ぼくのトリセツ(異常者の話)
自己紹介します。自分のサイコパス具合を見て下さい。
写真は2009年、夏。岩手県大会決勝戦で野球をしているぼくです。
僕のことをもともと知っている人にも、知らない人にもできるだけわかりやすく説明します。小学校1年生のときから、僕と友達になる人は変わった人が多かったです。たぶん、自分にないものを持っている人が好きだったんだと思います。
中学の時は、イケメンかつ陸上部で大活躍だったクラスメイトと、もののけ姫ごっこをしました。次のセリフを上手く言えるか合戦です。
「黙れ小僧!お前にサンが救えるか!」(モロ/美輪明宏)
あとは、半グレで不良グループにいるけど、フォークデュオ「19」の「熊じいちゃん」を口ずさむクラスメイトにギャップ萌えして良く絡んでました。
明治ー♪大正ー♪昭和ー♪平成♪
四世代を生き抜くちから~♪
高校、大学でその感覚が研ぎ澄まされて、僕は「異常者」「サイコパス」になります。では、そのエピソードトークのうちいくつかお話します。
應援歌練習(おうえんかれんしゅう)
盛岡第一高等学校の応援はバンカラとよばれている形態です。僕はいまいち理解できていないので、ググって調べて下さい。校歌は、軍艦マーチの旋律らしいです。応援団の人は、髪の毛や髭を伸ばしてボロボロの制服を着ていました。なぜなんでしょうか。よくわかりません。ググって調べて下さい。
今思い返せば、あれこそOfficial髭男dismだったなあ。
入学式直後から1週間くらい応援歌練習をさせられます。暗闇の中で先輩達にひたすら罵倒されながらの練習。僕は、春休み中から硬式野球部の練習に参加していました。どっぷり野球の魅力にとりつかれたので、応援歌練習は歌詞もメロディも覚えずに参加していました。春休みの宿題もやっていません。学校生活に興味ゼロでした。
見回りの応援団有志からチェックが入ります。
「お前、歌詞覚えてないだろ。歌詞言ってみろ!」
「はい、覚えてないです」
「"はい"じゃない、返事は"イサ"だ!!」
「ういっす(イサってなに??)」
このやりとりをすることによって、正座して歌詞をひたすら覚える「ダメ人間広場」に連行されます。みんなが必死こいて練習している中、僕は歌詞を覚えているフリをして休憩させていただきました。ちなみに、見回りに来た応援団有志が野球部の先輩だと次のやりとりになります。
「おつかれ。口パクうまくやれよ。お前歌詞覚えてないっしょ?」
「そうですね。だるいんで、連行してください」
「おっけ」
時には世間話をして、他のクソマジメな応援団から僕を守ってくれました。
そんなこんなで僕は応援歌を覚えることなくその1週間を終えましたとさ。
めでたし、めでたし。(未だに10数曲あるうち、校歌の1番しか歌えません。)
放棄魔
まだ、高校時代の話ですよ。あまりにもエピソードが多すぎるので、この章ではかいつまんで、要約してお話します。
①「交友関係」放棄
基本的に野球部以外の生徒・先生とは積極的に絡まないようにしていました。YouTubeで参考になる動画をダウンロードして、親友だった「iPod nano」君に入れてよくチェックしていました。
②「運動会」放棄
これは1年生のときですね。母校の伝統行事「運動会」のなかに「猛者踊り」というプログラムがあります。写真だと次のような感じです。
カオス。意味がわかりません。でも楽しそうですね!!
ちなみに女子は幼稚園児の格好をしてダンスをしていたような、していなかったような。僕は運動会に参加しませんでした。
野球大会の補助員に積極立候補して、この行事を「公欠」しました。こんなペイントしたら肌荒れるし、落とすのめんどくさそうじゃん。精一杯、岩手県営球場でチケット売りしていたので別に悪いことはしてませんよ。
③「スポ祭」放棄
なんで「運動会」があるのに「スポーツ祭」というものがあるんだろう。3年間そう思っていました。いや、いまでもそう思います。僕の基本スタンスとして、学校行事は参加しない方針でした。学校行事でケガしたら、充実している部活動に支障をきたしてしまう。ただでさえ、ケガしやすい体質なんだ。室内練習場で素振りしたり、キャッチボールしたりしていました。時には、体育館の非常階段で日なたぼっこして目を閉じていました。スラムダンクの流川にあこがれていたんです。(ただし僕の顔は、ジャガイモ)
④「文化祭」放棄
これも基本スタンス通り、参加しませんでした。3年生の時は、他校の女の子と付き合い始めたので、文化祭を抜け出し「盛岡食堂」でご飯を食べて、高松の池公園でお散歩していました。朝と帰りのホームルームだけ居るようにしました。別に悪いことはしていませんよね。青春やん。
⑤「体育の授業」放棄
体力テストってあるじゃないですか。シャトルランがすごく嫌だったので1度逃げ出したことがあります。やらなくても100回くらいは軽くできることが分かっていたから。部活動の時間以外でカロリーを使うのが大嫌いでした。代謝良いから痩せやすいんですよね。ペアになった子を説得させて100回くらいで提出しました。これは詐欺ですね。悪いことです。人道から外れています。
⑥「英語の授業」放棄
高校2年生の時の英語担当教師は、授業に参加するための必須条件として、「予習」をしていなければいけませんでした。予習していないことがバレた瞬間、即退場。廊下行きです。プロ野球の審判でもこんな厳しい退場癖野郎はいないですよ。ほんとに…。
まあでも、授業中は目を閉じて打撃or守備練習のイメージばかりしていたので、僕にとっては大した問題じゃありませんでした。むしろ退場宣告を受けた時は前向きに。トイレに行ったり、下級生の廊下をほっつき歩いて後輩の顔を見に行ったりしていました。これはもう、常人ではありません。先生もやりすぎですけど、僕もやりすぎています。
公然わいせつ罪
これはとっておきのエピソードです。
僕は、野球部で出場する公式戦の雰囲気が大好きでした。小中学校のときにはたどり着けなかった感覚です。先輩、同期、後輩、指導者のおかげです。
ただ、我々のピッチャーがあまりに好投手だったため、外野手だった僕にはほとんど打球が飛んできません。内野も鉄壁だから外野にまで転がってくることも少ないです。見せ場が少ない。それでも、一球一魂の精神で全球自分のところに飛んでくると思い、準備はしなければいけません。うーん、暇忙しい。よく、対戦校のブラスバンドの応援歌を口ずさみながら守っていました。でも、選曲が自分の趣味に合わないときもあります。そんなこんなで、ついに合間時間をうまく潰す方法を編み出します。
そういや、観客沢山。寄ってたかって俺らのことみてるよなあ。
見世物じゃないぞ。逆に見返してやろっと。
※高校野球はみせものでもあります
最初はそんな出来心だったんです。でも、次第に「変な人いないかなあ」とか「かわいい子いないかなあ」とかに変わっていきます。最終的に「パンツみえないかなあ」になりました。これはもう公然わいせつ罪です。
「球児、白球を追わずして…。」やめとこう。
「二兎追うものは…。」やめとこう。
インターネットで調べたら、公然わいせつ罪は3年で時効になるらしいです。そもそも「見えたの?」ってきかれると覚えていません。記憶にございません。
あと、盛岡一高応援団がレフト側スタンドの時は、この行為はしていませんので悪しからず。僕らが勉強を放棄して偏差値を下に引っ張りまくっている中、東大や東北大を志している人たちにそんな行為できるわけありません。それは侮辱行為だ。こちとら、めちゃくちゃ劣等感を抱えながら学校生活送っていたんです。しかも、ろくに学校行事に参加しない奴によく声援を送れますよね。ほんと尊敬します。
あと、一球一球の合間には、カウント確認。内野手からのサイン確認。外野手同士での守備位置確認。ベンチからの指示確認。これらも同時進行していたのでそれなりにやることはやっていましたよ。
高校時代の自己紹介
面白いものを見つけたので貼っておきます。
①生年月日 ②身長 ③体重 ④血液型 ⑤出身中学校
⑥ベンチプレスMAX ⑦ポジション ⑧好きなアーティスト
⑨好きなたべもの ⑩得意な学科 ⑪好きな言葉
⑫将来の夢 ⑬今シーズンの抱負・自己PR
⑫の回答はひどいですね。これこそ僕ですよ。このあとも、ボーっと生き続けます。チコちゃんに叱られるべき人間です。夢もないまま大学に入れる気でいます。その後、運よく大学に入っても夢は見つからず、気づいたら遠野市で農業をしているんですからね。ちなみに上記の自己紹介を書いてから10年経過して、ようやく将来の夢も見えてきました。その話は、後日しようと思います。
ぼくのトリセツ
大学時代のエピソードも書こうと思ったのですが。高校時代だけで長々と書いてしまったので続きはのちほど。十分サイコパスで異常者だということが伝わったと思います。
よく、「盛岡一高卒だから優秀だね」「盛岡一高卒なのに、農業やってるなんてもったいない」「盛岡一高卒なのか!同志よ!」みたいなお言葉を頂くことがあります。でも僕は、「盛岡一高卒だからなんなの?」「もったいないかどうかはあなたの決めることではないんじゃない?」っていう感覚の持ち主です。
たまに「経歴が変態だね」とか「一高出て百姓ってか、面白い奴だな」って言ってくれる方もいます。これは、僕の感覚に限りなく近いので言われた瞬間に好きになります。僕の本質を見てくれる人としか付き合いません。
こんな異常者でも応援してくれる方は、ガンガン連絡下さい。逆に僕だからこそ力になれることもあるかもしれません。
以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。