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永遠の相棒。

精神疾患になって思うことが多々あること。
けもの」とたわむれたい・・・・・・。
我が家はペットが多かった家だと思う。
「わんこ」と「にゃんこ」と「とり」、どんだけいたかと。
その中でこんな自分を「飼い主」にしてくれた「けもの」の話をしようかと。

今の家に引っ越す前のことでした。
近くの空き家ににゃんこたちが住んでいるらしく、いろんなにゃんこがわいのわいのやっているのが聞こえる。
ど田舎ゆえ、置いて帰る方たちがおりまして、その置いていかれたにゃんこたちが見つけた住処のようであった。
とにかくどんだけ居たかいまだにわからんのだが、その中に居たにゃんこが近所の子供達に我が家の軒下に追いやられていて、その後牛乳あげたのが出逢いのきっかけであった。
細いメス猫で結構しっかりしている、そんなイメージだったかと。
少ないお小遣いでキャットフード買ってあげてたりしてた。
だんだん身体はしっかりしてきて、そこまで飛びますかね、ってぐらい飛んで玄関の上の窓を開けてお出かけするタイプでした。
それから引っ越しすることになり、さて、彼女は連れて行くのかどうか、ということに。
途中家出はしよりましたが(近所のおばちゃんちに半年ほど)今まで世話をしてきてこのまま置いていく訳にはいかないと連れて行くことに。
今の家に着てからは慣れなくてしばらく引きこもることもあったけれど、外遊びは相変わらず激しく(笑)、近所のにゃんことお友達になったりとかして彼女なりに楽しくやってたと思う。
引越し前の時点でお腹に子どもが居て、さて、となったけれど、結局子猫たちを助けることは出来なかった。それが今でも後悔。

守りたくても守れないものはどうしても出てきてしまう。

引っ越しをして間もなく、呼吸器疾患が発症。アレルギーで一番数値が高いのが「猫」だった。
担当医からも「どうにかならないか」と何度か言われたし、就職してからも会社に「猫を処分しろ」って言われたりしたけど、「家族の一員」だし、どうにかしようなんて思いもしないしする気も起きなかった
自分がマスクして接していればいいだけの話だと思っておりました。
それを彼女は知っていたのかどうかわからないけれど、「飼い主」に生きているねずみのプレゼントをどんだけ持って帰ってきたか・・・。
一度マイルームの中で逃がしてしまい、夜中じゅう捕まえようとしてて寝れんかった日がある。(笑)
もしかすると自分は「飼い主」ではなく「救けてあげなければいけない奴」だと思われていたのかもしれない
毎晩のように夜遊びをして夜中帰ってくるんだけど、自分の部屋の窓へたどり着くにはいろいろ障害があり、それを毎晩やってたのかと思うと「そこまで自分を愛してくれていたのか」と誤解をするものです。(笑)
途中から自分が夜中起きないとわかったらしく、母や兄の部屋から入ることも増えてきました。「飼い主」は一度寝たら起きないのがわかってきたようです。(そんな当時に戻りたい)

トイレを用意したらそこを寝床としばらく勘違いしていた。


寒い日に帰ってきて寝ている布団の中に冷たい身体、冷たい肉球で入ってくるのは慣れるものではない。「ウヒョォ」ってなりながら耐えるしかなかったね。で、いつも寝るのは自分のお股の上。そこが一番暖かくて安心するらしい。それはいいんだけど、こちらは動けなくて大変でんがな。ちょっとでも動いて布団内で静電気が起きたら大暴れしてこちらは傷だらけになるんだから。(笑)

彼女が10歳ぐらいになって、これからいろいろ起きるなぁと思うようになった。
その頃には社会人になっていて実家暮らしだったからなんとかなると思ってた。
相変わらず夜遊びは酷くて、猫缶で呼び出す日々。そんな日々でも帰ってきてくれればそれでいいと思ってた。
仕事中、自分の携帯に着信があるのに気づき、兄からだった。兄から携帯に連絡があることなんてめったになかったんで何かあったのかと思っていたらまたかかってきたんで出たら、彼女が事故に遭い、瀕死状態だという。いつもの病院に行ったらその日が日曜日だったんで開いていないとのこと。他に病院を知らないか、と言われたのでもうひとつの病院を教えた。
おろおろになってしまう自分に兄が喝を入れてきた。「飼い主」の自分がしっかりしなければ、そう思った。
仕事を終えて帰宅すると、既に彼女は帰ってきていた。息はしていたがとても苦しそう。
彼女は音が鳴るものが苦手で、ドライヤーを使うと「シャーシャー」になるし、掃除機も使ってると猫パンチ攻撃を炸裂する。
そんな彼女が車に轢かれるというのはどういうことだと。いまだに謎なんだけど、いろんな偶然が重なってしまったのかもしれない。

一晩、痛み止めが切れて眠れない、そして目も見えなくなった彼女と過ごしました。
「飼い主」として何が出来るか、たくさん考えました
楽にしてあげる方がしあわせなのかとも考えました。
だけど兄に「生きようと頑張っているんだから」と言われ、考え直しました。獣医さんには「後は生命力次第」と言われ、それに賭けるしかありませんでした。
次の日はちょうどお仕事が休みだったんでよかったんだけど、今度は自分の調子が悪くなってしまい、とある場所に置いておくことになりました。
いつも綺麗好きでどっちが「飼い主」かわからないぐらいしっかりしていた彼女がボロボロになっていくのを見るのがしんどくなっていき、そして、彼女自身も死に場所を探しているのか隙間隙間に入るようになりました。
次の日体調不良で仕事を休み、そして、彼女を看取ることが出来ました。

「もう痛くないよね」「目も見えるよね」「好きなところ走り回れるよね」
「新しいお友達見つけて自分を待ってくれてたらいいな」、今はそう思っています。
彼女が居なくなって何年経ったかもう忘れてしまったけど、自分にとっての「最高の相棒」であったのは確かです。
あの後いろいろあって今はこんな状態だけど、また出逢えた時に気づいてくれるであろうか。
それが一番心配かもな。(笑)


あの暖かさと重みは癖になる。

今はもう「けもの」が居ない我が家だけど、近所のわんこに癒やしを頂いております。
彼らはこんな自分にもたくさんの愛をくれます。服を汚されようが、突撃されようが、もう愛しかないです。

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