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短編小説 「夏、夏、夏、夏」


朝から照りつける陽光が、コンクリートの地面を熱した鉄板のように変えていた。麦わら帽子の下、顔から滴る汗が頬をつたうたび、タロウは腕でぬぐう。タロウが通う高校グラウンドには野球部の掛け声が響いている。タロウはその声を耳にしながら、虫カゴを首にぶら下げ虫網片手に海へと続く道を歩いていた。

海辺の小さな海の家に着くと、薄い日除けがかけられた色褪せた青いベンチが並んでいる。そこでは同級生のマリカが、水滴で白っぽく曇ったプラスチックのカップを手に待っていた。かき氷の氷が少し溶けて、鮮やかなメロンシロップが底に溜まっている。

タロウは隣に座り、麦わら帽子を少し後ろにずらしてから、持っていた虫網と虫カゴを地面に置く。お互い顔を見合わせると、潮風が肌をなでて通り過ぎる。青い空が広がり、海面がキラキラと反射し、遠くでボールを追いかける子供たちの笑い声が聞こえる。

 「どうする?夏休みもう何日も経っちゃったね」

タロウが声を掛けると、マリカは器の中で溶けた氷をストローでかき回した。真っ赤なビキニの上に透ける薄いシャツを羽織っていて、肩には砂が少し付いている。返事を待っていると、彼女は無言で海の方へ視線を向けた。

タロウは続ける。「これから山に行ってカブトムシを探そうよ。夜じゃなくても、うまくいけば捕まえられるかも。もうすぐ昼になるけど、この暑さなら木陰にいると思うんだ」

マリカは微かに眉をひそめ、「うん」とも「いいよ」とも言わず、残った氷を勢いよく啜ると、カップを置いて立ち上がった。何か言おうとした彼に背中を見せ、海へと歩き出す。その背中を見送って、タロウは肩をすくめた。

 「ま、いいか。俺は俺で行くさ」

海の家でポカリスエットを買い、ペットボトルの冷たさを手のひらで感じながら、タロウは山へ向かう坂道を登り始めた。砂浜から離れると、道路はだんだん木々に囲まれ、アスファルトの照り返しが弱まり、代わりにむっとした森の湿気が漂ってくる。

 「暑い、暑いなあ」

タロウは笑う。笑わないとやってられない、この暑さは。汗が首筋を伝い、背中にじっとりと張り付く。虫カゴは空っぽ、虫網は風にあおられている。せめて一匹でもカブトムシが欲しい。思い出になるし、夏休みっぽい。

森の入口に差し掛かると、少し薄暗くなり、鳥の声が遠くで響く。木陰に入ると涼しさが増すかと思いきや、湿った空気がまとわりつくようで息苦しい。枝葉が風を遮り、太陽の光が斑に地面を照らしている。

 「さあ、どこだ?」

幹の表面を凝視する。樹液を求める虫たちが集まる場所が必ずあるはずだ。鼻を近づけても何も香らない。手で木肌を触れ、樹液の感触を探るが、指先が軽く湿るだけで、思ったより虫は少ない。

 「仕方ない、次行こう」

そう言って移動を続けるが、どの木を見てもカブトムシやクワガタは見当たらない。代わりに、セミが大量に木の幹にへばりついている。ミーンミーンと鳴き声が耳を刺し、頭がぼんやりするほどだ。

やむを得ずセミを狙って虫網を振ると、あっけなく何匹も捕まった。虫カゴに放り込むと、羽を羽ばたかせて不満げな音を立てる。

木漏れ日の下、タロウは汗を垂らしながら疲労を抱きながら、さらに奥へ進んだ。やがて森を抜け、小さな崖のような場所に出る。下には広がる青い海と、白い砂浜が小さく見える。あそこにマリカがいるのかもしれない。遠くてわからないが、笑っているだろうか。

汗を拭い、帽子を外して風に髪を揺らす。ポカリスエットを飲み干すと、甘い電解質が舌に残る。胸元の虫カゴのセミが暴れカゴが左右に揺れている。

 「もうやだ、この暑さ」

誰も聞いていないが、呟いても構わない。ここにはタロウしかいないのだから。

カブトムシは見つからなかった。代わりに、この重く湿った夏の空気を胸いっぱいに吸い込む。瞳を細めて、照りつける太陽を睨む。

 「冬よ、はやくやってこい」と、声に出すと、セミたちが甲高く鳴いて、その声が空へ溶けていく。

タロウは笑うしかない。笑って、汗を拭い、また歩き出す。




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