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波に揺られて(散文)

こんなところにいたんだね。
探したんだよ。
ひとりで怖かったでしょう。
誰に声をかけていいか、わからなかったよね。

その声は長い長いかくれんぼの終わりの合図。
私がずっと待っていた言葉。
錨を絡めて留めた足に、あなたが触れる。
喜びは形を作る前に、まず怒りとして現れた。
「アンタのせいで私はいつも一人だったし、アンタがいつも私に怒りを押し付けてきた。だから私がいつも怒らなきゃいけないのは、アンタが全部悪いんだ」
気が付くと、あなたをめいっぱいに傷つける言葉を吐き出していた。
怒りをただ静かに聞いてくれるあなたに、私はふと、聞きたくなる。
「どうして私を見てくれなかったの?」
絞り出た言葉に、また心が乱されていった。

顔を上げると、私を不思議そうに見つめているあなたがいた。
その沈黙は私の首を絞めるものだ。
もういいと、また隠れてしまおうと瞼を閉じていく。
なのに冷たい手が、私の手を掬い上げる。

「ごめんねと思っているよ。ずっと、ここにいたんだね」

その冷たさは緊張という文字をかぶっていた。
怖がるあなたの冷たい指が、私の手の甲を滑っていく。

これ以上はだめだ。

こわい、こわい。こわいよ。
突然感情が暴れだす。
私の心臓はまるでつぶれるようだった。
それは痛みによく似ている。
優しいことっていうのは、私を壊そうとするものなの。

耐えきれずに私は走り出していた。
走る方角には私を安心させる棘がある。
それは私の穴を埋めるようなものだった。
だってこれ以上はだめなんだもの。
私の感情があふれたら、あなたもきっと戸惑って壊れてしまうから。
だから私を見つけちゃだめなんだからと心が叫び、
やっとの思いで「あのまま触れられていたかった」という気持ちを抑え込み、走っていた。

どこまでも逃げるつもりだったのかな。
あなたの見えないところに隠れ直すつもりだったんだろう。

でも、あなたが私に向けた眼差しには痛みを感じない。
なのにそれは私の穴を埋めるように感じた。
いいや…塞ぐように広がるものでもあった。

気づいて足を止めて、心を殺して振り返る。
もし振り返って誰もいなかったときの私を守るには、
また心を箱にしまうのが正しいことなの。
私の背後に箱が落ちた音を聞いて、私は暗闇に目を凝らす。
あなたは私の後ろで「足、早いね」と笑った。

どこかにいると思ってた。
「あなたは大丈夫じゃないよね。だって、いつも笑ってるのは、怖いからだもんね」
そんな風に、私を見てくれる人がどこかにいると思っていた。

「あなたたちを迎えに来たよ」
あなたは私にそう言って、手を広げて私の手を待つ。
段ボールの中に隠れた私の目からしずくが落ちたのを感じた。

ねえ、私ね…けがをするとすぐ泣くの。
私はね、なきむしなの。
でもみんな「いつもあなたの笑顔に助けられてる」って言うんだよ。
大丈夫じゃなかったら、困るんだって。
私も同じだったよ。私もみんなが笑顔だと心がまあるくなったの。

でも私、今はなんでこんなにもトゲトゲしているんだろう。
笑顔はいつしか、私も周りもその棘で刺し、傷つけるものになっていた。
私はその棘に刺されるたびに、胸が甘く、鈍くなってね。
それを安心の形だと思っていたんだよ。

だからこれは正しいんだと信じてたの。
私が痛いのは、自分を守れてるんだと言ってみてたの。
安心もお守りも知らない私がね、ほら、顔を出す。
私たちの探していたものを、あなたは見つけて帰ってきてくれたんだね。

こんな気持ちたちは、ない方がいいと思ってた。
痛いことも、悲しいことも、ムカムカする気持ちも、ハラハラもニコニコだって。
私も全部ね、段ボールに詰め込んでいたの。

段ボールは私の周りにどんどん積みあがっていた。
私たちはいつの間に、箱の中でこれでよかったよねって話してたの。
きっと私たちのことをあなたは知らない方がいいと思ってたからだよ。

そんな変わらない棘に甘える中で、最近、みんながどこかにいなくなっていったみたいだった。
それに空気が軽くてね。
不思議と怖くなかったから、ちょっと顔を上げただけのつもりだったの。
そうしたらあなたが迎えに来てくれた。

私ね、迷子になっても一人でなんとかできたよ。
すごいでしょ。
でも、ほんとはね。
私は誰かに助けてほしかった。迎えに来てほしかったの。

「してほしいことを受け取れるのは先にしてあげられた人だけ」だって、
そう思い続けてきたから。
たくさんのしてほしいことを、私は人にしてあげてたつもりだった。

今になって気づいたよ。
「まずは”私”にしようね」って意味だったの。
私を見つけてくれたあなたがね、教えてくれたんだよ。

ぎゅうっと硬くなった体の力を溶かされていく。
ゆらゆら、ゆらゆらと波に浮かんで静かに眠っていく感情がある。

ゆらゆら、ゆらゆら。

ゆらゆらと心の波が私を揺らす。
「待っててくれてありがとう」
そう聞こえた声は、大人の私の声だったんだ。

私、あなたに会えてよかったと思ってるの。
愛してるって伝えられるからだよ。

あなたは瞼を伏せて確かめるように続ける。

「うん…そうね。私ほんとうに、”私”のことが大好きなんだよ」

その手が私のことを抱いて、頭を撫でてくれる。
「もう大丈夫よ」って言うあなたの手はね、
体温をほら、こんなにも育ててね。
私をぽかぽかにしてくれたの。

ねえ。
私、あなたの中に溶けて、混ざっていくね。
安心って、刺すものじゃなくて、広がっていくものなんだね。
私ももうすぐ、「”私”を好きよ」って言える気がしたよ。