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1. 初ハワイ .... 序章


アメリカ探検記

  私のアメリカ探検記はふたつの時期に別かれます。

  第1期は米本土で、1978年9月11日から 1985年5月16日までの2,439日間。 第2期が今回のハワイで、2010年8月3日から 今日 2020年11月17日までの3,760日(継続中)となります。
  第1期は更に ふたつに別かれ、前半はマサチューセッツ州ボストン、後半はカリフォルニア州ロスアンゼルスの ふたつ合計6年9ヶ月でした。

  ただし、この期間のできごとを話し始めると、ハワイ生活とはまた別の いち大スペクタクル大河小説と化してしまうので、ここは涙を呑んで、いずれまた別の機会にお話しいたします。


  とは言うものの、私のハワイ・ストーリー .... 実は 第1期の最終日である1985年5月16日が、重要な「起点」となるのです。 今回はその日のできごとをお話しいたします。

第1期の最終日

  山のような楽しい思い出と、ちょっとだけ そうでもない思い出を産してくれた「母なる大地」を引き上げ、いざ旧母国である日本へ向かう 成田空港行きの大韓航空機は、給油のため ホノルル空港へ立ち寄ったのです。
  着陸のかなり前に、機内アナウンスで機長直々のお言葉が(英語、韓国語、日本語で)あり、ホノルルへ寄港するが、乗客の乗降や荷物の積み降ろしはないとのこと。 私には初耳でしたが、他の乗客全員がまるで不服らしくないので、ひょっとしたら、どこかで知らされていて、私だけが聞き漏らしたのかも知れません。 ※1(脚注)

  (未だアロハ修行前で)現在より はるかに未熟者だった私は、心の中で「ええい 寄り道をするのか!? 積み降ろしがないのなら 勢いで飛び切ってしまえ!」などと毒づいたものでした。

  で 給油中、「その事件」は起きました。

  (飛行機の)ドアが開かれた(らしい)のです。 給油中は、人の乗降がなくても 必ずドアを開けるのか?   その飛行機だけが特別だったのか?   事情に詳しくない私には分かりませんが、ドアは確かに開かれたのです。
  私の席からドア付近のようすが見えなかったにも関わらず、何故そのことを確信しているかというと、理由は「空気」です。 ロス → ホノルル間の機内のものとは全く違う、更に言うと、生まれてからそれまでに 一度も味わったことのない、まさに異質の「空気」が客室内に充満したのです。
  しかもその空気は、生まれて初めて触れ味わっているはずなのに、何故かたいへん懐かしく、どこまでも優しく円やかで、気体のくせに はっきりと甘味でした。

なんだ これは!?」

  その感触を、無理やり最も近い言葉で言い換えると、それは「羊水」※2です。 もちろん、母の胎内に居た記憶なんぞ あるわけありませんが、どうしても言葉にするとすれば、それが最も近いものでした。
  「心配しなくていいのよ そのままでいなさい」と諭されているみたいな安心感に、言葉でではなく、五感と、更にはその先の第六感とやらまで、見事に説得されておりました。


  次の瞬間、私の脳にひとつの伝令が走ります。

降りよう!!」 

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しかし、シートベルトを解きかけると、更に別の声が響きました。

「人の乗降はないと言ったな?」

「降りられない?」

「みっつもある帰国歓迎パーティーはどうする?」

「お婆ちゃんなんか(電話口で)泣いて喜んでたよな?」

「降りろ!  お前が探していた真のアメリカだぞ!!」

「いや 3年だけという約束が6年以上にもなっているし」

「トイレへ行くフリをして そのまま降りたら」

「さすがにそれは無理か?」

「暴れたら逮捕されるかも知れんぞ」

  この脳内大乱闘がどれぐらい続いたのか 定かではありませんが、後から考えるに、仮に給油開始と同時ぐらいにドアが開かれたとして、最長でも15分ぐらいでしょうか?


「『急用を思い出しました』ぐらいでは降ろしてくれんかなぁ?」

  七転八倒しているうち、機体は(ついに)ゴリッと動き始め、滑走路へ向かいました。

まわり道

  成田へ向かう機内、私の中では新しい設計図が描かれ始めました。
  「もうゴールは見つかった」「日本へ着いたら ひとまず落ち着いて、先ず両親や祖父母を説得して、最短でハワイへ『帰ろう』」

「アメリカ生活最後の日が、真のアメリカ発見の日になるとはな」


  既にお気づきの方もいらっしゃるかと存じますが、この一大決心をした日(1985年)から、実際にハワイ生活を開始する2010年まで、実に25年という長い歳月が流れています。
  そうです。 この軟弱男、あの飛行機内で描かれた「ハワイへ帰ろう」設計図の施工開始までに、なんと25年も(痛恨の)まわり道をしてしまうのです。

  その間、何回かの結婚をし、偶然にも同じ回数の離婚をしました。
私の戸籍謄本は最大で6ページに及び、80円切手(当時)で送ってもらったら、料金(10円)不足のハガキが先に届きました。

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  ただ この期間のできごとを話し始めると、ハワイ生活とはまた更に別の いち大スペクタクル大河小説と化してしまうので、これは涙を呑んで いずれまた別の機会にお話しいたします。(ほんまやろなぁ)

  やっと序章が終わりました。

  次回は、いよいよホノルルの地面へ第一歩です♪    それまで皆さま、Take it easy, and Aloha~♡

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※1  遠足等で、集合時間や集合場所の変更を聞いていない みたいな、私だけ知らないという「怪奇現象」は、生涯のテーマかも知れません。 とほほ ....
※2  羊水: 赤ちゃんが母親のおなかの中にいる時 赤ちゃんを包んでいる液体

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