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短編小説 「花の恋」
教室の片隅、窓際の席で私は静かにノートを開いていた。鉛筆を持つ手元だけを見つめて、周囲の喧騒から自分を切り離すように。頭を少し下げると、髪に飾った白いユリの花の髪留めが頬に触れる。それが唯一の心の拠り所だった。
クラスメートたちの笑い声が遠くで響く。明るくて元気な彼らとは対照的に、私はいつも一人だった。下を向いてばかりいる自分が嫌いだけど、どうすることもできない。
「ユリさん、これ今日のプリント」
不意に声をかけられ、心臓が跳ねた。顔を上げると、同じクラスのカズキくんが微笑んで立っていた。彼はクラスでも人気者で、誰にでも優しい。
「あ、ありがとう……」
小さな声で答え、プリントを受け取る。その瞬間、指先が触れ合い、胸がドキリと音を立てた。
「髪留め、ユリの花だね。君の名前と同じだ」
彼の視線が私の髪に向けられる。恥ずかしくなって、また視線を下げた。
「うん……母がくれたの」
「とても似合ってるよ」
優しい言葉に、頬が熱くなるのを感じた。誰かに褒められるなんて、いつ以来だろう。
授業中も、彼の言葉が頭から離れなかった。ノートに視線を落としても、心は上の空だ。自分がこんな気持ちになるなんて思ってもみなかった。
放課後、帰り道の途中で小さな花屋を見つけた。足が自然と止まり、ショーウィンドウ越しに色とりどりの花を眺める。ユリの花が美しく咲いていて、その白さが眩しかった。
「綺麗だな……」
つぶやいたその声に、自分でも驚く。いつもは感じない高揚感が胸に広がっていく。
翌日、学校に向かう足取りが少しだけ軽く感じられた。教室に入ると、カズキくんが私の席の近くで友人と話している。彼の笑顔を見ると、心が温かくなる。
「おはよう、ユリさん」
彼が気づいて声をかけてくれた。
「お、おはよう……」
ぎこちない返事しかできない自分がもどかしい。
「今日、放課後時間あるかな?」
突然の質問に目を見開く。
「えっと……特に予定はないけど」
「よかったら、一緒に帰らない?話したいことがあって」
心臓の鼓動が速くなるのを感じた。何を話すのだろう。でも、断る理由はなかった。
「うん、いいよ」
放課後、校門で彼と待ち合わせた。夕暮れの空がオレンジ色に染まり、風が心地よい。二人で歩き出すと、彼が口を開いた。
「ユリさんって、どうしていつも下を向いているの?」
思いがけない質問に足を止める。
「え…?」
「君はとても素敵だと思う。でも、自分に自信がないのかなって」
視線を地面に落とし、言葉に詰まる。自分の弱さを見透かされたようで、恥ずかしかった。
「私……何も取り柄がないし、みんなの輪に入れないから」
「そんなことないよ。君の持っている優しさや繊細さ、もっと自分を大切にしていいと思う」
彼の言葉が胸に染み渡る。こんな風に自分を見てくれる人がいるなんて思ってもみなかった。
「ありがとう…でも、どうすればいいのか分からない」
「まずは、前を向いてみようか」
彼がそっと私の顔を上げてくれる。視線が交わり、その瞳の中に自分が映っているのが見えた。
「ほら、ユリの花も上を向いて咲いているよ」
指差す先には、公園の花壇に咲くユリの花があった。確かに、凛とした姿で空を見上げている。
「私も、あんな風になれるかな……」
小さな声でつぶやくと、彼は力強く頷いた。
「もちろん。僕がそばにいるから、一緒に頑張ろう」
その言葉に、不思議と勇気が湧いてきた。
「うん、ありがとう」
初めて心からの笑顔がこぼれた気がした。
それからの日々、私は少しずつ変わっていった。クラスメートに自分から話しかけてみたり、放課後に友人と過ごす時間が増えたり。カズキくんとはますます仲良くなり、一緒に過ごす時間が心地よかった。
ある日、彼が私に告白してくれた。
「ユリさん、僕は君のことが好きだ。一緒に未来を歩んでいきたい」
涙が溢れそうになるのを堪えながら、私は頷いた。
「私も……あなたのことが好き」
下を向いてばかりいた私が、ユリの花のように顔を上げ、綺麗に恋を咲かせた瞬間だった。