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198 教員にとって復讐は必要なのか
忘却に勝る復讐はない。
忘れられたら、どんなに楽だろう。
教員をしていて、そう思ったことは何度もあります。
誰かしら嫌な保護者や生徒・児童、もしくは嫌な同僚教員に対して、確かに「忘却」は最大の「復讐」かもしれません。自分自身を忘れられている相手は、相当に腹立たしいでしょう。
でも、やはり忘れることはできない。嫌な相手を忘れるなんて簡単にできることではないんです。
だから忘れるなんて無理だし、無理して忘れるなんてこともしなくていいんです。
ただ忘れることが出来ないからこそ、そこから学び、立て直し、そして、教員として成長する。
このコトバの「忘却」とは、たぶん忘れるという意味ではなく「許し」なのだはないかと思います。
決して相手を許すのではなく、復讐したいと思う自分を、自分で許す。
復讐する価値などないと、相手のことを考える。実はそれこそが「復讐」なのではないでしょうか。
いつまでも、あなたの心の中を嫌な相手で埋め尽くすのは、馬鹿馬鹿しいです。
過去ではなく、今、ここにいるんだ、次は、あそこにいるんだ、という思考を持ってみてもいいのかもしれません。
17世紀スペイン哲学者バルタサル・グラシアンのコトバ。
「忘却」を「許し」に
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