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オランダ留学を振り返って🇳🇱
皆さんこんにちは!!そーまです!
前回はオランダ留学の集大成として、第二の故郷であるフェンローを紹介していきました。
そして今回は1年間のオランダ留学全体を振り返ろうと思います!!
語りたいことが山積みです!!
本当に伝えたい事は目次に「★」を付けておくので
時間が無い方は、ぜひそこだけでも読んでみてください!!
それではオランダ留学最後の記事、いよいよスタートです!!
留学のはじまりはじまり
私は1週間で留学が決まった。 夢にまで見た留学が決まるのはあっという間だったが、準備に非常に時間がかかった。
その様子は下の記事を読んで欲しい。
そんな時間がかかった準備を完璧に終え、2022年の8月23日、日本から約25時間、私はオランダのフェンローに着いた。
初めてのヨーロッパ。
問題なく準備はしたものの、私自身の心情には問題があった。
当時の私は英語が全然話せなかった。
振り返ると、初めの方は簡単な英語でさえ携帯電話に入っている翻訳ソフトを利用していたのを覚えている。
「期待と不安が半分半分」という、みんながよく使う言葉を使いたいところだが、当時の私は不安でしかなかった。
そんな中、1年間のオランダ留学が始まったのだ。
↑↑↑
留学する直前に書いた記事。
上の記事からも1年。あっという間だ。
充実した学校生活
取っていた授業
一年を通して取っていた授業は英語系とビジネス系、文化系の授業だった。
英語系の授業は発音の基礎からビジネスにおいての英語までやってくださり、特に発音については大いに役に立った。
文化系の授業はヨーロッパの文化を中心に世界の文化を取り上げて(人間性・性格・ビジネスにおける作法等)授業を行なっていた。
そんな中一番大変だったのはビジネス系の授業である。専門用語が多くあり、頭が真っ白になった。これが留学なのかと思い知らされた。
私の英語勉強法
それでも、必死になって追いつこうとした。
授業も生活も不安な中、授業を受けていたり、会話をしていた中で分からないことがあったら「質問する」「調べる」ことを意識した。
そしてそれを会話で「使ってみる」というのを繰り返し行った。
机に向かう学び方よりも私にはこれが合っていたし、実際にこれで身についたものの方が多かった。これが私の英語学習法だった。
ここでアウトプットが学ぶ上で重要なことに気づかされた。
机に向かう勉強いわゆるインプットももちろん大事だが、人と話すことやその知識を使ってみると言うアウトプットはもっと大事だと思った。
さらにはそれを継続すること重要さも改めて感じた。
私の場合継続が苦手なので、これは課題の1つでもある。
とある先生がくれたメール
とある一人の先生は、秋セメスターも春セメスターも授業を担当してくれた。ビジネス系と文化系の授業を担当してくださり、一年間大いにお世話になった。
その先生へと帰国時にお礼のメールをした時に、長文で私のことについて書いてくださり、返信してくれた。
その中の一つにこのような言葉があった。
“I am proud of you and progress you made, seeing you grow and develop gave me personal and professional satisfaction, also because I saw your dedication, motivation and determination. “
((私はあなたを誇りに思いますし、あなたが成し遂げた進歩を誇りに思います。あなたが成長していくのを見ること(献身性・モチベーション・決意)で、私も仕事において満足できました。))
そのメールのこの文は今、自分のモチベーションを上げる一つのモノとなっている。
一年を通じて私を見てくれた先生が、このような言葉を私にくれたのは本当に嬉しかったし、客観的に成長を感じさせてくれた一つである。
沢山の”世界”を見ようと思った瞬間
さらに春セメスターにおいて英語系の授業を担当してくれた先生は、私にスピーキングスキルとオランダ・ヨーロッパでの“経験”を与えてくれた。
とにかく話すことを中心に授業を行い、自分に話す機会を多く与えてくれた。発音も鍛えられた。
英語4技能の中で、一番伸びたのはスピーキングだと思う。
また地元のビールの製造場や酪農場、国立公園にも連れって行ってくれた。
先生は「勉強も重要だけど、ここ(オランダ・ヨーロッパ)にいるなら、色々なものを見て、感じて経験することが重要だ」といつも言っていた。
その言葉に感化され、最終的には留学中に色々な場所に旅にも出た。
その数22カ国と約50都市。
夢であったヨーロッパでのフットボールを観戦したり、バルカン半島に歴史を学びに行ったり、モロッコにあるサハラ砂漠に行ったりもした。
誰にも真似できない多くの経験が出来たのは、背中を押してくれたこの先生のお陰でもある。
ヨーロッパでの旅は後ほど紹介したい。
充実したオランダ生活
オランダについてはマガジンにまとめてあるので、ぜひ見て欲しい。
オランダの文化・生活について書いてある。
↓↓↓
★”日本人”として意識したこと
文化に”触れる”のは非常に楽しいが、文化に”慣れる”というのは少し難しいと感じた。
日本とは全く違うヨーロッパの文化に、20年以上日本に住んでいた人間が慣れなければならない。
「適応力」と言う言葉で片付けてしまえば、それまでなのだが、苦労することもそこにはあった。
そんな自分が海外のどこに行っても意識していることがある。
それは「日本人としてのアイデンティティ・誇りを持ち、日本人から逸脱していく」ということ。
これは日本人が持っている「良さ」を 持ちつつ、日本人の短所を海外の持っている「良さ」に置き換えると言うことである。
もっと詳しく深掘りしてみよう。 日本人の良さとは何だろうか?
「和の心」を持っていることだったり、「謙虚さ」が挙げられると思う。
また私はオランダでもよくサッカーをしていた。その時私は必ず試合前に”ゴミ”を拾うようにしていた。
さらには海外のどこに行っても必ず手を合わせ「いただきます」「ごちそうさまでした」を言うようにしていた。
ほんの1部ではあるが、これが日本人が持っている「良さ」 言い方を変えれば「アイデンティティ」だと思う。
そして海外の持っている「良さ」を吸収するために、自分の意見をはっきり持ち、それを発言することを意識したり、「自分らしく生きる」というのを体現しようとした。
また全ての文化を受け入れ、自分の中で良さを吸収していくようにしている。
説明が長くなってしまったが、このようにして、私は私をつくりあげている。
海外から見る日本の姿は、非常に美しく、日本人として誇りを持つことが多い。
客観的に日本を見てみると、日本の素晴らしさに日本人である私も気づく。
「日本人です」と言うと、ほとんどの人がフレンドリーに接してしてくれて優しくしてくれる。「日本人」というステータスだけで、私たちは大きな価値を持っている。
私は海外に住んで、さらに日本が好きになった。
だからこそ、日本人としてのアイデンティティを大切にしている。
少し話が逸れたが、もしあなたが海外に行くことがあれば、ぜひこれを意識してほしい。
支え合いの国際交流
一番仲が良かったのは、秋セメスターは韓国の子で春セメスターは台湾の子だった。共に同じ授業で一緒になった子である。
特に韓国の子は、初めは日韓関係の事情もありクールな反応だったが、話していくうちに気づけば大親友になっていた。最後には毎週のように韓国人のグループと日本人のグループでよく自国のご飯やお酒を持ち込み、パーティーをしていた。
一方台湾の子は、彼が日本語を練習していたので、私が日本語を教えて、私は彼から英語を教わっていた。
ここで学んだのは「お互いを理解し、尊重する」ことである。
説明は後ほどしたい。
彼らのおかげで留学は華やかなものとなった。
本当に感謝している。
そして絶対に韓国と台湾にまた会いに行く。
また私が留学していた期間は、サッカーワールドカップと被っていたこともあり、よく海外の友達とサッカーを見ていた。
私自身、自他共に認めるサッカーオタクなので、サッカーと言う強みを生かして国際交流ができたのは非常に嬉しかった。
現地の日本人学生との交流も大いにあった。留学先では「日本人と関わるな」などとよく言われているが、私にとっては彼ら日本人は非常に頼りになったし、尊敬する人々である。私がインフルエンザになって、本当に死にかけた時にも支えてくれたし、勉強においても一緒に切磋琢磨することができた。
留学先で日本人と関わるかの問題については人それぞれだと思う。
私は彼らと関わって本当に良かったと本当に思っている。
改めてここでありがとうを伝えたい。
★ヨーロッパでの旅
最初に言っておくが、 私自身も、留学期間中に、こんなに多くの国に行くとは思ってもみなかった。
それでも気づけば合計22カ国と50都市。
我ながらにこの数は衝撃である。
やはり私は「旅」が好きなのだと思った。
旅をしている間に気づかされたことも多くある。
例えば欧州のサッカーを見ている時、またスペインに行き、サクラダファミリアやゲルニカを見た時、モロッコでサハラ砂漠の景色を見た時、「本物を見る」と言うことの大切さを知った。
彼らは画面や本で見る景色とは全く違うオーラを放っていた。
さらにはポーランドでアウシュビッツを訪れた時、ボスニア・ヘルツェゴビナでサラエボ紛争の跡を見たとき、「実際に訪れて自分自身の意見を持つ」ことの大切さを知った。
心に訴えかけてくるような、その景色は、間違いなく無感情では見れない景色たちだった。
もっと歴史を勉強して ここに来ればよかったとも思ったし、これをきっかけに歴史を勉強し直そうとも思った。
旅を通して何か大きなものを得た気がする。
でもそれは”気”ではなく大きなものを得たのだと思う。
今後長い人生を送るにつれて、この歳で経験したもの・この歳で得たものの貴重さが分かってくると思っている。
これを見ている私と同じ位の年齢の人にこれだけは言いたい。
とにかく旅をしてほしい。
今あなたがどんな状況に置かれているかは私には分からない。
それでも旅はどんな時でもあなたに寄り添ってくれるし、あなたを成長させてくれる。
大丈夫。旅で救われた人間がここにいるから。
第二の故郷とのお別れ
そして2023年7月2日。私の誕生日でもあるこの日。別れの日がやってきた。
前日にはフェンロー中心部を歩いた、いつも通っていたスーパー・ジム、いつも目に留まる旧市庁舎、いつも通っていた通学路。全てが最後だったのだが、当時の私はそんな実感は全く湧いていなかった。
意外にも帰国当日も日本へ帰るという自覚はなく、いつものように、どこかに旅に行くように、フェンロー駅へと向かった。
友人と別れ、電車でアムステルダム・スキポール空港へ向かっている時も、なんだかふわふわした気分だった。
帰るという実感が湧いたのは、飛行機に乗る直前のことだった。
何故かわからないが、今までの思い出が全てフラッシュバックしてきた。
その瞬間涙が止まらなかった。
周りの目線なんてどうでもよかった。
楽しい思い出、大変だった思い出、 出会った人々、訪れた国たち。
その全てが自分の中で再生された。
1年間慣れ親しんだ人・場所とお別れする悲しさと、これからの不安さ。
それらが混じっていたような気がする。
それでも自分は前を向かなければならない。
留学を振り返っても一番辛い瞬間だったかもしれない。
覚悟を決めて、私は帰国の途についた。
1年間を通して一番成長したもの
★英語よりも成長した〇〇
この1年間で一番成長・変化したのは「オープンマインド」になったことである。
様々な国の人と関わり、様々な文化・バックグラウンドの人と関わってきた。
その中で実際に人種・宗教・LGBTQ等のありのままの姿を見ることができ、日本では感じられないようなものをこの目で見てきた。
そして自分のバックグラウンドも隠さずに伝えることができるようになり、自分とは違う意見や考え方も、素直に受け入れられるようになった。
これが先ほど「お互いを理解し、尊重する」という言葉にも繋がる。
やはり会ってみないとわからないこと、話してみなければわからないことがそこにはあった。
留学をしなければ、このオープンマインドは絶対に手に入れることはできなかった。
現在では、自分の特徴の1つになるとも思っている。
英語は嫌い
実際に英語力において、私が留学でどれだけ伸びたのか私自身はわからない。ただ確実にリスニング能力、スピーキング能力、リーディング能力は上がったと思う。
しかし、私はこれからも「英語は嫌い」と言っていくだろう。
中学時代、英検3級の筆記試験で落ち、高校時代は英語は赤点、もしくは赤点スレスレだった。実際今回の留学においても基準ギリギリアウト位の点数で、それを大目に見てもらい、留学が許可された。
私にとって英語はアレルギーなのだ。
しかし、食べ物のアレルギーと一緒で、その食べ物を食べたい・克服したいという気持ちがあるからこそ、同じように英語と向き合えている。
実際、英語を話す事は本当に楽しいし、私自分が英語を話していることに感動することだって未だにある。
これからも英語に対してしっかり向き合っていきたい。
さらには他の面でも勉強は継続していきたいし、継続できるような人間になりたい。
いや継続できる人間になる。
日本語が上手くなった
留学を通してなんとなく日本語が上手くなった気がする。それは話す日本語も、今私が書いているような日本語も。英語を使う時はなるべく伝わりやすくするように、分かりやすい英語を使うように意識していた。
それと同じように、今度はその意識が日本語にも浸透していった。だから日本語でもわかりやすく物事を伝えようとするようになったし、どのように話せば相手が理解してくれるか、 どのように話せば私自身が一番言いたいことが相手に伝わるのかというのを日本語でも実践するようになった。
それと、noteを留学中は毎月書いていたのも要因の1つかなと思う。毎月5000字位の記事を1、2本、留学中に公開した記事は20本以上。文章力もそこそ上がったと感じている。
海外に住み、母国語が上達するというのはとても興味深いことだ。
これからの課題・悩み
実際伸び悩んだ部分も多い、英語のライティングスキルはその中の一つである。
またTOEICの勉強もあまり十分にオランダではできなかった。
その分をTOEICに縛られたような英語を使う事はなかったので、柔らかい表現の英語を学ぶことができた。
このようにポジティブに捉えていきたい。
これらの課題は帰国後の宿題という風に捉えた。
まだ時間は大いにある。
宿題と捉え、前向きに勉強をしていきたい。
また留学後については、帰国して1ヶ月経った今も、未だにに悩んでいる状況である。
燃え尽き症候群。
休学すること自体は決めたが、具体的に何をするかはまだ決めていない。
何にベクトルを向けたらいいかわからい。
いろいろな選択肢の中で、路頭に迷わされているのが今の現状である。
この留学をどのように生かすのか、これからどのようにしたいのかと言う悩みが、常に頭の中を彷徨っている。
そんな燃え尽き症候群について書いた記事はこちらから↓↓↓
★最後に伝えたいこと
最後に伝えたいのは「感謝」である。
この留学において、両親や先生方はもちろんのこと、友達・オランダで生活をサポートしてくれた人たちなど、など数え切れないほどお世話になった人がいる。
その中で、自分はそのような人たちがいなければ、生きていけないと改めて実感させられた。私たちは皆“支え合いながら生きている”ということを、この留学を通して非常に実感した。
その中で「感謝をする」ことの大切さや必要性を大いに大いに感じた。
何気ないひとコマでも、「ありがとう」や「Thank you」という言葉は非常に重要な言葉だと思った。だからこそこの言葉を大切に使いたい。
1年間は本当に短かった。
ただこんなに短かった1年間も今まで無かった。
それは充実しすぎていたから。
多くの学びと多くの経験を得たこの1年間は濃密すぎたのだ。まだまだ英語も奥深いし、まだまだ「世界」を見てみたいとも思った。
長く書きすぎた。書きたいことが多かった。まだまだ書きたいが、それでも満足できるくらい書くことができたので、ここで留学最後の記事を締めようと思う。
今回も読んでくださり、ありがとうございました!
そして今まで私の留学関係・旅関係の記事を読んでくださりありがとうございました。
今後もnoteでいろいろ発信していきたいと思いますので、楽しみにしておいてください。
それではまた👋
過去の記事はコチラから↓↓↓