作品の裏に常に隠されていたことが明らかになる、というものになっているからです。
「衝動的な探偵」小鳩と同様、この作品自体も裏に隠し持っていた「本性」を明かす――というわけです。

しかし、もちろん本性を明かすのはそれだけではない。

もちろん、自動車学校のバスに乗るから何も無い道が目的地だった、というようなミステリ的解決は鮮やかですが――その明快な謎解き部分に意識を向けさせておいて、不意に明かされるのが「復讐者」という小佐内の本性です。
それまでの印象をがらりと入れ替える行動力と「変装」という一種の特殊能力、そして何より手段と目的が入れ替わったとしか思えない異様な「復讐」の行動原理

これは「衝動的な探偵」である小鳩の存在を凌駕する奇怪な存在といっていい。文字通り小鳩の後ろに隠れる存在であった小佐内が、ここで突如としてその当初の印象とは異なる正体を明かした――変装を解いたのです。
これが本作最大のサプライズとなっています。

小佐内の正体については、前のエピソードまでで「衝動的な探偵」小鳩の特異性が強調されることがある種の目くらましになっています。これによって予想外の場所から更なる特異な存在が登場する驚きを生むという、連作形式の巧みな活用にもなっているのです。

ところで、アニメ版のサイトにある米澤氏のコメントですが。

「日常の謎」から少しずつはみ出していく彼らの物語に、いま、別の形が与えられたことを嬉しく思います

公式サイト/原作・米澤穂信コメントより

こう言うと「日常の謎からはみ出す」とは日常の謎から犯罪の関わる謎へと向かうことを指しているかのように見えますが、本作の内容を考えると、日常性の中に埋没していた非日常的な、異様な人物像が少しずつ露わになっていくということも指しているのではないか。
「衝動的な探偵」小鳩と「復讐者」小佐内という異常さを秘めた人物像。
と考えると流石米澤穂信、しれっとした誤導だと思うんですが、違ったらどうしましょうか。まあいいか。


さて、ここからは本書全体として。

本書中の各エピソードは、連鎖式ミステリの形式を成しているのはもちろんですが、ここまで述べてきた通り、本シリーズの特質、またキャラクターの特異性を少しずつ明確化させていくという狙いがあったと思われます。
一篇目「羊の着ぐるみ」と最終篇「孤狼の心」というタイトルの対応関係は、この「外面的な姿から段階的に実際の姿を」描いてゆくという本書の構造性を端的に表しています。

こうした段階を踏むことにより、最初は掴みどころのなかった小鳩と小佐内のコンビはいつしか得体のしれない部分を抱えた異様な存在になっているのです。
誰だよこれを「スイートでちょっとビターな学園ミステリ」って言った奴は。というわけで上記の謳い文句は大嘘なのです。

さて、「復讐者」という小佐内の実態は明らかになった一方で、最大の謎となるはずの「小鳩はなぜ推理を自粛しようとするのか」ーーその原因となった過去が、曖昧な仄めかしだけで説明されずに残されてしまうのが本作の問題。そこに米澤氏が一貫して描いているものが隠されているのではないかと思わされるのですが……。

本作のラストシーンを見ても、到底「小市民」にはなれなそうな探偵・小鳩。
では、次作ではいよいよその秘めたる謎が明かされるのか……と思いきや、次回作「夏季限定」ではさらにおかしなことになっていくのです。


で最後に余談(またかよ)。本作で巻末解説を担当しているのはラノベ系のレビュアーの人らしいのですが、本作はこんな特異な設定ゆえにラブコメ的に読むのも困難、というわけで何故にこの人選がされたのかが謎。読んでるとなんというか、いたたまれない気分になってきます。
「米澤穂信のミステリは殺伐とせずほのぼのしててイイ!人が死なない!」と言っているのがなんとも趣深い。ほんとか?

まあ、「春季限定」については言えばほのぼのミステリという見方も間違ってはいません。
――ここまでは




あとこれは初読時から時間がたったせいで完全に忘れていたのですが、画像を表示できない携帯電話というアイテムの登場には恐らく作者が全く意図しないところでびっくりしてしまいました。20年前にはまだそんなものがあったんですね。
このへんあくまで現代が舞台(小鳩もスマホを持っている)らしいアニメがどう処理するのかは気になるところです。ていうか早く完結させなかったせいでアニメのスタッフが困るじゃないですか米澤さん。早く単行本未収録のシリーズ作品も短編集にまとめてください米澤さん。

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