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エッセイスト、ドメストル美紀の創作小説のアカウントです。 感想、提案、ご教示、ウエルカ…

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エッセイスト、ドメストル美紀の創作小説のアカウントです。 感想、提案、ご教示、ウエルカム! https://lit.link/mikidem こちらに掲載された文章、画像のコピーライトは全てドメストル美紀に属します。© 2020ー2022 Miki de Maistre

マガジン

  • 創作小説 マイ・ストーリー~Awakening

    #創作大賞2022 への応募作です。48歳のNaomama、気づくとSNSに吸い込まれていて自分がわからなくなっています。本当の自分はどこにいるのか。 ブログのようにさらーっと読めると思います。どうぞ宜しくお願い致します。

  • ウィーンへ行きました。

    ブログのようにさらっと読める小説シリーズ、今回は音楽の都、ウィーンへ参りましょう。 ゆき恵は悩める32歳のCA。壊れた家庭で育ったせいか、安定・不安定の境界線にいます。今、彼との結婚を前に、グラグラ揺れている、そんな中のウィーン・ステイ。同期の綾乃、美樹と一緒に、それぞれの旅模様があって、という話。 感想、提案、ご教示、全てウエルカム!どうぞ宜しくお願い致します。

  • サンタモニカへ行きました。

    ブログのようにさらっと読める小説シリーズ、今回はサンフランシスコへ行きます。喪失の悲しみ、閉塞のつらさに耐えきれず、アラフォーCAのかおりは飛び立ちます。かおりのしっとりとしたセンチメンタル・ジャーニーにお付き合い下さいませ。

  • 翼をひらくとき

    ブログのようにさらーっと読める小説シリーズ。 押しつけることなく女性たちを応援したい、そんな想いからこんなストーリーを書いてみました。 慶子は元CAです。生真面目がゆえに、未だに昔の傷に未だに悩まされています。夫のことも許したいんだけど、しこりが取り除けずにいる。女であることへの自信も揺らいでいて。慶子の「ジャーニー」の行き着くところは……。 感想、提案、ご教示、全てウエルカム!どうぞ宜しくお願い致します。

  • ベルサイユへ行きました。

    ブログのようにさらーっと読める小説です。 海外旅行がままならないこの頃、ベルサイユへ脳内ジャーニーしませんか。 鬼カワこと、河合依子は、手厳しいことで知られるお局CA。パリ行きの機内で、昔の同期、エリと再会します。嫉妬、呪縛、孤独……。依子はどのように向き合うのか、見てやって下さい。 感想、提案、ご教示、全てウエルカム!どうぞ宜しくお願い致します。

最近の記事

ウィーンへ行きました。①

憂いが似合う街 気づくと早足になっていた。夕暮れ迫るシュテファン寺院界隈を、コートの衿を立てホテルへと急ぐ。オレンジ色の街灯、石づくりの建造物、音大から流れてくるバイオリンの音色。 ーー君は誰?  耳元で誰かが囁く。足元がグラグラするような感覚に襲われ、ついに小走りになる。  ホテルの部屋に戻ると、買ったばかりのミネラルウォーターやヨーグルトを備え付けの小さな冷蔵庫にしまい、バスルームで手を丹念に洗った。蛇口をキュッと締め、顔を上げると、鏡には疲れた女の顔が映っている。ま

    • ウィーンへ行きました。②

      緊迫の北京線 その日、朝のNHKニュースでは関東地方で長い梅雨がようやく明けたと報じていた。羽田ー北京の日帰り便にアサインされていたので、朝七時過ぎに客室部に出勤した。  チーフ・パーサーは藤野奈津子。この藤野は客室部ではお局様的な存在だ。四十半ばという年齢からだけではない。言動が「お局様」風なのだ。何かと上から目線で、後輩にハラスメント紛いのしごきをする。サービスに関しては、妙に色気に訴えるというスタイルで、それも揶揄の対象だった。その上、マニュアル通りに動かず、自分が好き

      • ウィーンへ行きました。③

        婚活、わたしはムリだ 原田とは、付き合い始めて二年近くになる。お互い三〇代に突入しているし、結婚を意識した付き合い方をしていた。  自分の家族の状況について早い時点で告白した。こういうことが、結婚においてネックになることは過去の経験から学習済みだった。 「オレ、複雑な家族背景はムリ」と、断られたことがある。「親を切るのはやっぱりよくないよ」と、逆に責められたこともある。父のような人は金を渡したらすぐにまた投資という名の賭けごとにつぎ込むだけだというのに、だ。「今すぐ結婚してく

        • ウィーンへ行きました。④

          カミングアウト 夕食は近くのシュニッツェル(仔牛肉を薄いとんかつ風に揚げたオーストリア名物料理)屋に行った。生ビールのジョッキを片手に、美樹がゴシップ話を面白おかしく話すのを聞きながら、綾乃と一緒に笑い転げた。  久しぶりによく笑ったな、と思っていると、綾乃がまるでわたしの心を先読みしたかのように、 「久しぶり、こんなに笑うの。女同士は気が楽でいいわ」  としみじみと呟いた。綾乃は同期の中ではいち早く結婚したクチだ。相手は確か大学の時の同級生だったはず。子供はまだだがら外出も

        ウィーンへ行きました。①

        マガジン

        • 創作小説 マイ・ストーリー~Awakening
          5本
        • ウィーンへ行きました。
          8本
        • サンタモニカへ行きました。
          10本
        • 翼をひらくとき
          22本
        • ベルサイユへ行きました。
          9本
        • シャルトルへ行きました。
          9本

        記事

          ウィーンへ行きました。⑤

          コントロールしたいの? 翌朝起きると、時計は十時を指していた。こんなに寝坊するのは久しぶりだ。日本でも、外地でもどんなに疲れていようが、朝六時前に目が覚めてしまうので困っていた。こうよく寝ると、目覚めも気持ちがいいものだ。 ベッドの中で手足を伸ばす。その爽快感とは裏腹に、頭の中では昨夜の話を思い出していた。  DV、ドメスティック・ヴァイオレンスーーこんな近くに被害者がいるとは思いもしなかった。綾乃の顔を思い出すだけでも、胸がズキッと痛む。いつも穏やかな笑顔を湛えている綾乃が

          ウィーンへ行きました。⑤

          ウィーンへ行きました。⑥

          名もなき詩 最近、原田は、父の負債について口にするようになった。親からせっつかれているらしい。 「ユキちゃんだってボクと結婚したいよね? だったら、やっぱりこのことは整理しないとダメなんだよ」 と、わたしの顔を覗き込んだ。まるで小学校の先生が悪いことをした子どもを諭すかのようだった。だが整理せよといわれても、借金はわたしではなく父が背負っている。それにわたしも何度も「返せない額ならば自己破産するべきだ」と父に進言してきたではないか。その度に父から「ろくでなし!」と怒号を浴びせ

          ウィーンへ行きました。⑥

          ウィーンへ行きました。⑦

          インペリアル・トルテ、モーツアルト、そして告白 午後、ケルントナー通りにある、インペリアル・ホテルのティールームで美樹と綾乃と待ち合わせした。  このホテルは十九世紀に宮殿として建てられたという。ホテルのロビーは、ロココ調でシルクや金銀をふんだんにあしらった豪奢な内装だ。基本的に簡素なスタイルが好みだが、このロビーの見事なバランスに感心した。デコラティブなのに浮ついたところはなく、重厚な落ち着きがある。ああ見えて実は音大出身の美樹が入手した情報では、毎週火曜日はティールームで

          ウィーンへ行きました。⑦

          ウィーンへ行きました。⑧

          センチメンタル・ジャーニー ステイ三日目は、ザルツブルグまで行く「サウンド・オブ・ザ・ミュージック・ツアー」に参加した。もちろん、美樹に引き摺られてのことだった。 「寒いよ」「疲れるよ」 と腰が引けるわたしと綾乃を、美樹は 「面白いって。ほら、だまされたと思って行こう」 と説き伏せ、観光バスに押し込んだ。  『サウンド・オブ・ザ・ミュージック』は一九六五年に公開されたジュリー・アンドリュース主演のミュージカル映画で、数々の名曲を産んだ。舞台は、ザルツブルグ。修道女見習いのマリ

          ウィーンへ行きました。⑧

          ウィーンへ行きました。⑨最終回

          君は誰? いよいよ明日帰国だ。最終日は少しだけ買い物をして、夕方にはそれぞれ部屋に入った。  時計を見ると、十一時を指している。  ベッドに入り、目を瞑るが眠気は訪れない。  代わりにこの四日間のことが次々と思い起こされた。綾乃の涙声、美樹のガハハ笑い、インペリアル・ホテルのピアノの音色、サウンド・オブ・ザ・ミュージック・ツアー、そして鐘の音。  だが振り返るはこのくらいにして、もう寝よう、寝ないと明日きついぞ、と自分に命じる。それなのにーー。  Oh darlin’

          ウィーンへ行きました。⑨最終回

          サンタモニカへ行きました。⑩最終回

          新しい旅路  帰りの飛行機は混んでいた。翌日から出勤するので締まり屋のわたしにしては珍しく、ビジネス・クラスを取っておいてよかった。そうはいっても、社員割引のチケットなのだが。  ビジネス・クラスは、エコノミー・クラスと違い、座席、サービス、全てにゆとりを感じる。周りの旅客までグレードアップしたかのように品がよく見えるから不思議だ。アペリティフに頼んだカリフォルニア・ワインが美味しくて、一人舌鼓を打つ。窓の外を見ると雲ひとつない青空が、下に視線を落とすと大海原が広がっている。

          サンタモニカへ行きました。⑩最終回

          サンタモニカに行きました。⑨

          旅のフィナーレ 最終日は、「せめて、これだけは私にさせて」と、浩美一家をディズニーランドに招待した。ある晩の浩美達と子ども達との会話から、どうやら長いことディズニーランドに連れて行く約束を交わしているのに、実現されていないことを知った。浩美と孫は、最終日の土曜はかおりをどこかに案内するつもりでいたようだった。それならば、と思いついたわけだ。  ゲートをくぐると、早速ミッキーとミニーが歓迎してくれる。子ども達は走り寄って、握手を求めている。その情景にかおりの心も弾んだ。テーマパ

          サンタモニカに行きました。⑨

          サンタモニカに行きました。⑧

          海風、浜風、向かい風 夕方は、日課のように浩美達と海岸へ犬の散歩に行った。夕凪が訪れる気配はなく海風が強かった。遠くの海にはサーファー達の姿もちらほら見える。子ども達が凧を持って走り出すと愛犬ジェフも嬉しそうにしっぽを振ってついて行った。髪を手で押さえながら、その様子を目で追うと、 「かおり、何かすっきりした顔してるぅ!」 と浩美は声を上げて話しかける。 「ゆっくりさせて貰っているからよ」 と答えたが、風が強く、声がかき消されてしまう。浩美が耳に手を当て、聞こえない、とジェス

          サンタモニカに行きました。⑧

          サンタモニカに行きました。⑦

          消えてもいいですか? サンタモニカ滞在の三日目、浩美に連れられてゲティ美術館を訪れた。ジャン・ポール・ゲティという石油王の私財から作られた美術センターということだが、その規模の大きさは目を見張るものがある。建物は十以上あり、中は路面電車のトラムで移動するほどの広大さだ。収蔵されている美術品は、モネ、セザンヌなど欧州の著名な絵画から現代の彫刻まで、質・量ともに圧巻のコレクションだ。  はじめは、その充実した内容に圧倒されていたが、少しすると時差のせいか貧血気味になった。「ごめん

          サンタモニカに行きました。⑦

          サンタモニカへ行きました⑥

          Awakening~目覚め  次の日、近くの大学で日本語を教える浩美は、午前中の授業を受け持っていた。そこで、ビーチで行われるヨガ・クラスに一人で参加してみることにした。  これは全く予定外のことだった。前日、砂浜で仏像のように座禅を組んでいる人達を見かけた。浩美に訊ねると、 「ああ、あれ、ビーチ・ヨガね。気持ちいいのよ」 わたしが興味ある顔をしたのだろう。浩美は気軽に参加できるグループを知っているといい、その場でメールを幾つか遣り取りして、かおりが参加できるようにアレンジし

          サンタモニカへ行きました⑥

          サンタモニカへ行きました。⑤

          時は流れて 思いに耽っているうちに、少しうたた寝してしまったようだ。気づくと浩美の家に着いていた。  車から降りると、ちょうどその時、浩美の息子達が、自転車で家の前のドライブ・ウェイに入ってきたところだった。マウンテンバイクをガシャンと地面に倒して停め、ヘルメットを脱ぎながらやって来た二人は、ティーンエイジャーと呼ぶ、少し手前くらいだろうか。長男君は、顔はまだあどけない子どもなのだが、背丈だけは浩美より高い。次男君は、笑うと歯の矯正器具が覗く。二人とも額に汗を浮かべていて、何

          サンタモニカへ行きました。⑤

          サンタモニカへ行きました。④

          こんなはずじゃなかったよね 大きな車がビュンビュン飛ばす中、浩美は、緊張することなくハイウェイを運転していた。先ほど、ホテルでピックアップして貰ったのだ。 「りっぱねぇ、浩美。すっかりアメリカ人してる」 わたしは車の免許すら持っていない。どこかに行くときは電車やバスに乗るものだと思っている。 「車社会だからチョイスがないのよ。下手でしょ、運転。でも一応無事故だから」 と浩美はさらっと応える。何車線もあるハイウェイを、どこまでも続く青い空へ飛び立つように自由自在に運転する浩美。

          サンタモニカへ行きました。④