![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/169242396/rectangle_large_type_2_d1019711984b550c02819beb03911d01.png?width=1200)
短編小説 「どっちかな」
ぼくはドッチー。ふとしたときに、花の模様をしていたり、蝶の模様だったり、あるいは小さな種の形にもなれる、コインだ。コインと呼んでいいのかもわからない。だって普通のコインには、表と裏がはっきりと決まっているものだけれど、ぼくはいつもどっちの面を向いているのか、自分でもよくわからないから。
明るい日差しの中で草原を転がるとき、ぼくは自分が花の模様をしているような気がする。だけど、冷たい夜の風にさらされると、いつのまにか蝶の模様が浮かび上がっているかもしれない。だけど、それが本当に蝶かどうか、もしかしたら種の模様かもしれないと思う瞬間だってある。こんなにもふわふわと揺らぐなんて、自分自身なのに不思議だと感じる。
今、ぼくは花の模様をしている……かもしれない。だって、周りを見わたすと、一面に咲き誇る小さな白い花がある。野花が風に揺れ、川沿いの道を誰かが歩いているようだ。風の音と葉のこすれる音の混じったささやきが、ぼくを少しくすぐる。花がふんわりと香るから、きっと今は花の面を向いているんじゃないかと思う。
ぼくがなぜこんなコインの姿をしているのかは、思い出せない。はるか昔に誰かがぼくを作ったのか、あるいは自然に生まれたのか。周りの人たちも「なんだ、そのコインは」なんて首をかしげて、花なのか蝶なのか、いや種? と戸惑う。だけど、たいていの場合は「変わったコインだね」くらいの反応で通り過ぎていく。その反応に寂しさを覚えることもあるけれど、ぼくはこのコインとしての姿が嫌いじゃない。
あるとき、大きな森の近くを転がっていると、少年がぼくを拾い上げた。少年は獣耳がちょこんとついている。どうやらこの土地では、人間と獣人が一緒に暮らしているらしい。少年は無邪気な目をして、ぼくを光にかざし、「おもしろいなあ」と笑った。ぼくが花の模様をしていると思えば、その瞬間に「やっぱり蝶かな?」と首を傾げる。まるでぼくの姿が一定に見えないらしく、「どっちなの?」と何度も聞いてくる。
「ぼくにもわからないんだ。気づくと、花だったり蝶だったり、種の模様にもなったりしてる。どっちが本当の姿なのか、どうやって決まるのか、ぼくにも分からない」
そう答えたつもりだけど、コインがしゃべることを想像できないのか、少年は音を聞きとめてはいないみたいだった。ただ、不思議そうにコインをまわしたり、放り投げてキャッチしたりして遊んでいるうちに、急に虫が飛んできて少年の耳をくすぐった。それに驚いた少年は「わあっ!」と声をあげ、ぼくをぽろりと手から落としてしまった。コロコロコロ……地面の上を転がっていく振動が少し心地よい。
転がる途中で、ぼくは一瞬だけ「蝶の模様かもしれない」と思った。落ち葉を踏みしめる軽い音がして、そこには虫や小さな獣たちの足跡が散らばっている。蝶が舞うように軽やかにくるりと回転したとき、「あれ、種の模様だったかな」と思う瞬間もある。ひとつの姿に決められず揺らぐのは、なんだか面倒でもあり自由でもある。もしぼくが人間だったら、どれかひとつしか道を選べないのかもしれないけど、コインだからこそ複数の面を持って生きていける。
森を抜けた先には、小さな村があって、そこにはたくさんの人や獣人が暮らしている。誰かがぼくを拾って「これ珍しいね」とポケットに入れることもあれば、すぐに落としてしまうこともある。そうやってぼくは旅を続けているようなものだ。行く先々で出会う風景はみな違っていて、川のせせらぎや野花の香り、燃えるような夕焼け空、雪の粒の凍る音、いろんなものがぼくの周りを通り過ぎる。ぼくは変わることに疲れず、いつも形を変えてはまた自由に跳ねる。
時々考えるんだ。もしぼくが、一つの模様だけに固定されたコインだったら、もっと安定して人々に愛されやすいのかもしれない。例えばずっと花の模様なら、ガーデニング好きの人が大切に持ち歩いてくれるかもしれない。もしずっと蝶の模様なら、旅好きの人が運命のコインと言って珍重してくれるかもしれない。あるいはずっと種の模様なら、農家さんが幸運のシンボルとして扱ってくれるかもしれない。
でも、ぼくはどっちが正解か決められない。というか、決まらない。時が経てばまた花になるかもしれないし、ある瞬間に蝶に変わるかもしれない。種の模様になって地面と同化するような気分にもなるし、その全部が本当のぼくなのかもしれない。だから「どっちかな」と聞かれても「どっちもあり」って答えるしかないんだ。
この不思議な性質が、じつはぼくの欠点でもあり、魅力でもあるんじゃないかと感じる。誰かに「決めてほしい」と思わないかといえば嘘じゃない。だけど、ぼくが勝手に決まるわけじゃないし、誰かが強制して一つの模様に落ち着いたら、それはもうぼくじゃなくなる気がする。だからぼくは、変わり続ける自分を認めようって、少しずつ思いはじめたんだ。
風が吹き抜けた。コインの軽やかな音をたてて、地面をひと転がりする。誰かがそれを見て「花だ」と思った瞬間には、ぼくは実は蝶かもしれない。いや、種の模様かも。そんな曖昧なぼくの姿を、受け入れてくれる人がこの世界にいるのかどうかはわからない。でも、ぼく自身が気まぐれに花や蝶や種を行き来することを「それもいいかも」と思うのなら、きっとそれがぼくの生き方なのだろう。
だから、ぼくは何度でも揺らぐ。何度でも変化する。今日も風が吹けば花になり、次の瞬間には蝶になる。誰かが「どっちかな?」と首をかしげても、ぼくは答えずに笑うだけだ。そんな変化を許してくれる自分が、今は少し愛おしい。これからも、ぼくはぼくのままで、どっちでもいいやと思いながら生きていくんだ。
時間を割いてくれてありがとうございました。
もしよかったら、コメント&スキ、フォローお願いします。
テヘペロ。