短編小説 「クジラの空」
僕はホーリー、ザトウクジラだ。青く広がる空が大好きで、いつも海面近くを泳いでいる。太陽の光が水面をキラキラと輝かせ、その先にある空はまるで手が届きそうなほど近く感じる。
ある日、海面を飛び出すトビウオたちの群れを見つけた。彼らは銀色の翼を広げ、空へと舞い上がっていく。その姿に憧れて、僕は思わず声をかけた。
「ねえ、僕も一緒に飛んでみたいんだ!」
トビウオたちは一瞬こちらを見て、クスクスと笑った。
「お前はクジラだろ?飛ぶなんて無理さ。大人しくオキアミでも食べてなよ」
その言葉に胸がズキンと痛んだ。だけど、諦めたくない。どうしても空を飛びたいんだ。
次の日、僕はトビウオの群れにそっと近づき、一緒に泳いでみた。彼らの動きを真似て、勢いをつけて海面へと向かう。しかし、巨大な体は水面を割るだけで、空へと舞い上がることはできなかった。
「やっぱり無理なんだ……」
僕は深く深く海の底へと潜っていった。暗い海の中、心も沈んでいくようだった。
しばらく泳いでいると、巨大な影が目の前に現れた。赤く光る目に長い触手――ダイオウイカだ。体の震えを感じながらも、その瞳にはどこか優しさが宿っていることに気づいた。
「何をそんなに落ち込んでいるんだい、クジラくん」
低く響く声に、僕は素直に答えた。
「僕は空を飛びたいんだ。でも、何度試しても飛べなくて……」
ダイオウイカはゆっくりと近づき、その大きな目でじっと僕を見つめた。
「君にはその大きな体と強い尾びれがあるじゃないか。信じれば飛べるさ」
「でも、どうやって……?」
「深く潜って、思い切り力を込めて跳ね上がるんだ。君の力を信じてごらん」
その言葉に、心の中で小さな希望の灯がともった。
「わかった、やってみるよ!」
僕はダイオウイカにお礼を言い、さらに深くへと潜っていった。水圧が体に重くのしかかる。でも、負けていられない。
「いくぞ!」
全身の筋肉に力を込め、一気に上昇する。水を切り裂く音が耳元で響き、体はどんどん加速していく。海面が近づき、太陽の光が眩しく輝く。
「飛べる……!」
その瞬間、僕は海面を突き破り、空へと舞い上がった。水しぶきが虹を作り、風が体を包み込む。見渡す限りの青い空と、眼下に広がる海。
「これが空なんだ!」
喜びが体中を駆け巡った。下を見ると、仲間のクジラやトビウオ、カモメたちが驚いた顔でこちらを見上げている。
「ホーリーが空を飛んでる!」
みんなの声が聞こえる。僕は大きく尾びれを振り、宙でくるりと回転した。
しかし、重力には逆らえず、やがて体は海へと戻っていく。だけど、心は軽く、満たされていた。
海に戻ると、仲間たちが口々に話しかけてきた。
「すごいじゃないか、どうやったんだい?」
「信じられないよ、クジラが空を飛ぶなんて!」
トビウオたちも興奮した様子で近づいてきた。
「ごめんよ、僕たち君を笑って……本当に飛べるなんて思わなかったんだ」
僕は笑って答えた。
「いいんだ。大切なのは、自分を信じることだって気づいたんだ」
遠くでダイオウイカが静かにこちらを見ていた。僕は彼に向かって大きく手を振った。
「ありがとう!」
彼は何も言わずに深海へと姿を消した。
その日以来、僕は自分の可能性を信じることにした。空を飛ぶことは一瞬かもしれない。でも、その一瞬のために努力する価値がある。
「さあ、もう一度やってみよう!」
僕は再び深く潜り、力を込めて上昇した。何度でも挑戦する。青い空はいつもそこにある。
時間を割いてくれてありがとうございました。