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短編小説 「タコのコンプレックス」


僕の名前はオクノ。普通のタコよりも一回り小さく、触腕も短い。それがずっと僕のコンプレックスだった。子供の頃から、周りのメスタコやオスタコたちにからかわれてきた。

 「オクノ、その短い触腕でどうやって泳ぐんだい?」

 その言葉が胸に刺さり、僕は海底の岩陰に隠れて泣いたこともあった。大人になった今でも、そのコンプレックスは消えない。恋愛なんて、自分には無縁のものだと思っていた。

 ある日、静かな海中を漂っていると、一匹の美しいメスタコが目に入った。彼女の名前はタコミ。滑らかな肌と優雅な動きに、思わず目を奪われた。しかし、彼女の触腕の一本は他のものよりも太く、それが彼女のコンプレックスであることを僕は知っていた。

 遠くから彼女の様子を伺う日々が続いた。タコミが海草の間をしなやかに泳ぐ姿、岩陰で休む姿。そのたびに胸が締めつけられ、高鳴った。

 「話しかけたい。でも、この短い触腕じゃ笑われるだけだろう」

 自分の小ささを呪い、何度も諦めようとした。

 一方、タコミもまた自分の太い触腕に悩んでいた。他のタコたちから奇異の目で見られ、距離を置かれることが多かった。オクノの視線に気づいていた彼女は、彼の好意を感じながらも、自分から近づくことを避けていた。

 ある満月の夜、海面から差し込む銀色の光が海中を照らしていた。僕は意を決してタコミのもとへ向かうことにした。

 「今しかない。この気持ちを伝えなければ、一生後悔する」

 心臓が激しく鼓動し、触腕が震える。彼女は珊瑚のそばで静かに佇んでいた。

 「タコミさん……」

 小さな声で呼びかけると、彼女はゆっくりと振り向いた。月光に照らされたその瞳は、深い海のように美しかった。

 「オクノさん?どうしたの?」

 緊張で言葉が詰まりそうになる。でも、ここで引いてはいけない。

 「ずっと君のことを見ていました。僕は体が小さくて、触腕も短い。それが恥ずかしくて、話しかける勇気がなかった。でも、君の美しさや優しさに触れるたびに、どうしても伝えたい気持ちがあったんです」

 彼女は驚いた表情を浮かべた。

 「私も……自分のこの太い触腕が恥ずかしくて、誰とも近づけなかった。オクノさんの視線に気づいていたけど、自分なんかが相手にされるはずがないって…」

 お互いのコンプレックスが心の壁を作っていたことに気づいた。

 「でも、僕たちはそんな自分を受け入れて、新しい一歩を踏み出せるんじゃないかな」

 そう言って、僕は短い触腕を伸ばし、彼女の太い触腕にそっと触れた。彼女もまた、静かに触腕を絡めてきた。その瞬間、周囲の水が柔らかく揺れ、まるで二人を祝福するかのように小さな気泡が舞い上がった。

 「一緒に泳ぎませんか?」

 彼女は微笑みながら頷いた。

 僕たちはゆっくりと触腕を動かし、海のリズムに合わせて泳ぎ始めた。彼女の太い触腕は力強く水を掴み、僕の短い触腕は軽やかに水を切る。それぞれの動きが調和し、まるで一つの生き物のように感じられた。

 「オクノさん、こんなに楽しいのは初めて」

 タコミの笑顔に、胸が熱くなった。

 「僕もだよ。君と一緒だと、自分の小ささなんて気にならない」

 月明かりの下、僕たちは何度も旋回し、海中に美しい軌跡を描いた。触腕を広げたり、絡めたり、その動きはまるでダンスのようだった。コンプレックスだった自分の体も、今はかけがえのないものに思える。大切なのは、ありのままの自分を受け入れ、相手を信じること。

 「タコミさん、これからも一緒にいてくれますか?」

 彼女は頬を赤く染めながら、小さく頷いた。

 「はい、喜んで」

 僕たちは触腕をしっかりと絡め、深い海の中へと泳いでいった。




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