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小さなめがねの神様

次女が乱視だとわかった時には、
正直、うろたえた。
三歳児検診でのことである。
もしかして分厚いレンズの眼鏡を
ずっとかけ続けなければならないのだろうかとか、
小さいうちから眼鏡をかけていることで
他の人から何か言われたりいじめられたりしないだろうかとか、後々の子供のまわりのことばかり気にしては悲嘆に暮れていた。

視力の矯正は早く始めれば伸びる可能性はあると、
その眼科医は言った。
三歳児検診で引っかかったことは、むしろ幸運だったと思う。
この子が視力が良くないことを信じたくないばっかりに(成長とともになんとかなるかもしれない、などという安易な希望的観測)検査や矯正を後回しにして対処が遅れ、伸びるはずだった視力が弱いままになってしまうことになっていたかもしれないのだ。



日々の暮らしのなかで、思い当たるふしがないわけでもなかった。
テレビを見る時に、なぜかテレビに対して顔を横に向けて、横目で画面を見ていたこと。
(横目で見ることによって焦点が合いやすくなると、
経験と体で覚えたのだろう。よく見えないものを凝視する時に、目を細めるのと同じ原理)
ぬりえをする時に、枠の中心点あたりに申し訳なさそうにうっすらと、小さな丸をぐるぐる描く程度にしか塗らなかったこと。
(対象がにじんでよく見えなかったから、恐る恐るまんなかあたりだけクレヨンで色を付けた、ということかもしれない)
今も残してある次女作のスケッチブックの絵やぬりえの中の小さな赤い丸を見ると、よくわからないまま描いていた悲しさが胸に迫って、私は罪悪感でいっぱいになってしまう。
もちろん彼女は自分が他の人とは違う見え方をしているなどとは知るはずもなく
(生まれつきの見え方なのだから、
その世界が彼女にとっての当たり前だったのだ)
世の中って、ぼんやりとして曖昧で、不確かなものなのだと思っていたのかもしれない。
ほんの少し自分なりに見方を工夫することで、何かが時々いくらかはっきり見えたりもする、そんなものなのだと。


目の検査は毎回憂鬱の種だった。
瞳孔を開くための目薬を挿して、眼球の底の検査などもする必要があったのだが、次女はそれをとても嫌がった。
泣いて暴れると
「涙が出たら目薬の効力がなくなるので
検査はできません。泣き止むまで後回しです」
と、看護師さんに厳かに告げられては、待合室の隅にいそいそと退散することの繰り返しだった。
見かねた隣の席の見知らぬお爺さんが、ご自身のバッグにつけていたピンクのクマのキーホルダーを次女にくださり
「ほら、この子が守ってくれるから大丈夫だよ。
がんばろうね」
と励ましてくれた時、密かに泣いていたのは私の方だった。人の優しさが心底沁みた。
私たち大人にとっても、検査は長い長い戦いの時間となっていた。

よく見える方の目にアイパッチを貼って隠し、乱視の強い方の目だけをよく使って視力の伸びを促す訓練など、そんなこんなの困難を乗り越え、ついに眼鏡を新調することになった。
本人が気にいるような眼鏡を自由に選ばせ
(ピカピカの青のメタリックなフレームを選択)
なるべく眼鏡をかけることに抵抗がないようにするだけだった。
眼科医は言った。
「家族の人に『眼鏡すごく可愛いね!似合ってるね!』と言ってくれるように前もって話しておいて。でもね、これをかければ見えるって気がつけば、必ず自分から眼鏡をかけるようになるから」
その言葉にどれほど救われたことだろう。
子供よりも私の方が、救われたがっているようだった。


通りすがりのお年寄りに
「こんなに小さいうちから眼鏡なんて可哀想」
とか、
「テレビやゲームばっかりやらせてるから
目が悪くなったんじゃない?」
と言われるのはド定番だと覚悟はしていた。
たしかにその言葉を、きっちり一度ずつ浴びたことがある。
でも一度ずつだ。まあ許そう。
事情を知らない人に何を言われても鼻で嗤ってやればいいのだ。


眼鏡をかけることが可哀想なのではない。
眼鏡をかけさえすれば見えるのに、
眼鏡の体裁を嫌って
よく見えないままの世界でいることの方が
可哀想なのだ。

幼稚園時代はさすがに、どうして眼鏡かけてるの?の質問責めにあっていたようで、一時期
「わたしはどうしてメガネをかけるの?
みんなのおうちでは、お父さんとかおとなの人しかかけないんだって」
などと不意にいうこともあった。
自分とまわりとは何かが違うらしいと気づいたらしかった。
私は心のなかで歯噛みしつつ、知らない子供に向かって説教を垂れる自分の幻想を追い払い、まあそう思うのも無理もないよね、とため息をつくのだった。純粋な疑問、なのだろう。
でもね、学年が上がるにつれて、眼鏡をかける子は加速度的に増えていくから。
あなたは時代の先端を走っているのよ。
などとよくわからない励まし方をしながら、この子が苦労することなく暮らしていけますようにと、
幼稚園や学校へ向かい遠ざかる背中を見つめながら神様に祈っていた。


今や次女のまわりの友だちにも眼鏡の子はたくさんいて、なんの違和感もない。自分だけが違っているという戸惑いもなく生活している。
眼鏡での矯正や成長とともに、視力も徐々に伸びていった。
目が悪くなければ幼い頃に辛い思いをせずに生きてこられたかもしれないのに、と、私自身を責めたこともあったけれど。
神様は次女をちゃんと見ていてくれたようだ。
彼女はとんでもなく優しいのだ。
遅れそうになる子を見捨てないとか、困っている子や泣いている子にそっと手を貸し寄り添うことが
自然にできるのだった。
それは痛みを知っているからなのかもしれないし、彼女が元々持っていた素質なのかもしれない。
その優しさゆえなのか、彼女の友達から
こんな言葉をかけられたのだと言った。

「〇〇ちゃんは神様からの贈り物みたいな子だね」

その言葉はこの先も、
次女をずっと守り続けるのだと
私は思っている。










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