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【コラム】「足るを知る」必要があるのはどうして?

こないだ、ふと疑問に思ったこと。
「足るを知る」必要があるのはどうしてなのか。

ひとつは、環境を守るため。もうひとつは、きりのない欲望を追いかけている間は、幸せになれそうにないから、かな。

その場合の「足るを知る」の対象はモノかな? 
モノはほどほどで満足した方が、幸せに近づいていけるとして、じゃあ、どこまでも欲していいものも、何かある?

それは、見ること、そして考えること。見ることは、どこまでも深く。そう、その気になって練習を重ねながら、ゲーテの言うように物理を越えた所までも見ていける。また、考えることも、どこまでも自分の行為として進めていける。その両方の往復は、どこまでも求めていい。って、これ、そのまま「自由の哲学」ですね。

今のご時世みたいに、問題の早期解決のためには、誰かの強いリーダーシップを期待して、自分で考えるのを放棄したくなる時だってあるけど。でもそれは、自分の自由を放棄するのとイコール。疲れた時、ヒトラーに任せたように。やっぱり、自分の自由を守りたければ、自分で考えることからしか始まらない。

モノへの欲望には制限が必要で、思考は、むしろ制限してはいけない。たどたどしくても、どこまでも各自で真摯に進めていくべき、なんだろうな。

う~ん…。
なんだ、わかったぞ!
そういうことか!

そもそも、モノは有限にできていて、思考や精神の世界は無限に広がっているからだ! おお~、宇宙と自分が、マクロコスモスとミクロコスモスが呼応している!

そう思うと、毒のある思考を垂れ流すとか、意味のない心配に気持ちを支配されるとか、自分の中で起こるミクロなことも、どこかでマクロに影響しちゃうかも。

そんな呼応があるとしたら、自分の思考は宇宙大の責任があったりして。(かなり妄想入ってますが)仮にそうだとしたら、自分が宇宙をきれいにできたりもするわけか???

いや、まんざら妄想でもないよね。誰かが無自覚に毒を吐けば、近くの人も嫌な気持ちになるし、ガンバル人を見るとと周りも力づけられるわけで。実際に、サイズ感の大小はあるけど、1人の力で、周りを良くも悪くもできている。おもしろい~~~~!

地道に思考と行動を重ねて、
より良く生きようとするすべての人に、
感謝です!!

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▼オキツ 神戸シュタイナーハウス代表 大人クラス担当
書く人、聴く人、考える人、作る人、遊ぶ人。小さな勉強会や仕事、普段の暮らしの中で、ちょっと立ち止まって考え、言葉にし、行動してみる。少しずつ、みんなで幸せになっていけたらいいな。
ブログ毎日更新中。「自由の哲学を読む」~日々の暮らしから~
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神戸シュタイナーハウス
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