【エッセイ】僕はお肉穏健派
小さいころから僕はお肉が好きだ。野菜も食べるが、やっぱりお肉が好きだ。「晩御飯何がいい?」の質問に対しては大好きな蕎麦を除いては、ほぼ毎回お肉のメニューをオーダーしてきたように思う。どう間違っても「バーニャカウダ!」と答えることはなかった。
小さいころからそんな肉と野菜に対して少し疑問に思っていることがある。僕は肉は好きだが野菜もある程度は食べる肉好きの中でも”穏健派”だった。それに対し、僕の周りには肉しか食べない”肉の過激派”と、逆に野菜しか食べない”野菜の過激派”がいた。彼らは宗教や信仰の観点からでなく、ただ単に好みによってそうなっていた。
ここで大事になってくるのが世間の評判である。依然としてバランスが求められている日本社会において世間的に評判が高いのは、肉も野菜もバランスよく食べる”食事穏健派”であるように思うが、個人的には野菜好きで肉も食べる”野菜の穏健派”も同じにくらいに評判が高いように思う。
ここからがややこしい。僕が疑問を呈しているのは、”野菜の過激派”が”肉の過激派”よりも評判が良く、さらに”肉の穏健派”の評価にも勝ってしまう時があるということだ。お肉も野菜も栄養素の観点から見ると、どちらも欠けてはならないはずだ。だが、「俺野菜食べられへんねん」という発言に対する批判は、「俺肉食べられへんねん」という発言に対する批判に比べるとはるかに多いように思う。
確かに世間的に見て野菜の方が健康イメージが強かったり、野菜の摂取量の減少が問題視されていたりすることなどから、野菜好きの方がイメージが良くなるのはわかる。なので”野菜の過激派”が”肉の過激派”に勝る点に関してはある程度理解ができる。ただ、なぜ”肉の穏健派”にまで勝ってしまうのか。
この状況は正月など親戚が集まる場で見られる。親戚一同で鍋を囲んでいる際、僕は”肉7:野菜3”くらいの割合で食べているが、突如”肉0:野菜10”の割合の過激派従妹が現れた。冷静に考えてほしい、栄養面では確実に僕に分があるはずだ。ただ親戚のおばちゃん達からは従妹の方が明らかに評判が良く、「野菜好きなんや、偉いねぇ」ともてはやされていた。
おばちゃん、それ過激派やで、ここは日本やで、野菜”しか”食べないより、野菜”も”食べるほうが良いんじゃないの?目先の珍しさに飛びついてるだけやで、目覚ましてや。帰り道の高速で会話がなくなってきた車内でもう一回冷静に考えたら絶対に僕の方が良い子やって思うはずやから。
僕は一度その疑問を母親にぶつけたことがある。
母からの回答は
「野菜の方が安いからやで」
という素っ気ないものだった。
はいはい、世の中やっぱりマネーですか。