感動するということ 〜意味はあるのか〜
コロナに感染し、回復し、人生の機微に極限まで鈍感になって一週間が経過した。
人生の機微? それはつまり、「なぜ生きているのかという疑問を感じない」ためのスパイスのようなものだ。料理にスパイスは必須ではないが、スパイスの刺激がつんと鼻を突いたとき、私たちは「味わっている!」という強烈な感覚を抱くことができる。
機微に鈍感? それはつまり、おもしろいことが何もなくなってしまった状態だった。音楽を聴いてもいいなあと思うフレーズが一つもないし、本を読んでも文字列たちは事実関係の羅列に終始した。
人はなぜ生きるのか? 疑問のブラックホールから微かに明るむ天上を見上げ、闇の底でなにもできずに佇んでいた私が、地中海料理にたどりつくまでの経過を、今日は少し整理したい。
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コロナの急性症状、高熱と倦怠感はほんの一日でおさまった。そこから、咳と鼻水の応酬を受けながらもそこそこテンション高く本の整理などをしたのが三日間。問題はそのあと起きた。
ネットで調べてみると、コロナうつという言葉にたどり着いた。コロナうつーー症状が回復して数ヶ月たってから現れるうつ症状で、無気力や不安感を生じるらしい。コロナ自粛の閉塞感からくるうつもあるが、それとは別物である。
私はコロナうつなのだろうか?ーーこんなに何に対しても無感覚なのは、なにかおかしいと、ただひたすらに知らない田舎道(南相木村とか)を車で飛ばした。美しい川があり、夕刻にはひっそりと怖い感じのダム湖がある。それでも、ここの雰囲気いいなあとか、ここ怖いなあという感覚自体が「湧き上がってこない」。無感動に、理知的に、Uターンしやすい地形を探して、引き返した。
療養があけてから一週間は、たまった仕事を消化するために淡々と生きていた。しかし、休憩中にコーヒーを飲んでも、香りはわかるがなんだかおいしくない。お腹はすくが、なんだかご飯が味気ない。
私はこのまま、死んだ魚のような目のつまらない大人として生きていくことになるのだろうか? 子供の頃には、そういう大人がたくさんいたなあと思い出した。こんな大人にはならないぞ、いつまでも興味と正義の心を失わない、ことなかれ主義と戦う人間になるんだ、と心に火を灯していた私は、どこへ行ってしまったのか。コロナなんか関係なかったかもしれない。私の火がきえて、私は社会の完全なる駒になったーー人類補完計画の一端がここで完遂されただけ、だったのかもしれない。
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療養に専念する禁酒期間と定めた二週間が明け、久々に飲んだ大好きなクラフトビールを飲んでも、香りや味がいいのは感じるものの、爆発的な感動はなかった。といっても、これはけっこう以前からある感覚で、おいしいビールのことを「典型的なおいしさ」と捉えるようになっていた。さまざまなビールを知って、頭打ち感を如実に感じるようになっていた。
見たことのない美しさ、嗅いだことのない香りのよさ。これまでに身の内から清らかな泉のごとく湧き上がってきたあの感動は、幻だったのだろうか? 感動とは、いったい何なのか。「何だったのか」。
私の中で、諦めという言葉が巡りはじめる。人生とは、この程度のことだったのだ。あとは、他人様が困っているのを少し手助けするために労働する、そのような役割の存在なのだ、私という個体は。
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回復するにつれ、空腹感も強く感じるようになってきた。食事のおいしさの八割は、空腹でできているのではないか。しかしながら、やはりおもしろ味のない日々は続いていた。あいかわらず、途中でぶちゃってある読書や、noteの書きかけの記事や、写真整理なんかを、頭の中ではいずれ始末をつけなければと思いながらも、その気力が湧いてこない。
そんな折、作業手伝いの依頼がきた。話が複雑になるので詳細は端折るが、古い木材の釘を抜いて分解する作業で、やる気が起きない状態で自分の趣味や仕事にも進捗が見られないので、役に立てるならと引き受けた。
その作業は、説明が難しいので詳細はやっぱり端折るが、「行商屋台の完成」という形で結実した。依頼主は、江戸時代の行商がよく肩にかついで売り歩くあのスタイルの屋台を制作していたのだった。風鈴売りがいちばん想像しやすいと思うが、商品を棚に入れたりぶら下げたりして人一人でかつげる最大量を収納できる、木の箱の連なり、である。
屋根の湾曲もつけられたフォルムが美しく、そのときはおもしろいものを作るなあと愉快がっていたものの、自分だったら何に使うか・何を売ろうか、という方向にはまったく思考が向いていかない。クリエイティブな脳の使い方ができないのである。まっしろのスケッチブックを渡されて「自由に描いていいよ」と言われたときの、くやしさ。子供の方がむしろすぐに、思うがままにクレヨンを握る。大人はあれこれ考えて、描いたり消したりして、ぜんぜん形が現れない。
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軽井沢に買い物があって、雨上がりの気候もよかったので、久々にコーヒーでも飲んでのんびりしようかと、とあるカフェに立ち寄った。目的レスの純粋なお茶時間である。写真をとってSNSに上げたり、友人と来たときに案内できるよう下見したり、単純に空腹を満たすわけでもない、ただの時間つぶしである。
繁華街から離れた森林と田畑ばかりの地域にあるそのカフェに、見覚えがあった。坂の途中の傾斜地に建っていて、ログハウス風の木造。店内はやわらかい光で少し暗めで、全面に貼られた格子のある窓からは、森のあいまを縫って流れてくる小川が、しずかに池に注いでいるのが眺められる。
たしかに来たことがあった。両親に連れてきてもらった。当時、大学生だった私は原因不明の病にふせっていて、熱をだしたり倦怠感に満たされて寝こんだり、少し回復したり、を繰り返していた。大学二年、同級生たちは輝く青春の光のなかで勉学にサークルにアルバイトに恋愛にと、活発に人生を謳歌していて、話を聞くにつれ眩しくて悲しかった。
病気のせいかはわからないが、視野も狭まっていたように今では思う。物理的にと、精神的にの、両方だ。視力が悪くなった感じはしていなかったが、燦々とそそいでいるはずの太陽にはそこまでのエネルギーを感じず、室内は暗く見え、さらに、おもしろい本や映画や情報を探そうという気持ちも起きなかった。
カフェに行ったその日も、少し熱があって、肌に嫌な感じがあった。初夏の軽井沢、店内は混み合っていて、やっと席が空いて座れたのを覚えている。白玉ぜんざいか何かを食べたように思う。どんないい店でどんないい物を食べても、病気は治らない。思考は、いつもそっちの方向にむかっていた。
けれど、森の清澄な空気は、閉塞感のある家のよどんだ空気を、私の肺から一掃してくれたように感じた。
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私は一人で入店し、店内のだれもいない客席から端っこの池を眺める位置を選んで座った。店の女性はすかさず、石油ストーブを点けてくれた。抹茶と、もなかを注文する。窓を見上げると、雨上がりのつよい陽光が、真っ赤に紅葉した葉が蜘蛛の巣でのきからぶら下がっているのを、透明に、燃えるように輝かせていた。あとで写真をとろう、と思った。
店内のあちらこちらにディスプレイされている陶器を一巡し、戻ると、陽光は陰っていた。
人生は、やりたい!と思ったときにやらなければ、だめなんだ!
その連続なんだ!
やりたいと思わなくなったら、心の火がきえてしまったら、どんなに財力や体力や知恵を蓄えていたとしても、もうだめなのだと、その瞬間に後悔とともに悟った。
もなかは皮を炙ってあるのか、とても小気味よくぱりっと割れた。甘さを極限までおさえた、滋味深いつぶあんが口に入る。小麦アレルギーになってから、もなかを積極的に選ぶようになった。もなかは、米でできているのだ。
あんこは小豆でできていて豆たんぱくも含むので、ショートケーキのような炭水化物のかたまりと比べて栄養価的に非常に優秀だ。それに、純粋に、丁寧に煮た豆というのは美味しい。江戸時代にも、もなかは食べられていたんだろうか……
行商の屋台! もなか!
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軽井沢の用事というのは、小麦アレルギーに関係していて、米粉パン専門店ができたという噂を聞きつけて訪ねたのだった。夕飯を食べたあとで、食べ過ぎだなあと思いながらもパンを焼いて食べる。おいしい。米粉パンはふつうの小麦パンとくらべてそう簡単には作れない欠点が多々あるのだが、よく工夫されておいしく焼かれたパンだった。
おいしいものを作るべく、日々研究してくれている人々が、こんなにたくさんいる。一食に食べられる量が限られているのが悔しいくらい、世界はおいしい食べ物に溢れているなあ。コロナうつの話はどこへやら、いつしか私は「おいしい」という感動に満たされていた。本も音楽も、いまだに存分には楽しめない。これだって、コロナに関係なく、ずいぶん前からそうだったような気もする。けれど、「おいしい」という感動だけは、お腹がすく限り、そこにいてくれる。
そういえば前にラジオで、地中海料理について言っていた。地中海料理とは、イタリア、スペイン、モロッコ、はてはトルコまで、地中海を取りかこむ国々で食べられている料理の総称で、その使われる素材はオリーブオイルや野菜・果物など、植物性のものが多い。健康によいとされているのは、この地域には健康長寿の人が多く、うつ病も発症しにくいと期待される研究結果がある、といった事実から来ている。
オリーブオイルやハーブ、野菜をつかったイタリア料理系の食事はよくするが、地中海料理とはどんなものなのだろう? そう思ってまずは英訳をしらべた。「mediterranean cuisine」というらしい。つぎに、この用語でYouTubue内を検索する。現地の料理人のチャンネルを探すためだ。
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こうして私は、コロナから回復し、新たな興味の源を探りあてたのであった。せかいは色褪せたままではおらず、私は、淡々と労働する世界の一個体にはならなかった。人はいずれ死ぬ。けれど、生きているあいだは、生きている。そのあいだ、おもしろい事も感動もなく、ただ淡々と労働するなんて、なんと味気ないことではないか。
ふとした病気や不調で、心が存在感をなくして、感動から遠ざかってしまうことも、長く生きていれば何度かあるかもしれない。けれど必要以上に不安に思うことはない。なぜなら、それは、世界そのものや、人間そのものがつまらなくなってしまったということを意味しないからだ。
コロナの急性症状が回復した頃、コロナとは関係なしに偶然病院の受診日があったので、血中酸素を測る機会があった。95%。一般的には95〜99%が理想とされる数値で、私の正常値はつねに98%以上だ。じつは、酸素が取り込めていなかった。熱や咳は引いたが、コロナウイルスは見えないところで呼吸器にもしっかり触手を伸ばしていた。
うつや不調を「気持ちの問題」と軽くあしらう風潮は、現在もなくなってはいない。自分のことですら、そう考えてしまうことがある。そして、気持ちを上げられない自分を責めたり、諦めたり、まさに今回、そんなことを私はしてしまっていた。
病気だから、何も感じられないから、部屋で寝ていればいい。そう考えず、気晴らしにと軽井沢のカフェにつれていってくれた両親に、感謝したい。病気でも、元気がなくても、美味しいものを美味しいと感じることができなくても、音楽が感動的でなくなっていても、本が文字列になってしまっていても、なぜ生きているのかわからなくなっても、いいものを経験から知っているんだったら、どんどん味わったらいい。死ぬ間際まで、人は生きるのである。
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