27 まぁ、いいか。
あれは初めて入院した時のことだな。
長年呼吸器疾患を患っているんだけど、今も通っている病院に初めて行った時、即入院を言い渡されましてね。
今まで行ってた病院では点滴とかするぐらいだったんだけど、この病院はいろいろ今後のために調べたいと思ったようでね、そのまま入院でしたわよ。
いわゆる「検査入院」ってやつである。
呼吸器疾患ゆえかなりしんどいのもあってか、ナースステーションに一番近い子供部屋?に入りました。
向かいには盲腸で入院している女の子。
同じ日に入院したんだけど、向こうは病気、こちらは検査、ってことでいろいろ違いましたな。
ただでさえ初めての入院で訳わからんことになっているのに。
何が一番しんどかったかって「ご飯が食べれないこと」でした。
検査入院ですからね。そりゃそうなんだけど、当時の自分には初めてのことで説明もいまいちよくわかっていなかった。
ナースステーションのホワイトボードに「絶食」ってところがあるんだけど、そこにずっと自分の名前だけ残っていくことがだんだんしんどくなってきましてね。
「ご飯ですよぉ」って持ってくるんだけど、いつもお茶とポカリ。
そのうちに盲腸の女の子がご飯解禁になっていき、自分の名前はホワイトボードに残されたまま。
これが決定打だったのかも。
「飛び降りよう」って思った。もうこんな状態耐えられないって。
親にも看護師さんにも話していなかったけど、もう、とにかく飛び降りた方が楽になるって当時は思ってた。
向かいましたよ、トイレにね。トイレの窓から飛び降りようってね。
でもね、病院の窓ってね、ちょっとしか開かないんですよね。
どの窓も。
なので、結局飛び降りられず、そのまま病室に戻るのであった。
今思えば「アホやったなぁ」って思うけど、あの時は本気だった。
だいぶ病んでいたんだなと思うね。あの時点でそれなりに精神疾患への道は始まっていたのかも。
自分は元々高所恐怖症で痛いのも嫌いなんで、自分で自分をってのはまず無理なんですよ。
実際それ以降なにかしようと思ったこと全くなくて。
後日、「本気で逝こうとしている人は黙って逝く」ってのを聞いてゾッとしたよね。あの時の自分だ、って。
あのことは多分誰も知らないことだから。誰にも話していないし。
今では笑い話で使えるんだろうけど、聞く方にはたまったもんじゃないかと思いましてね。カキコしてるけどね。(笑)
あの後からもいろいろあって胃カメラとか精神疾患発症とかいろいろあったしどん底にも落ちましたけども、あの時のような感情は一切ないですね。
てか、覚えたんですよ、「開き直る」ってことを。
「逃げる」って道もあるんだけど、全てそれが使える訳じゃないんで、「開き直る」ことにしたんですよ。
最近の口癖は「まぁいいか」である。
むちゃくちゃな性格のくせに神経質だったりするんで自分で自分が「めんどくさい」って思うことは多々あるけど、「まぁいいか」って言えるようになってからはだいぶ楽になったかと。
なので、いろいろやりたいことはたくさんあるけれどどうしても動けない時は「まぁいいか」になっております。
いろんなものが中途半端だけど、もぞもぞしちゃう時もあるけど、「まぁいいか」って。
自分で自分を甘やかすというか許す、そんな感じかな。
働けなくなって数年経つ自分に対し、一時は「働かなきゃ」「なにかして収入を得なければ」って思ってたんだけど、周りが「家でゆっくりしていればいいじゃない」って感じだったのでそう思わないようにしております。
この状態で働きに行っても2日もつかもたないかだからね。
この状態を「甘え」とか言う方もおるかもしれんけど、とりあえず生活出来ているんでゆっくり休もうかなって。
まだまだ良くならないのはまだ休みが足りないのかなと。ちょっと長めの休暇を貰っていると思えばいいのかなと。
お給料はないけどやることはたくさんあるし、寝込んでいないだけまだマシかも。
推し活にも忙しいし。
買い物と通院時しか外に出ない生活だけど、自分を元気にしてくれるものはたくさんあるよなぁと。
いつまでこの日々を送るかわからないけれど、自分には理解をしてくれる方がいて、心配してくれる方がいて、そして、元気をくれる方がいるのでなんとかやっていけております。
・・・・・・・・推し活はいいぞ。(ボソ)