第86号『新劇場版エヴァの回顧録を書き始めたら1万5千字超えてしまった件3.0+1.0』
あの『新世紀エヴァンゲリオン』が完結する…
その結末を見届けたい。
いや、これは格好つけた言い回しですね
なら、長年抱えてたラストのもやもやを解消したいから観に行くのか?
と問われれば、これも近いけれど違うような
だから一度文章として書き出すことで、エヴァンゲリオンにちゃんと”さよなら”を言う為の締め括りとしたいのかもしれません。
今日はそんなエヴァ話にお付き合いいただければと思います。
また映画のネタバレ全開なのでまだ見てない方は鑑賞後に読んでいただければ幸いです
私とエヴァンゲリオン
【序】~【シン】までのおさらいかねて
『新世紀エヴァンゲリオン』という26年続いたコンテンツが終わりを迎えるってんだからそりゃ観に行くでしょ!ってことでネタバレを防ぐ為に公開初日に行ってきました。
公開初日に見たのに2ヶ月経ってんじゃん!と思われる人に少しだけ言い訳をさせて欲しい。
ゲームでよく好きなRPGなんかは特にラスボス直前でセーブしてクリアしてなかったりする事とかありませんでしたか?
そんな感じでクリアせずにだらだら遊んだRPGの多い事多い事。
ラスボスを倒してクリアしてしまえばその物語が終わってしまう、もう少しだけこの世界観に浸っていたい。
書き切ったら本当に終わりか。そういうセンチメンタルな気分だったのです。未練たらたらじゃないか
けれど、どんな物語にも必ず終わりがあります。
さながら劇場へ足を運んだ時は、駅名の書かれていない終点までの切符を片手に電車に乗り車窓から流れる風景を眺めながら考え事をする。そんな感じでした。
終わって欲しいような、終わって欲しくないような
そんな矛盾した事を考えながら。
そう。
自分にとっての『新世紀エヴァンゲリオン』とは大まかに言ってしまえばそんな【矛盾】を抱えた作品だったのかもしれません。
奇しくも作中にもロンギヌスの槍という【矛】やATフィールドといった絶対的な【盾】が出てきますからね(こじつけです)
【矛盾】とはどういうことか
普通、漫画、アニメ、ゲームといったエンタメコンテンツは「分かりやすく」かつ「面白い」を目標に作るもんじゃないですか
けれどエヴァンゲリオンは世界観の設定も人間関係も全てが断片的に小出しにするから、物語も複雑、登場人物の人間関係も複雑、と色々「分かりにくい」作りになっています。
だけど「面白い」
まず「分かりにくい」のに「面白い」という矛盾を成立させてるんです。
通常は「分かりにくい」=「つまらない」となるから続かない訳ですが、これを「分からない」から「面白い」へと繋げる構想
あえて物語を十全に説明を行わない事で、断片的な情報から足りない部分を想像したり推測したり、結末について意見を交わし議論して楽しむ作りになってます。
”分からないからこそ知りたくなる、未知への好奇心”
これこそが長年エヴァというコンテンツを支え続けた庵野作品の骨子だったんじゃないかなと思います。そして自分を考察厨への沼へと進めてしまった主成分でもあります。
ただ旧アニメ、旧劇場版のラストは難解で分かりにく過ぎた。
どう好意的に解釈してもハッピーエンドからは程遠いバッド寄りのエンド。
シンジ君、選択肢選ばずに放棄する事あるから、まぁ分からなくもない。
これがテキストアドベンチャーゲームなら数あるマルチエンドの1つでこのルートエンドでも良いのかもしれないけれど、アニメだからねこの作品!
なんともいえない後味の悪い終わり方、頭痛が痛いみたいな表現。
だから『新世紀エヴァンゲリオン』という作品は自分の中で”好き”だけど”嫌い”という【矛盾】した作品となった訳です。完結したのかしてないのかイマイチ分からない終わり方だった。
旧劇場版の後で監督が「もうエヴァは作らない」と言ったから、余計にそう感じたのかもしれません。
そこからはエヴァ考察サイトやら書籍を大量に読みまくり、自分の頭の中でどこからどこまでが公式設定で何処からどこまでが非公式設定(考察、推測による設定)なのか分からなくなっていくという始末。
いろんな考察を重ねても納得いく結末か?と問われれば、アニメ(旧劇場版含む)は疑問符しか浮かばなかった。
フェルマーの最終定理に挑んだ数学者たちのように、エンタメ好きはこぞってエヴァンゲリオンに挑み解こうとしたけど分からなかった。
なぜなら物語を紐解くにあたって圧倒的に情報が足りない。
膨大な伏線や、広げた展開を収拾させるには
思わせぶりな台詞や断片的な情報からだけでは推測は出来ても裏づけが取れない。
仮にパズルのピースに喩えるなら
10000ピースのジグソーパズルがあったとしても蓋を開けてみたら7000ピースぐらいしか入ってないというね。数ピースなら想像や仮説、推測で補完できますがそれでも全く足りないという
ここまで読んでて気付いた方もいるでしょう
お前は一体何をやっているんだ?
そう、一体何をやっているんでしょうね。なんでこんなに面倒な事やってるだろう?我ながら呆れます。
ハッ、これがエヴァの呪縛か!(全然違う)
けれどエヴァ好きな人って大体面倒な人多いんすよ(超暴論)
結論を言えば単に自分が納得した結末が見たかっただと思います。主人公やヒロインに報われて欲しかった。
納得は全てに優先するぜ
そんな中、2007年に新劇場版エヴァンゲリオン「序」「破」「Q」「?」が発表されました。
来た!これで足りないピースが埋まるかもしれない
そんな期待を膨らませながら
『新劇場版エヴァンゲリオン:序』が公開されます
新劇場版エヴァンゲリオン:序
当時、入場特典が映画のフィルム(ランダム)で綾波が微笑む名場面シーンのカットフィルムがオークションで10万以上高値が付いたっけ。入場特典が10万以上ってどんな作品だよ
作画レベルがめちゃくちゃ綺麗になった事とエヴァデザイン、使徒デザインと呼び名が変わった?
そして、なにより旧作では複雑だった人間関係(主に親子間の確執)を極力排除してある。碇親子(メイン)と葛城親子(少し)だけを残してあとはカット。
印象としては旧作を綺麗に纏めた感じでした。リブートというよりリメイク。
ただ最後の最後でカヲル登場。どういうこと?登場早過ぎないか
また3人目と変わらないねシンジ君
ん?また分からない新情報と思わせぶりな台詞増えたぞ、似て非なる世界線の話なのか?最初から海が赤いのも気になる。少なくともカヲルは記憶継承してるっぽいぞ?少なくとも2週か3週目?
そして次回予告に登場する眼鏡っ娘の少女。何thチルドレンだよ?
そこからは旧作のころはSNSが発達してなかったので集めにくかった情報も秒で探せる時代ですよ
それから2年後の2009年
新劇場版エヴァンゲリオン:破
リメイクじゃなくなった!製作発表で言っていたリビルド(再構築)ってこういうことか
事前情報で眼鏡っ娘の少女の名前が分かりました
真希波マリ・イラストリアス
そして、まさかのトリプルヒロイン・・・だと?
綾波レイ、式波・アスカ・ラングレー、そして真希波マリ・イラストリアスと波繋がりでアスカの名前まで変わってるぞ、と。
エヴァンゲリオンはレイとアスカによるダブルヒロイン制だったのにこの状況で割って入れるのか?
そうでないならどんな意図が・・・
そしてこの名前でピンと来た。そうかこの娘か!
エヴァは登場人物の苗字が戦艦、軽巡洋艦、駆逐艦の名前だったりすることが多いのですが自分がピンと来た方の名前は戦艦ではなく
真希波、ここから連想される名はデウス・エクス・マキナの方でした。
それはなぜか?
かつてエヴァ好きだった先輩から物語のキーとなる人物は名前にヒントがあると教えてくれた事を思い出したからです。
有名な例えだと
渚カヲル
”カヲル”を一文字ずつずらすと”オワリ”となり
渚はシ者、つまり使者と読めるわけだからオワリの使者=「最後のシ者」というTV版24話のサブタイトルになり、それがカヲルの役割という言葉遊びのような意味が含まれていました。
では彼女にはどんな役割が与えられたのかを考えてみましょう
デウス・エクス・マキナの舞台装置としての役割がマリだと仮定するなら
劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させるという手法を指した。 ウィキペディア(Wikipedia)より
この太字の部分テストに出ます、まぁ冗談はさておき
正にエヴァンゲリオンの為にあるような役割じゃないですか
屋上で初めてシンジにぶつかった時、物語のキーアイテムである「S-DAT」シンジが25~26を繰り返し聴いていたのがマリにぶつかる事で初めて27という未知のトラックに切り替わった事からそれが伺えます。これがルートが分岐した暗喩なのだと思っています。
そして【破】では再構築と言うだけあって大きな設定変更点があります。
マリはエヴァ仮設伍号機と弐号機へ搭乗します
アスカも弐号機と参号機への搭乗しました。
旧作であれだけシンクロ率でパイロットが苦労したのにどうやってその問題解決したの?!と。
だから初号機はコアにシンジの母親の魂が、弐号機はアスカの母親の・・・という鬼畜仕様の闇システム無かったっけ?
【新劇場版エヴァ設定】(作中での説明なし)
汎用型エヴァ(弐号機以降)はコアユニットの載せ替えが可能になってます。パイロットに専用のコアユニットを換装する事でエヴァの乗り換えも容易になったという。【破】のマリはコアユニット換装後の弐号機に乗ってます。だからマリは最終的に3体のエヴァへ搭乗できたわけだ。
何だその画期的な仕様、でもパイロット少数でエヴァの乗り換えはローテーション出来るから戦局的には有利だよなと思っていたらそれによって起こった悲劇。
アスカの参号機搭乗事件ですよ
もうやめたげて。直前まで皆で和気藹々とぽかぽかしてたじゃん!
参号機に乗ったら最後、どうなるかなんて結末見えてるじゃん!
起動したダミーシステムの怖さ、マシマシになってますよ
しかもダメ押しと言わんばかりにアスカのエントリープラグ噛み砕くんかい!鑑賞者のライフはゼロだからもうやめたげて!
その怒りを代弁するかのように、ネルフ本部の屋上で小島よしおムーブ決めた後、彼は一度エヴァを降ります
大人たちはシンジに対し選択肢を「エヴァに乗るか乗らないか?」の2択で迫っていましたが、「遠まわしの乗れ」って言ってるようなものなので選択肢あるようで無いですからね。
そんな中、マリだけが「逃げなよ」と3択目の選択肢を与えています。(シェルターから外へ連れ出すシーン参照)
そして今にして思えばあのシェルターから連れ出すシーンが最後のシーンへの布石だったのかなと思います(シンジをエヴァの無い外の世界へ連れ出すという意味で)
結果的にシンジは自身で逃げずにエヴァに乗る決断をしますが、この「逃げても良い」という選択肢は心理的にけっこう大きい効果があったんじゃないかなと思います。
そして、その後の【破】でのシンジ君覚醒ですよ
キタキタキタ、これだよ!本当に見たかったエヴァンゲリオンは!
他作品の少年主人公達にあってシンジに圧倒的に足りなかったもの
それはエゴですよ、エゴ。我侭と言ったっていい。
だって14歳の少年ですよ?本当ならもっと我侭でも良いはずなんです。育った環境もあり、彼は本心を口に出す事が基本下手くそです。そんな彼が初めて自分の欲の為に戦うわけです
大人たちは世界を守るために戦えと言いますが
世界を救う大義名分なんてのは物語の添え物ですし、少年が一人で背負うには重すぎます。そんな曖昧な事に命懸けれるか
好きな娘救って、結果的にその過程で世界も救っちゃったぐらいの副産物で良いんです
だからこそ「世界がどうかなんて知るか!綾波を返せ!」と言い切ったシンジ君に万雷の拍手ですよ!
これまでずっと主人公が好きになれませんでしたが【破】で綾波に感情を、想いをぶちまけた彼に初めて好感が持てました。エライよく言った、それでこそ主人公。
そんな感じで自分含め来場者のボルテージマックスですよ
次回予告でアスカも生存確認出来たし、本当に良かった
なんだよ、新劇場版【破】最高かよ
から3年待っての2012年【Q】です
漫画版エヴァも連載再開しました
新劇場版エヴァンゲリオン:Q
・・・。
一体何が起きたんだ?誰か説明頼む
そのぐらい内容がぶっ飛んでて初回鑑賞で内容に着いていける人は殆どいなかったんじゃないかなと思います。
【序】ときて【破】ときて【急】という三幕構成なら収束に向かわなきゃいけないのになぜにこの状況で新しく風呂敷を広げるのか?畳める?無理じゃない?
【急】ではなく【Q】の意味だって事前に考えましたよ
やっぱ鑑賞者に問いかけるという副題を持たせる意味(question)の頭文字の【Q】なのか?
それとも【破】でラストにカヲル君が言った
今度こそ君だけは幸せにしてみせるよ
この台詞から推測するにこの世界はループした世界線であり
円環をOとするならそれにノットを入れるという意味合いでの【Q】
つまりループを断ち切って抜け出すことの暗喩なのか?とか色々考えてたけど・・・
なんだこの世界観、まったく状況が整理できないし追いつかない。
そのタイミングで狙ったかのように説明が入ります。
【破】から大分時間が経ってた【Q】
今までの【序】【破】は実は夢で、今見ているのが現実です。と言うぐらい世界観違うし登場人物も新キャラ多いなとか思ってたら
説明してくれてるお姉さんがこう言います。
鈴原です、兄がお世話になってます
姉じゃなくて?妹。
え?鈴原妹?あれから14年経ってる?ですよ
ちょっと待った、その空白の14年分の情報下さいよ考察したいので。
アスカもマリも見た目そのままだから誰が14年後の世界なんて想像できるか。エヴァ呪縛で年齢止まる、何その新設定
そして【破】で助けた筈の綾波は見当たらず、世界だけが滅んだっぽい
そんな馬鹿な
だって綾波と世界を天秤に掛けて「綾波選んだぜ、うぉおおー!これは熱い展開」とか思ってたら、世界だけ滅んで綾波居ませんってなんだよそれ、悪夢か
そりゃシンジくんじゃなくたってキレるわ、頑張ったのに報われず最悪の結果のみ突きつけるとかさ
おまけに一切の説明も無く「何もするな」ときたもんだ、納得できないことだらけ
確かに世界は酷いことになってしまったけれど人類絶滅しなかったのだから、奮闘したシンジに労いの言葉がひとつぐらいあっても良いじゃないですか。「出来て当然、出来なかったらお前のせいだ」ってのは幾らなんでも酷すぎない?
ヴィレの大人達には冷遇されるわ、唯一心許せたカヲル君は父親の策略により爆死するわでシンジ虐が酷すぎないか【Q】
もう”槍でやり直す”という駄洒落では誰も笑えない展開になってしまったぞ
そしてマズイ、この流れはきっと旧劇場版のように収拾つかなくなるんじゃないか?またバッドエンド行くのか?とか悪い予感が頭を過ぎる
だってここまで精神的に打ちのめされて逆に皆ハッピーエンドなんてルート行ける訳ないだろ
なぜ【破】の勢いをここで殺す展開に持ってきたのか?それを考えたところで【Q】は映画の尺が短いことに気付く。
そしてヴンダーは強襲型”箱舟”だった事を思い出す。
あー、そういう事かもしれない。
ここからは只の推測です、ソースもありません
もし箱舟が神話に登場する”ノアの箱舟”から来ている場合
箱舟と対になっている神話が”ノアの大洪水”です。
新世紀の為の破壊と創生、それを描く予定だったのかなと。新しい時代の到来を波に喩えることもありますし、そのためにヒロイン名にも波を入れて統一したのかなとか(三角波と言って二つ以上の波が重なる事であり得ないぐらいの大きい波になる現象)とか色々考えれそう。
けれど、【Q】の映画公開1年前にあった大災害、東日大震災の影響はエンタメ業界にも波紋を起こしました。
特にゲームやアニメといった映像関係では地震や津波などといった表現の自粛を求められ、大洪水シーン丸々カットせざるをえなくてシナリオ変更を余儀なくされた可能性もあるんじゃないかなと。擁護するわけじゃなくてあくまで可能性の話として。
次回予告
タイトルが『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』
「:||」ってなんて読むんだ?と調べたら音楽記号なのか
「:||」が表記された位置へと一度だけ戻ったのち反復する
つまり1回だけリピートして次の楽章へ行くってことで良いのかな
次世代へのバトンタッチなのか?色々考えます
そしてここから待たされる事、なんと9年ですよ!
途中、2014年に漫画版エヴァンゲリオンが完結します。
そして番外編として『夏色のエデン』というゲンドウとユイの出会い、そしてマリの登場という幕間エピソードが展開されます
ずっと出自不明だったマリの情報がやっと出たのが漫画版というね。ゲンドウ君と同級生(飛び級)だったのか
この『真夏のエデン』を知っていると映画の深みが増しますので是非
シン・エヴァンゲリオン劇場版:||
待ってたよ、9年も。
新劇場版を見直して、自分なりの結末を考えたりしながらね。
それは最後のおまけ部分に書きます。もし宜しければそこまでお付き合いいただければ幸いです。
そしてタイトル横の「3.0+1.0」ってなんだろ?めちゃくちゃ気になる
【パリでのユーロ支部奪還作戦】
冒頭からエヴァと使徒を足して割ったような敵とドンパチです
外部パーツで両腕補強した8号機が奪還作戦のメイン機体
操縦席に立体投影されたハンドルをぐるぐる回して戦うマリさんも楽しそうで何より。なんだけど酔いそうな操縦だよ
あとエヴァもどきの名前に4が多く入ってるのは紛失したエヴァ肆(4)号機の予備パーツ使ってるからだろうか?
エッフェル塔をねじ込む攻撃が新鮮で楽しい
そして戦艦をシールド替わりに使う描写、『シン・ゴジラ』でも在来線をミサイル替わりしたりと「シン」シリーズは既存の乗り物を違う使い方するのほんと好きだな庵野監督
また漫画家の島本和彦先生から「やめろ庵野!」と言われかねない。それはそれで見たい絵面ではあるけれど
L結界密度が強すぎる所では人は生きられない
赤城博士が紅く染まっている場所では人は生存できないと冒頭で再度確認させておいてからの【Q】後の3人ですよ
紅く染まった大地を歩きまくってます、大丈夫か?大丈夫っぽいな。
これが何を意味するか?エヴァに乗ると人ではなくなる?それともエヴァの呪縛により除外されるのか?
アスカが呼び出したのはケンスケ。
第3村にトウジやヒカリも、そして何より皆びっくりするぐらい優しい
「シンジはもう十分過ぎるぐらい戦った」と労いの言葉
【Q】で最初に欲しかったのはこれですよ。
この第3村での逗留と交流がアヤナミ(仮)の自我の形成とシンジの立ち直る切っ掛けを与える訳ですが、懐かしい面々が皆大人として描かれているのも感慨深いなと。
台詞で読み解くシン・エヴァンゲリオン
これも観た人によって「その台詞をどう受け取ったか」によって違う解釈だったりするのでその辺を書き出せたらなと思います。
思い出したらまた追記するかもしれません。共感してもらえたり違うと言う人はコメント貰えると嬉しいです。
【アスカも救っていたアヤナミ(仮)】
アスカがアヤナミ(仮)に対して「綾波シリーズは第三の少年(シンジ)に好意を持つように設計されているのよ!」と感情の苛立ちをぶつけるシーンがある訳ですが、アヤナミ(仮)の答えはシンプルでした。
それでもいい
最初は命令に従う事しか出来なかった無知で無垢だったアヤナミは第3村で人々と交流をする内に明確な自分の意志を持ち、想いを相手に伝えられるまでに成長しました。命の期限が迫りそれでも好意が持てたことを「嬉しい」と言うんです
この一言はアスカも救ったんじゃないのかなと思ったわけです。
それはなぜか?
【シン】でのアスカは、自身が式波シリーズのクローンだと知っています。
13号機へ停止プラグを打ち込こもうとした際に対峙した相手にこう発言してます。
式波シリーズのオリジナルか!
この事から式波アスカ自身もシンジへ対する「好き」という好意的な感情は自身の本心だったのか?それともクローン故のネルフに作為的に植付けられた感情なのか?で懐疑的になり、苦しんだんじゃないのかなと。
おそらく【破】の時点では自身がクローンて知らなかったんじゃないのかと。【Q】の14年の空白期間中に知ったんじゃないのかなと。だからよけいに辛かったんじゃないのかなと思った訳です。
綾波シリーズ(クローン体)はシンジに好意を持つように設計されているのよ!(アタシはそれで苦しんだ)」
感情の起伏に副音声を付けるならこういう意味だったんだじゃないかなと思っています。
このアヤナミの答えがあったからこそのシンジへかつての想いを告げる事が出来たんじゃないかなと。
あんたの事が好きだったんだと思う
この”思う”って表現がアスカにしては歯切れが悪く感じたけれど、上記の理由と合わせて考えるならしっくりくるなと。アヤナミが答えを出したのに自分が答えを出せないのはアスカ的にも癪だろうし、マリだけでなくアヤナミも気付かぬ内にアシストしていたんじゃないのかなと思ってます。
【何でアンタを殴ったか分かる?】
アスカからの問いに答えるシンジ
選択しようとしなかったから
アヤナミの死を乗り越えたことで精神的に成長したからこそ周りが見えるようになったシンジ。今までは自分の事で一杯一杯で周りなんか気にする余裕なかったからな。そりゃ自分が好きな男がいつまでもメソメソ駄々こねてたら殴りたくもなるわ。ただアスカの場合、そんな奴を好きになってしまった自分にも腹立ててそうなので殴る力何割り増しかになってそうではある
【碇さんは命の恩人で仇や】
エヴァには自己矛盾を抱えたキャラクターが多く登場します。旧作では加地さんが、【シン】では鈴原サクラがそれに該当すると思っています。第4のヒロインとか言うんじゃありません、話がややこしくなるので。
「エヴァにだけは乗らんといて下さいよ」とか。ダチョウ俱楽部とか出川の「押すなよ!絶対押すなよ」の前振りと同じぐらい無理な注文だからね。
【女ではなく母親としてのミサトさん】
職場では出来る若手女上司だけど私生活がまるで駄目なお姉さんだったのは旧作。旧劇場版では大人のキスをしたり「帰ったら続きをしましょう」とか言っていたミサトさんも【シン】では毅然とした大人として、母親として描かれていました。ただ少年ジャンプ漫画の親キャラもよく使いますが”家族が本当に大事だからこそ自分から遠ざけるってやり方”はまず子供には伝わらないし誤解を生みやすいですよと。それでも最後に息子に語りかけたのは良かったかな、そしてシンジも息子みたいに想ってくれてたのか。どの世界線でも加持さんもミサトさんも途中で死んでしまうけれどこの二人が幸せになれる世界線も見てみたかったな
【最後まで裏方に徹した冬月先生】
来たか、イスカリオテのマリア
必要なものは全て揃えておいた
この台詞から冬月先生が碇ゲンドウの計画に加担しながらも、マリの望み(ユイの願い)も叶えられるよう下準備を終えていた事が伺えます。そして尚且つマリが訪ねて来る事も予見してたわけですから、どれだけ先を見通せたんだこの名参謀。
シン・エヴァにおいてあのエンドを迎えられたのはある意味、冬月先生のおかげなんじゃないかなと思ってます。
ゲンドウの望みもマリの望みも叶えられるように、どっちに天秤が傾いても良いように準備だけはしておく。最後まで本当にゼミ生思いの良い先生だよ
もしかしたら自分達が行っている暴挙を誰かに止めて欲しかったのかもしれない。そして、それを託せるとしたら元教え子のマリが適任なのではないのかなと。けれど素直に伝えるには歳をとり過ぎた。だから若干皮肉を込めてこう呼ぶわけです
”イスカリオテのマリア”と。
イスカリオテというのはキリストを裏切ったユダ(裏切り者)を指すので、ユイをこの世界へ取り戻す計画の初期メンバーは碇ゲンドウ、冬月コウゾウ、真希波マリであったのではないかなと推測しています。
ただ、マリだけが計画の途中からユイ自身の再生ではなくユイの願い(シンジの幸せ)を叶える方向へシフトしたんじゃないかなと。だからマリに見届け人としてのマリアを掛けたのかなと。
こう考えるとなかなか詩人ですな冬月先生。
【大人になったな、シンジ】
本当にこれ、このゲンドウの一言にシン・エヴァンゲリオンの全てが集約されてる気がします。個人的な解釈では【シン・エヴァンゲリオン】は少年が神話になる話ではなく、少年が大人になる話だと思っています。
というかめちゃくちゃ喋るなゲンドウ君。
26年分の堰を切ったように、これでもかと語り始めるゲンドウ君
というか後半は【シン・エヴァンゲリオン】じゃなくて【エヴァンゲリオンZERO】か!ってぐらいに過去話するじゃないか!
アヤナミ(仮)の死を受け止め前に進んだシンジと、ユイの死を受け止め切れず立ち止まったままのゲンドウの対比。
それはゲンドウは大人になれないまま大人になったかつての【Q】碇シンジだという描写にも見てとれます。
そしてここに来てやっと腑に落ちたというか、そうか『新世紀エヴァンゲリオン』という物語は碇ゲンドウを起点とするなら、それを息子視点で見た世界だったのか
どうりで分かりにくいはずだ、というかこの話をもっと早くしていればここまで話はややこしく拗れなかったと思うぞゲンドウ君。マジで。
しかし、セカイ系主人公の思想をラスボスに持ってくる辺り庵野監督も人が悪い。そして、自分が目を背けて向かい合わなかった息子の中にずっと探していたユイの答えがあったなんてなんていう皮肉だよ。
お互い口下手ならゲンドウはピアノで、シンジはヴァイオリンで、音楽でコミュニケーション取れただろ絶対
【本当は誰かに頭を撫でて欲しかったアスカ】
LCLの海岸沿いで倒れているアスカ
半使徒化してからずっと不眠だったと思われ、エヴァの呪縛から解放されることで久しぶりに深い眠りに落ち夢を見ます
ここで回想で新事実が発覚
そして、ずっと【破】からあった違和感の正体も。
それは何か?
式波アスカは惣流アスカと違って一度もママって言わないんです。
なぜなら彼女は自身が式波シリーズクローン体だと知っているから
幼少期の頃から周囲からは奇異の目で見られます
それを黙らせる為に実績で、エースパイロットで居続ける事で、己のアイデンティティを見出し生きてきた道程が垣間見れます
たとえ孤独でも私には家族なんて必要ないと、孤高であろうとしました
第三の少年が親たちと触れ合いを遠目に眺めながら
けれど本当は・・・誰かに頭を撫でて欲しかった。
ここに来て初めて自分の弱さ、心の奥底に押し込めてた感情に触れます
その時に浮かんだのは、そして頭を撫でてくれたのは、ずっと一緒にいてくれた人形の着ぐるみ姿のケンスケ
この時初めて、ケンスケを意識したんじゃないかなと思います
そして目を覚ますアスカ
呪縛が解けたことにより14年分、身体が成長し28歳に。
身体の成長に耐え切れずボロボロになったプラグスーツのアスカめちゃくちゃエロな。そして着ているプラグスーツデザインが旧作のデザイン。
これはマイナス宇宙においては、式波アスカと惣流アスカが混ざり合ったアスカって認識でいます。旧劇場版アスカの救済も兼ねた意味かなと受け取りました。
やっぱり恥らいあってのエロスですね、作画班の方マジお疲れ様です。
【碇君がエヴァに乗らなくても良いようにしたかった】
髪の伸びた綾波、居たよ。ショートヘアも14年伸びまくってウェーブかかったロングヘアに。これはこれで可愛いな
殆どの人にとって、この二人目の綾波こそが綾波レイのハズです。
旧作はアニメ版も劇場版も木っ端微塵に吹き飛んだので彼女の救済もあって本当に良かった。
赤城博士は初号機のLCLからは検出されなかったと言っていたけれど、おそらくLCLに溶けていたのはシンジだけで綾波レイはコア部に取り込まれていたんじゃないかと思っています。
そしてエヴァに乗ることしかできなかったという綾波に、優しく諭します「もう一人の君は新しい生き方を見つけた」と。
僕もエヴァに乗らない生き方を選ぶよ
時間も世界も戻さない。ただ、エヴァがなくてもいい世界に書き換えるだけだ。新しい人達が生きていけるように
本当にどうしたんだシンジ君、旧作から比べれば信じられないくらいの精神の成長っぷりじゃないか
槍でやり直して、なかった事にすると言ってた【Q】の自身への否定。
それは第3村のトウジやヒカリ達のように、この滅びかけた世界でも幸せに生きようとする人達やその娘のツバメのようにこの世界で授かった命も否定する事になってしまうから。
アスカにもケンスケに宜しくと伝えてと言っていたし、本当に周りがよく見えるようになったな
【君だけはどこにいても必ず迎えに行く】
【序】【破】【Q】でいまいち立ち位置が分からなかったマリさん。
序盤は単独行動もありましたがそれは意図的に隠していました。
その目的は、かつて想い人だったユイさんの願い(息子であるシンジの幸せ)を代わりに見届けるという常人には理解しづらい行動原理だものな
彼女の物語が『夏色のエデン』から始まっていたのだとしたら外伝主人公と言っても差し支えないんじゃないかなと
マイナス宇宙へシンジを八号機で迎えに行った後、海でスーツから制服へ戻った時に眼鏡がユイさんから譲り受けた眼鏡になってるのも興味深い
ユイさんの眼鏡を通して世界を視ることで、ユイさんにもその景色を見せてあげたかったのかなと思うと少しエモくないですか
まとめ
というわけで『新世紀エヴァンゲリオン』は無事エンディングを迎えました。
あの結末に納得いった人も納得いかなかった人もいるとは思いますが、物語は終点へ着きました。
まさか終点が宇部新川駅だとは思わなかったけれど。
駅の向かいのホームにレイ、アスカ、カヲルが居たのはこれから新しい世界で生きていくシンジへの他のチルドレンからのお見送り的なサービスであり、特に深い意味はないと思っています。
これからは皆それぞれの道を歩いていくのだとそれを示唆してたんじゃないかな。
そしてエンドクレジット後に心に飛来したのは物語が終わってしまったという一抹の寂しさと、無事に終わって良かったという安堵感でした。
長かった、本当に長かった。
20年以上追いかけてたコンテンツなので、少なくとも報われてほしかった自分としてはグッドエンドの部類に入ります。
そして今後もエヴァのような素敵なコンテンツと”また出会えるためのおまじない”として、締めくくりとしてあの言葉を使いましょう。
『新世紀エヴァンゲリオン』に「ありがとう」と「さよなうなら」を。
ん?自分ですか?
これから他の方の書いた「シンエヴァ感想」を読み漁ろうと思います。
あ、まだ全然終わってないや。
そして恒例のおまけ部分には想定してたエンディング話でも。
Qから9年もあったから、映画好きは皆それぞれエンディング想定してたと思うのでその辺の話をがっつり書こうと思います。
あとアスカとケンスケの関係についてや、ケンスケ宅でアスカが裸族になってた考察も少し。
あとマリさん呪縛が解けたのに歳がシンジとあまり変わらなかったのは何故かという考察。自分は新説を唱えます、マリはMCU版アヴェンジャーズのキャプテンアメリカ説を推します。気になる方は是非。
おまけ考察が面白くなければ、返金も受け付けてますのでお気軽に。
想定していたエンディングとは(おまけ)
ここから先は
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