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私の「やさしさ」を言葉で証明します

小学生の時くらいから、通行人に道を尋ねられることが多々あります。
昨年は車を運転中、無理矢理止められて道を聞かれたこともありました。
そして、「やさしいね」とよく言われます。
そんなことないです。私にだって「どく」がありますし、過去に人を傷つけた経験もあります。下劣なお笑いも大好きです。
今回は、体内に潜む「どく」をたまに吐き出しながら私がいかに「やさしい人間」であるかを証明したいと思います。

サラリーマン時代(当時25歳)

どのような業種・会社でも何かしらの情報システムが導入されている時代です。私は倉庫会社(物流業)に勤めていました。倉庫会社とは、顧客の貨物を正確に在庫管理し、輸出入や国内配送などを請け負う会社。物流の仕事は地味ですがなくてはならない仕事です。今あなたが身に着けているマスクや服だって物流なしには手に入りません。「システム」は在庫管理を担う基礎部分にあたります。私はシステム課に配属されていました。
いくら自社システムで在庫管理しているとはいえ、顧客にはエクセル形式でやり取りをすることが多々あります。実際、顧客とやり取りをする倉庫現場には、長年勤めているおばちゃんが多くいます。歳は私より10~20くらい上の方が多かったでしょうか。おばちゃんは長年の経験から面倒なエクセル作業に対して文句ひとつ言わずにパパパーっと片していました。

「すごい。でもそれって”マクロ”ってやつで自動化できるんじゃない?」

本を買いました。

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付け焼き刃ではあったものの、私が作った<面倒なエクセル作業を自動化するやつ>によってたくさんのおばちゃんに「ありがとう」「また相談するね」と言ってもらえました。(もちろんおじさま方も救いました。)
上司には怒られました。
「もし異動になったとき、お前が作ったやつを誰が管理するんだ。勝手なもん作るな。」
仰る通りです。事実、私は転職したうえ休職までしています。
おばちゃん、連絡くれたらエクセルマクロのメンテしてあげますよ。

ヨボヨボのおじさん(当時23歳)

ある日、私が愛車「180SX」の洗車をしているとき"そいつ"は現れました。ボロボロの茶色っぽいスーツに黒のスーツケース。メガネもつけていました。見た目はドカベン・山田太郎が明訓高校3年時の大平監督に似ていました。"そいつ"は私に声をかけてきました。

「あ、あのぉ・・・」

何と声が小さい人なんだ。私は聴力検査で引っかかるほどではないが、耳の聞こえはいい方ではないと自負しています。他人のことを言える身分ではないが、ぼそぼそとしか喋れない人は第一印象が悪いです。

「どうせ道を聞いてくるんだろ。早くこのやり取り終わらせてやる」

心で自分に言い聞かせました。
詳細は思い出せないのですが、簡潔に言うと、「身ぐるみ剥がされた」「京都まで帰らなければならない」という話だったと思います。
「わかった、名駅まで送ってやるから乗って」
名古屋支店配属だった私が、住んでいる寮から名古屋駅までは車で10分もかかりません。第一印象の悪い"そいつ"と脳みそを使った対話をするよりも、行動でさっさと解決してしまおうと判断しました。
名古屋駅で"そいつ"はごねました。

「名古屋駅で降ろされても一文無しで・・・」

面倒くさいです。こちとら、折角の休日を愛車と過ごしていたんですよ。
週休2日だと思って入社したのに、土日出勤が月1,2回ある部署に配属されていました。
「これで帰ってください」
1万円札と電話番号を渡しました。もし、"そいつ"が実はお金持ちの子供とかだったら何倍にでもなって恩返しがくるかもしれない。
これは一つの「賭け」でした。今はやっていませんが、当時、パチンコもたばこもやっていました。1万円敗けることなんてざらにある。
結果、"そいつ"から連絡はなく、私はその「賭け」に敗けました。
私がカイジの登場人物だったら速攻で地下行きになっていたでしょう。
ヨボヨボのおじさん、1万円返して下さい。待ってますよ。

新入社員研修(当時22歳)

内々定をもらって、同期と顔合わせした時から私は劣等感に苛まれていました。周囲は一流大学出身者ばかりです。帰国子女、バイリンガル、トリリンガル。それに比べて私といったら・・・。

トリリンガルーって、トリなの?カンガルーなの?どんないきもの?

数日間の研修期間中、人事部と新入社員で酒を酌み交わす場がありました。
「うちの会社って、何人くらいのエントリーがあったんですか?」
「エントリーだけだったら1000人くらいかな」

え・・・!!倍率25倍くらいじゃん。俺が受かった為に24人落とされたんだ・・・。

そこから、私が抱えはじめていた劣等感は加速の一途をたどります。

何でこの会社は俺を取ってくれたんだろう。何がよかったのかな。面接は確かに自分なりの"戦略"を持っていたけど、口下手だし、自信はなかった。
残りわずかに持っていた強運をここで使い切ったのかな・・・。

研修も終盤。仲良くなった同期と喫煙室でたばこをふかしていました。
「俺ってなんで採用されたんだろうなぁ…」
「友隆は”人柄採用”だろ」
即答でした。曇りのち晴れ。ワンピースだったら「ドン!!!」って表現されるシーン。大して長く生きているわけではありませんが、この人生で言われた中で、一番印象に残っている言葉かもしれません。ありがとう。

通信簿(当時7歳)

一気にタイムスリップしました。この辺から、私の記憶が薄くなります。
母や叔母が言うには、幼少期、見た情景を帰宅してから絵で表現することができる子供だったようです。確かに私の記憶は、映像というよりは写真で残る感覚が今でも残っています。お酒で酔いつぶれて記憶が飛んでも、写真が何枚か記憶領域に保存されます。そういうシステムなんです。

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小学1年生のときの通信簿です。この情景は覚えていません。でも、私っていうひとはこの時から変わっていないんだな、と感じました。
何より、当時の先生がそこまで見てくれていたということに感動します。字も丁寧です。人見知りするし、口下手だから不安もいっぱいでしたが、小学校に入学してすぐ、いい先生と出会えて本当によかったと思います。先生、ありがとうございました。

兄弟喧嘩(当時5歳)

2つ下の弟がいます。もともと、一緒にテレビゲームで遊んだり、ゲームボーイでポケモンを遊んだりする仲でした。私が金バージョン、弟が銀バージョン。そんな感じです。私が中学生の時くらいから、自分の友達と遊ぶことや部活動に夢中になりすぎて、弟とは疎遠な関係になりました。
たぶん、兄である私に頼りたいこともあったでしょう。ただ、相談にものってやれませんでした。視野が狭かったことを後悔しています。
そんな弟とのやり取りで一番記憶に残っていることがあります。
場所は、母の実家。リフォーム前の祖父母の寝室。弟は当時3歳、よく私にちょっかいを出していたそうです。よくある兄弟喧嘩がはじまり、殴り合いになりました。子供とはいえ、男の喧嘩にはこぶしを使わなければいけない時があります。弟のパンチを私はかわしました。私が矢吹ジョーなら、このあとアッパーかボディブローへと展開していたでしょう。クロスカウンターは当時まだ知りませんでした。

バリーン!!!

弟が体重を乗せた渾身のパンチは、障子扉に張られていた薄いガラス部分を突き破りました。腕からは赤い液体がドクドクと流れ出ています。弟は号泣でした。これは割と鮮明です。記憶写真が残っています。

自分がよけたせいで、弟がケガをした。
時には自分が痛い思いをしてでも人を助けなければいけないことがある。
そう胸に刻みこみました。

この出来事が私の根っこにあるせいか、献血や血液検査すら苦手です。
高校の野球部時代、年明け。練習後に初詣をして、献血をした時も400mlは無理でした。会社員時代、抜歯しただけでふらっと倒れたこともあります。昨年の血液検査も倒れました。

とにかく、弟には謝りたいです。ごめん。

誰の遺伝子か??

小さい頃はバイキンマンがする悪さにめちゃくちゃ怒っていたよ。
一体その「正義感」「優しさ」は誰に似たんだろうね。

最近、母から言われました。申し訳ございません。記憶にございません。
バイキンマンってすごく可愛いじゃん。中尾隆聖さんの声も本当に素晴らしいですよね。

「いったい、誰に似たんだろう・・・」

そう考え始めた時に、一つの記憶写真が脳内で現像されました。
その写真について、前後の出来事を覚えていないので当事者に聞いた内容が以下になります。

私が小学6年生の時、中学野球のレベルを観るため、進学する中学校の練習試合を見学に行きました。帰り道、森林公園に寄り道をしました。
そこにいたのは、私、私の両親、友人3名。合計6名。友人の1人が、
「あっちの池で赤ちゃんが溺れている」
と私の母にぼそっと伝えました。母は、
「誰か!助けてー!!」
と叫びました。すぐにその赤ちゃんの親が駆け付け、池に飛び込み、赤ちゃんは無事に救出されました。

母はあの時、すぐ池に入れなかったことを後悔しているそうです。
私は足がすくんで、声も出せなかったことを思い出し、後悔しています。
この時点で、感性が似てるなって思いました。
でも、母が声を張り上げたおかげで、一人の命が救われたんです。
その「やさしさ」は息子である私に確実に遺伝しています。

以上のことから、わたしは「やさしい人間」といえます。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

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中村友隆
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