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短編小説 「タコだから」


見上げると燦々と太陽が揺れている。青い魚が太陽を覆い隠すかのように目の前にあらわれた。吸盤が生えた灰色の腕を伸ばすと、魚は尾びれ素早くふり抜いて、僕が身を潜める岩場へ身を隠した。三日ぶりの食事にありつけると思ったがそうはいかない。生きる魚はすばしっこい。

だが幸いにも、生きる魚を無理に追わなくても、僕が住むこの岩場のすぐ上は崖、定期的に食事が降ってくる。少なくとも、クエ一匹分の食事が見込める。待てば済むこと。そうーー僕はそう生きてきた。探すこともなく、狩りもせず、ただじっと待っていればいい。

正直、狩りは苦手だ。必死になって獲物を探して見つけたとしても、逃げられて終わることも多い。だからといって、岩に擬態して獲物を待っていても逃げられる。あの青い魚みたいに。仲間のタコ達には「狩猟が下手」と、言われるけどしかたがない。だって僕は出来損ないのマダコなんだから。

腕は沢山あるけど「一本ないだろ」と言われる。
擬態はできるけど「色が薄い」と言われる。
墨は吐けるけど「少ない」と言われる。

タコなのに取り柄がない。「やる気のない、生きる気のないタコ」だと言われるけどしかたがない。好き好んでタコに生まれたわけじゃない。タコやめられるなら今にでもやめてやる。せめて、イカとして生まれたかった。イカはかっこいい。スマートで透き通るような体で腕は十本もあって、空を飛ぶことさえできるから。

海底に沈む静かな時間が続く。僕は岩場の隙間から、ただぼんやりと海の景色を眺めていた。何もすることがない時間は嫌いじゃない。流れる水の音、遠くで聞こえるクジラの歌声、すべてが心地よい子守唄のようだ。

そのとき、上から小さな影が降りてきた。何かと思って見上げると、透明な体を持つイカがゆっくりと舞い降りてくる。イカだ。あんなにスマートで、自由に海を泳ぐイカが目の前に現れるなんて珍しい。

「君、こんなところで何をしているの?」イカが僕に声をかけてきた。

「何も。ただ、ここで過ごしているだけ」僕は答えた。

「狩りはしないのかい?」

「得意じゃないんだ。待っていれば食事は手に入るし、それで十分さ」

イカは少し考えるようにヒレを揺らした。「そうか。でも、動いてみると新しい発見があるかもしれないよ」

「新しい発見?」

「そうさ。僕も最初は怖かったけど、空を飛んでみたら世界が広がったんだ。君も試してみないかい?」

「僕が空を飛ぶ?」ありえない。僕はタコなんだ。

「腕を広げて、水の流れに乗ってみるんだ。きっと気持ちいいよ」イカはそう言って、上へと泳ぎ始めた。彼の透明な体は光を受けて輝いている。迷ったけれど、僕は思い切って岩場から這い出した。久しぶりに伸ばす腕は少し重たかったけれど、なんとか動かせる。

「そう、こっちへおいで!」イカが手招きする。

僕はゆっくりと彼のもとへ近づいた。水の流れを感じながら、腕を大きく広げる。すると、体がふわりと浮かび上がった。

「おお……」

今まで感じたことのない感覚。自由に水中を漂う心地よさ。僕はそのまま流れに身を任せてみた。

「どうだい、悪くないだろう?」イカが微笑む。

「うん、こんなに気持ちいいなんて知らなかった」

「世界は広いよ。君ももっと動いてみるといい」

イカは軽やかに頷き、「またどこかで会おう」と言って去っていった。僕は新しい気持ちで周りを見渡した。海は広く、美しい。今まで岩場に閉じこもっていた自分が小さく思える。これからは少しずつでも動いてみよう。僕はゆっくりと腕を動かし、海の中を進み始めた。目の前には未知の世界が広がっている。カラフルな珊瑚礁、小さな魚たちの群れ、海草が揺れる光景。すべてが新鮮で、心が踊る。

「僕にもこんな景色が見られるんだ」

腕を伸ばし、触れるものすべてが新しい発見だ。岩場に閉じこもっていた頃には感じられなかった充実感が胸に満ちていく。遠くで先ほどのイカが振り返り、手を振っている。

「ありがとう」

小さくつぶやき、僕はさらに先へと進む。海流に乗って、どこまでも行ける気がする。自分の中で何かが変わった気がした。やる気のないタコと言われていたけれど、これからは自分の意思で動いてみよう。海面に向かってゆっくりと浮上する。太陽の光が水面を突き抜けて、体を暖かく包み込む。腕を大きく振り、水をかいて前へ進んだ。





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