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短編小説 「テヘペロしてみようよ」


ボクの名前はペペロ。え、聞いたことない? そりゃそうだよね。ボクは「テヘペロの妖精」。困ってる人や沈んでる人がいるところに、ひょいっと現れては“テヘペロ”の力を広めてるんだ。いやいや、怪しい者じゃないよ。姿は見えにくいかもしれないけど、ちゃんと存在してるんだってば。

さて、今回ボクがやってきたのは、ある人間さんの部屋。大人の男の人みたい。部屋の雰囲気は……うわあ、かなりくたびれた感じだ。昼間なのにカーテンが閉め切られてて、カーペットの上には飲みかけのペットボトルやら空になったカップ麺の容器やらが散らばっている。唯一の明かりは、ベッド脇にあるスタンドライトだけ。枕元にはスマホの充電ケーブルがのびていて、人間さんはそのスマホをまるで宝物みたいにじっと眺めているんだ。

膝を抱えてベッドの横に座る人間さんは、明らかに元気がない。肩は落ち込み、髪はぼさぼさ。眉間には深いシワ。口角は下がる一方で、今にも泣きそうな顔をしている。  

「何を見てるんだろうね」  

ボクはそっと空中を回転しながら近づく。けれど人間さんは全然気づかない。ボクの存在をちゃんと認識できるのは、心の中に少しでも「笑いたいな」と思う気持ちを残している人だけなんだ。この人間さんにその余力はあるのかなあ? もしなかったら、ボクの姿も声も届かない。でも、とりあえずやってみるしかないよね。

ボクは大きく息を吸って――  

「テッヘペロ、テッヘペロ~♪」  いつものように、歌いながら宙をぷかぷか漂う。そうすると人間さんがビクッと体をこわばらせた。やった、少しは聞こえているみたいだ。

「な、なに? いまの声……?」  彼はスマホを置いて、あたりを見渡す。当然、誰もいないはずの部屋だから、不審そうな顔になるよね。ボクは、マットレスの上にちょこんと降りて、再び口を開いた。

「やあやあ、人間さん。暗い顔して、どうしたのさ? 休みの日なのに、ずっとスマホとにらめっこしてるなんて、もったいないよ」  

「……誰だ……?」  

人間さんの声は、疲れと戸惑いでわずかに震えていた。目にはクマができてて、まるで昨夜ほとんど眠れなかったように見える。きっと仕事が忙しすぎるんだろうな。平日は夜遅くまで働いて、家に帰っても食事をとるのが精一杯。休日ともなれば、逆に何もする気が起きなくて、こうしてぼんやり過ごしているってわけか。

ボクは羽の代わりに頭についた小さなピコピコと揺れるアンテナを動かして、部屋を軽やかに見回した。カーテンのすき間からわずかに光が差し込んでいるのがわかる。それが部屋のほこりを金色に染めていて、少し幻想的な雰囲気を醸し出していた。こういう小さな光を見つけるのはボク、けっこう得意なんだ。あ、人間さんがまだ怪訝そうな顔をしてるね。よし、もっとわかりやすく言ってあげよう。

「ボクはペペロ。テヘペロ妖精って呼ばれてるんだ。ボクは忙しくてくたびれちゃった人を見つけると、こうして“テヘペロ”を教えにやってくるのさ」  

「……テヘペロ、って……何だよ、それ」  眉間のシワがさらに深くなった。人間さんは重苦しい空気を纏いながらも、不思議そうにボクを見つめている。ボクはウインクをしながら、また声を弾ませる。

「簡単なことさ。たとえ仕事でミスしようが、プライベートで落ち込もうが、人間ってのはすぐに真っ暗な穴に落ちちゃうでしょう? そんなときこそ、テヘペロ! ほら、ちょっと舌をぺろって出して笑ってみるんだ。『ごめんね、てへっ』みたいな気軽さで、全部を笑い飛ばしちゃえばいいの。きっと気持ちが軽くなるはずだよ!」  

「いやいや、そんなことで解決するわけないだろ? 俺は仕事の残務が山ほどあるし、……上司は厳しいし。ミスでもしたら、もう首が……」  

「ま、まあまあ、難しく考えないでさ。失敗したらテヘペロ、ちょっと元気がなくなったらテヘペロ。失敗とか恐れとかも、一旦そこに置いといて、舌をぺろっと出してみる。ほら、案外笑えるもんだよ。ボクなんて、何があってもまずテヘペロから始めるもんね」

もちろん、全部が全部うまくいくわけじゃない。そもそも人間さんが抱えてる悩みは、そんな単純なことで解決するようなものじゃないだろう。でも、ボクは知っているんだ。どんなに黒い闇の中に沈んでいても、笑うきっかけがあれば、そこからぐんと抜け出せる瞬間があることを。きっかけは小さいほどいい。大きな準備なんてしなくていいから、ちょろっと舌を出して、顔の筋肉をゆるませるだけ。たったそれだけのことで心がふっと軽くなるなら、お得じゃないかって。

人間さんはまだ半信半疑な目をしている。でも、さっきよりは目の下のクマが少し薄くなったように見えるのは気のせいかな? ボクはさらに畳みかけることにした。

「さあ、試しにやってみてよ。何もしなかったら、今日は一日中ベッドの横でスマホをいじるだけだよ? あしたはまた会社だ。そしたら、もっと気が塞いじゃうだろう? だったら、ちょっとだけボクの言葉を信じてみなよ」  

「……ええい、どうせならやってみるか。テヘ、ペロ……?」  おっかなびっくり、彼は舌をちょろっと出してみせた。表情はぎこちないし、心の底から笑えているわけじゃなさそうだけど、それでも、ちょっとだけ唇の端が上がった気がする。

「ほらね、けっこう似合ってるよ。あとで鏡見てごらん。ああ、でもいきなり大きくやりすぎると恥ずかしいかもしれないから注意してね。それにしても、思ったより上手じゃないか!」  そう言ってボクはぱたぱたと手を叩くふりをする。

すると、彼ははにかむような笑顔を浮かべてスマホを置き、深いため息をつく。なんだかさっきまでの沈鬱な空気がちょっとだけ和らいだみたいだ。よしよし、これで明日から少しずつでも楽になっていくといい。

ボクは部屋の中を一回りして、散らかったカップ麺の容器たちを見下ろす。さすがに片づけまでは手伝えないけれど、こういう散らかりも、テヘペロで笑いつつ「いっちょ片づけるか」って気合いを入れたら、意外とさくっと終わるかもしれない。

たかがテヘペロ、されどテヘペロ。ボクの仕事は小さな笑顔を植え付けるところまでなんだ。あとは人間さん自身が歩き出すしかない。

「さて、ボクはもう行かなきゃ。次のテヘペロが必要な人を探しにね」  

「え、あ……そうなのか……?」  

人間さんはちょっと寂しそうだ。いいよいいよ、そう思ってくれるなら十分だって。ボクは頭についたアンテナをぴこぴこ動かして、歌のリズムを取り始める。いつものやつさ。

「テッヘペロ~♪ テッヘペロ~♪ 君もやってみようよ~」  そう歌いながら、ボクの姿は少しずつ薄くなっていく。

空気に溶け込むように消え始める身体だけど、歌声だけは最後まで鳴り響く。人間さんはボクが消えていく様子を口をあんぐり開けて見守っている。

最後にちらっと彼の顔を見たら、さっきよりずっと優しい表情だった。いいじゃないか。これで明日、彼が少しでも笑って過ごせるなら、ボクも満足。  

さあ、新たな場所へ向かわなきゃ。悩みや暗い気持ちがある限り、ボクの出番は終わらない。とびっきりの「テヘペロ」を、お届けにあがるのさ。  

テッヘペロー、テッヘペロー。



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テヘペロ。

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