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人を捨てるより 孔子への皮肉

『論語』には、逸民と呼ばれる隠者が登場する。中には名君を求めて流浪する孔子に対し、痛烈な皮肉を浴びせた者までいた。微子篇によれば、長沮は渡し船の場所を尋ねられて「(あちこちを旅しているのだから)もう知っているだろう」と答え、桀溺は「(仕えるに値しないからと)人を捨てるより、世を捨てた方が良い」と言い放った。

孔子はそうした人物に対して、「私とは違う。可もなく不可も無い」という評価をしていた。しかし、やがて孔子も公職に就かず、学問と教育に専念するようになった。それはやはり、逸民の姿勢にも共感するものがあったからではないか。

逸民は道家の源流とされることもあるが、はっきりしない。彼らは弟子を取ったり書を残すといった、社会に関わることを好まなかっただろうから、思想の継承や発展を想定することが難しい。しかし、『論語』のようにその思想が記録されることはあったのだから、間接的に後世へ影響を及ぼすことはあっただろう。

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