コロナ禍での共同体
お知り合いの方が
こちらに寄稿されている。
ちょっと固そうに見えますが、
内容はいたってシンプル。
このことについて書いてみる。
1 フラット化
フラットとは、平(たいら)ということ。
距離が縮まって、フラットになったという風に解釈した。
先生と生徒
僧侶と信徒
上司と部下
親と子 等々
上下の関係は今も随分ある。
今までも権威が随分失墜してきたが、
それらの関係性もフラット化するだろう。
だからこそ、人間性が大事になってくるのだろう。
もはや、
僧侶だから
先生だから とそれだけで尊敬されることはない。
2 隠せることが垣間見える
家庭環境がわかる
ということも書かれていた。
家にいることが増えれば、
家と家とをオンラインでつないでいくことが増える。
隠そうにも隠しきれないことも出てくる
かもしれない。
外の関係性で生きてきた私にとっては、
内のことを見せたくないのも正直ある。
特に家庭環境はずっと話したくなかった。
それらが見えてしまうのは辛いが、
そこも含めた人間性が大事になってくるだろう。
例えば、
外ではしっかりしていても
内では家の中がめちゃくちゃとかだったら
人間性も疑われてしまう。
これはまさに私のことだが。
3 抗うことはできない
変化を二つ書いたけど、
その変化に抗うことはできるのか?
できない!
それを受け入れてやっていくしかないのだ。
コロナ騒動での変化
それに付随する変化
また今後
テクノロジーの進展等での変化も出てくる。
それら全て飲み込んでいくしかない。
価値観も当然変わる。
それら全てを
抗わずに
受け入れること。
逆に受け入れられなければ、
人との関係や共同体での生き方、
信頼も損なうことがあるだろう。
4 共同体として
紀行文の結びにはこうある。
「学びの共同体」「信仰共同体」、よく耳にする用語だが、もしかするとかかる状況だからこそ、これらは実現できるのかもしれない。
その通りだ。
共同体を作りやすい時代になった。
こんなことを書いたこともあるけど、
厄介な権威がなくなれば、
共同体も作りやすい。
変化に適応するという前提もあるが。
5 では地方はどうなるの?
地方も一つの共同体と見ていい。
地方はどうなるだろうか?
いいことに違いない。
例えば、コロナ移住なんて報道もあるけど、
移住する人が増えて限界集落が緩和されるかもしれない。
また、
若い人も戻りやすくなるだろう。
また、田舎独特のヒエラルキー
それこそ
権威等の目に見えないピラミッド構造の人間関係が
フラットになるだろう。
こんな方もいた。
「いつまでも年寄りが口を出してはいけない。
若い人にバトンを渡していかないと。」
その方は
残念ながら、若者にバトンを渡していない。
いわゆる田舎の長老は皆
自分だけは若い気なのだ。
自戒を込めてね。
これらの変化を受け入れるのはなかなか辛いけど、
私自身も変わっていかないといけないなあと思う。
今日もありがとうございました!
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