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短編小説 「不幸で飯を食らう」
アラーム音で目が覚めた。朝七時、ベッドの中でまどろみながら、職場に行くのが憂鬱だとか、早起きしたくないなんて言葉が頭をよぎる。そんな弱音を吐きたくなる自分を叱るようにスマホのアラームを止めると、毛布をはねのけ、氷のように冷たい床に足をつけた。カーテンの隙間から夜が明けたばかりの光がのぞき、部屋の中を白く照らしている。ベッドの足に小指をぶつけながら洗面所に足を向ける。
看護学校を出て、病院に勤めはじめて数年が経つ。もう新人じゃないし、そこそこ現場での経験も積んだ。それでも、毎日が手探り状態なのは変わらないらしい。誰かが病気で苦しんだり、手術の傷跡に痛みを感じたりするのが私の仕事の一部——そう思うと、ベッドの角に足をぶつけたくらいの痛さなんて、どうでもいいように感じる。
鏡の前で髪を整え歯ブラシをくわえながら、紺色のズボンに足をを通す。もう何度も洗濯して少しへたっている。ポケットにはペンや小さなメモ帳を入れる空間があり、今日はどんなメモが増えるんだろうと考えると胸が重い。仕事をしていると、いろんな患者さんの情報が絶えず入ってくる。薬の飲み忘れ。気分が悪い。咳がでるなど、私はそれを記録し、対処する。
支度を終えて靴を履きドアを開け職場に向かう。病院に着くと、廊下には消毒液の臭いが漂っていて鼻をツンと刺激する。看護師や医師が足早に処置室へ向かい、私も白いスニーカーで同じように歩きはじめる。ナースステーションに立ち寄ると夜勤明けの同僚が疲れた表情でカルテを書き終え、目が合うと微笑んでくれた。今すぐにでもベッドで眠りたいんだろうな。そう思いながら挨拶を交わす。
患者リストを確認すると、今日も大部屋の入院患者さんの点滴管理や与薬が目に入る。新人の時よりは慣れた手つきでタスクを整理できるけれど、重症の患者さんが増えてくると気が抜けない。急変のリスクがいつあるか分からないから、心がどこか張り詰めている。
病室に入ると、眠たげな患者さんが覗き込み、「おはよう、ミコトちゃん」と声をかけてくれた。まだ朝早いのに、こちらが笑顔になるような温かい言葉をもらうと、少しだけ気が楽になる。でも反対に、重苦しい表情でこちらにすがるような患者さんもいる。自分の病状の不安を訴えられると、私の言葉ひとつで相手の表情が変わるのを感じて、言葉選びにすごく気を使う。
そして時々、思ってしまう。「私は人の不幸や苦しみで飯を食っているんじゃないか?」と。怪我や病気、そんな不幸がなければこの仕事は成り立たない。私にとっては患者さんが増えるほど業務が忙しくなるし、それがイコール給料に繋がっている。それが当たり前なのかもしれないけど、やっぱりどこかやりきれない。喜ばれたくてこの仕事をしているのに、実際には不幸があるからこそ私の生活が成り立つという矛盾。
そんな葛藤を抱えたまま、今日も体温計や血圧計を扱い、注射を準備して、患者さんの苦しそうな顔に向き合う。私がやらなきゃと思えば思うほど、「でも、これがなかったら私は無職?」という不安に似た疑問が頭をもたげる。直接言葉にすることはないけれど、その違和感が心に根づいていて、時々息苦しさを感じる。
昼休憩で食堂へ向かう廊下を歩くと、窓の外には青空がひろがっていた。光がアスファルトを照り返し、救急車が入り口の横に止まっているのが見える。誰かがまた運ばれてきたのだろうか。命が運ばれるたび、仕事が増える。「こんな私に給料を払ってくれるなんて、どう受けとめればいいんだろう」と考えると、胸の奥が冷たくなる。
午後になると、患者さんの緊急手術の準備があるらしく、慌ただしい空気が伝わってくる。私は点滴スタンドを押しながら、バタバタと廊下を行き来する。看護師長に呼ばれて指示を受け、「はい、わかりました」と返す。忙しくて頭が休まらないけれど、不思議とこういう状態の時こそ、余計なことを考えずに動けるので楽な面もある。
ただ、仕事を終えて夜遅くにようやく家に帰り着くと、頭がズキズキと痛むように疲れを感じる。シャワーを浴び、弁当をコンビニで買ってきたままの状態で食べようとするが、食欲が湧かない。ソファにどかっと座り込み、スマホを眺めても、集中できない。布団に潜ってみるものの、思考がぐるぐるして眠れない瞬間がある。「私の幸せは、誰かの不幸の上に成り立っている」そう考えると、息が詰まる気がする。
でも、考えてみれば私に感謝の言葉をくれる患者さんもいる。ほんの少し笑顔を向けてくれる人もいる。その笑顔こそが、私の救いになっていると気づく時がある。不幸や死ばかりに目を奪われていると、心はどんどん疲弊していくけれど、実は同じ現場に、小さな幸せの種もあ。たとえば「点滴がやっと外れたよ!」と嬉しそうに報告してくれる人、手術が成功して患者家族がお礼を伝えてくれる人。なにも言わない人もいるけど。
そう思うと少し肩の力が抜ける。ダメになりそうな時もあるけれど、今はまだなんとか踏みとどまっている。誰かの不幸や苦しみを糧にして飯を食ってるという言い方は簡単だけど、もう少し視野を広げてみれば、幸せや回復を手助けしているという側面も忘れちゃいけない。
明日も明後日もその次の日も頑張るか。
時間を割いてくれてありがとうございました。
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テヘペロ。