見出し画像

短編小説 「雨が降る日」


ぼくは傘のコウモリ。青い布地を広げて、雨の音をしとしと受け止めるのが、何より大好きな傘なんだ。人間たちはどう呼ぶかな。「折りたたみ傘」だったり「長い傘」だったり、色々あるけど、ぼくはただの傘。ママが買ったのは青色の、ほんの少し大きめのやつ。骨組みはそこそこ丈夫で、開いた時にはポンと気持ちいい音がする。それがぼくの自慢なんだ。

ずいぶん前のことだ。一度だけ、突風が吹いた日に骨が曲がりかけたけれど、ママが器用に直してくれた。それ以来、ぼくは多少の風にも耐えられる頑丈さを手に入れたんだ。そうやって大事に使われるのは嬉しい。でも、最近は全然雨が降らなくて、ぼくの出番はさっぱりなかった。

一ヶ月ほど前、人間たちが「梅雨明けが早いね」なんて言っていたあたりから、ずっと晴ればっかり続いていた。青空の下で洗濯物がひらひらと風に揺れる光景や、暑くてエアコンに頼る人々を見るたびに、ぼくは心の中で「早く雨降れないかな」と念じていた。だって、ぼくは雨のためにある傘だもの。

玄関の片隅に立てかけられていると、太陽の光がドアの隙間から差し込んで、小さな埃の粒子が浮かんでいるのが見えた。ぼくの青い布地には薄っすら埃がたまりはじめている。ママが時々手に取って、やさしく拭いてくれることもあるけれど、やっぱり雨の日に活躍できないのはつまらない。新しい靴が履かれずに下駄箱に眠っているみたいな気分で、なんだかむずむずする。

その日の朝、天気予報が久しぶりに「傘をお持ちください」と告げたらしい。ぼくはそれとなく人間たちの話を耳にして、胸がドキドキした。窓の外は確かに曇っていて、空気がしっとり重たい。いつ降り出してもおかしくない気配がたっぷりだ。ついに出番が来るのかな、とそわそわしながら、ぼくは玄関に立ったまま準備万端でいる。

しばらくすると、窓を打つ雨音がかすかに響き始めた。ポツポツからシャーっと勢いを増して、まるで天から水のカーテンが落ちてきたみたいに路面がみるみる濡れていく。水たまりができ、車のタイヤが水しぶきを上げる。ぼくは興奮を抑えきれない。ようやく恵みの雨だ!やった!と心の中で叫ぶ。

ところが、人間たちの気配が何やら落ち着かない。「ちょっと、これって降りすぎじゃない?」とか、「こんな豪雨、外に出たらびしょ濡れだよ」と言い合っている声が玄関から聞こえてくる。期待に胸ふくらませていたぼくは、少し不安になる。まさか、これだけ強い雨だと外出を控えちゃうのかな?でも、傘があればなんとかなるはずだよね。ぼくは強い雨にも負けないように作られているし、風もそこそこ大丈夫。

外の雨脚がますます激しくなると、人間たちは「今日はもう無理だ」「ネットで買い物しちゃおうか」と言い出した。ぼくのかん高い気合の声は、ここからだと届かないらしい。ぼくは玄関の隅でしゅんと肩を落とした。せっかくの豪雨が、ぼくの晴れ舞台(いや雨舞台?)になると思っていたのに。

時間が経つほどに雨は強く、雷まで鳴り始める。近くのアパートの前には巨大な水たまりができ、郵便受けに手を伸ばす人が傘を持っていても、足元がずぶ濡れになる。雨粒がアスファルトを叩く音はまるで太鼓のようで、一刻も早くぼくを連れてってくれればいいのにと歯がゆい。

けれど、人間の耳には「これじゃあ外出できない」としか聞こえないらしい。いつまでたっても誰もぼくを手に取らない。ならばこのまま一日が終わるのか、と切ない気持ちで雨音を聞きつづけていた。

ふと、気づけば空がほんの少し明るくなっている。さっきまでの土砂降りが落ち着き、雨音がやわらいできた。ぽつりぽつりと落ちる雫が優しい音を奏でて、雲の切れ間からうっすらと光が差し込んでいる。家の中でおそるおそる様子を見ていた人間たちは顔を見合わせ、「少しやんできたね」「どうせならちょっと買い物に行こうか」という話を始めたらしい。

やがて玄関のドアが「ぎいっ」と開き、一人がぼくに目を止める。大きな靴の音が近づいてきて、ぼくは思わず背筋を伸ばした。次の瞬間、「これ持っていこうかな」とつぶやきが聞こえて、青い柄をぎゅっと握られる。ぼくは嬉しさで少し震える。――やっと出番が来た!

ドアを開けた先は、まだ雨がポツポツと落ちる道。傘を広げられた瞬間、ぷわりと空気が弾む音がした。ぼくの骨がしなやかに伸びて、布地がぱっと青空のようなドームを作る。ところどころ水滴がふるりと跳ねて、しずくが縁から落ちていく。アスファルトに映るぼくの影が少し歪んでいて、それがなんとも愛おしく感じられる。

人間の靴音が水たまりを踏むたびに、波が揺れる。雨上がりの街には小さな虹ができているかもしれない。周りを見渡すと、誰かがいくつかの傘を差して同じように歩いているのが見えた。そこには青以外にも黄色やピンク、柄物の傘が咲き乱れていた。

ぼくはその仲間たちを見て、ちょっぴり誇らしい気持ちになる。いつもは玄関で出番を待つだけだけど、こうして雨の世界の主役として、ひととき人間を守る使命を果たせている。それだけで、コーラの泡みたいに短い活躍でも、十分嬉しい。

そして、傘の下から人間の笑い声が小さく聞こえた。さっきまでの土砂降りや雷が嘘みたいに、今は静かな雨音をBGMにして歩ける。その笑い声に、ぼくも心の中で「ほんの少しのお手伝いだけど、役に立ててよかった」とつぶやく。

こうして、やがて人間たちがお店で買い物を終え、濡れた道を帰っていくまで、ぼくは青い布地を広げていた。空には雲の隙間から光が射し、ぽつんとグレーの雲が名残惜しそうに残っている。雨が止むころ、ぼくはまた玄関に戻されるだろう。でも、それがぼくの仕事だ。今度また雨が降ってきたら、ぼくは張り切って青い翼を広げるにちがいない。

そんな未来を想像すると、雨の匂いがいっそう甘く感じられたんだ。




時間を割いてくれてありがとうございました。
もしよかったら、コメント&スキ、フォローお願いします。

テヘペロ。

この記事が参加している募集