ルソーの「人間不平等起源論」を読む:「自己愛」の変質を触媒する「理性」の作用
人間の不平等の起源とは?
ルソーの『人間不平等起源論』では、「自然人」の「自己愛」(自己保存の愛)が「社会人」の「自尊心」(自分を他人よりも大事にする愛)に変わり、それが不平等な社会構造を発展させると分析される。
この描写の中に読み取れる「不平等の起源」とはすなわち「自己愛」の変質だが、我々はむしろそれを悪質な「自尊心」へと変質させる触媒として作用する「理性」と「反省」の複雑なメカニズムにこそ、ルソーの考える不平等の起源を読み取るべきだろう。
それはあたかも、無害な飲用アルコールが肝臓の酵素の触媒を経て猛毒のアセトアルデヒドに変質する様にたとえられる。
飲用アルコールと酵素のどちらが猛毒の起源かを問うよりかは、我々はその猛毒、すなわち「自尊心」が発生する化学変化を描写することをもって「不平等の起源」と呼ぶしかなく、ルソーの筆致もまさにそのような複雑な化学式の描写を思わせる。
不平等な社会の形成は、「自尊心」によって起動される終わりなき連鎖反応
不平等な社会の成立プロセスを駆動し続けるエンジンは、ルソーによると”我々の自尊心の手に負えない活動”である。
社会と法律の成立の前提には無秩序が、その前提には支配と被支配の関係が、その前提には競争が、その前提には人間の情念を餌にする「自尊心」が存在する。
”社会制度を必要にする悪は、社会制度の弊害を不可避にするものと同様のものである”と述べるルソーにとって、私有権と法律の成立に代表される社会制度はこれら一連のプロセスの最終段階に近いものであり、根本的な悪の原因すなわち「不平等の起源」とは言えない。
「自然状態」と「社会状態」の間に横たわる「広大な空間(immense space)」、すなわち”いかにして人間の魂と情念が知らないうちに変質して、いわば本性を変えるのか”こそが彼の主要な関心である。
「自己愛」を「自尊心」に変質させる「観念」の作用
自然人の無害な自己保存の欲望は、理性によって「自尊心」へと変質する。
ルソーによると、自然人の「自己愛」は「すべての動物に自己保存を促すものであり、人間においては理性によって導かれ、憐れみの感情によって修正される」ため、「人間性と徳を生む」ものだ。
しかし、この無害な欲望は「欲望と知識の進展」によって「自尊心」へと変質する運命にある。
「理性」が人間に与えた「観念」の力は、無害な自己保存の欲求を「情念」へと変質させて「自尊心」を生み出すと同時に、「完成能力」を通して人間の進歩を促進する。
ルソーによれば情念の”起源は我々の欲求に、その進歩は我々の知識にある”のである。
我々が”事物を欲したり恐れたりできるのは、それについて抱くことのできる考えに基づく”のであり、名付けられる以前の「我々の欲求」すなわち「self-love」は、「観念」の媒介作用によって名前を持つ「情念」に変質する。
死の概念も、恋愛の概念も、「観念」が誕生する以前の自然状態においては存在しないも同然であり、”この上なく大きな脅威にも驚く心を持たない”自然人にとっては何の意味も持たないただの事実に過ぎなかった。
しかし言語の発達が人間の精神にもたらした「普遍的な観念」に依存する「完成能力」によって自然状態から引き出された人間は、この力によって”人間の知識の光と誤謬、悪徳と美徳を幾世紀の時の流れと共に花咲かせ”、最終的には自らを”自分自身と自然の圧政者にする”ことになる。
「自尊心」の増大を加速させる「反省」という自己言及
「理性」は「反省」の作用を通して自然人の中に備わった「憐れみ」を抑制すると同時に、他者への、そして他者からの眼差しを通して「自尊心」を増大させる。
ルソーによると、”自尊心を生み出すのは理性であり、それを強めるのは反省”である。反省は人間に「先見の明」を与えることで、人間に安楽と余暇をもたらすが、その結果として他人との比較が生まれ、そこから虚栄、軽蔑、恥辱、復讐への欲望などの「情念」が次々と「カンブリア爆発」を起こすことになる。
この段階において人間の「自尊心」は、”情念を掻き立て増大させ”た結果、”全ての人間を競争者、対抗者、いやむしろ敵にする”。
”自分の噂をしてもらいたいというあの熱望、ほとんど我々を逆上させる、人よりも抜きん出たいというあの熱狂”を一度点火されてしまった人間たちは、”誰もがその権利を主張し、もはや誰にとってもそれを欠いては済まされなくなった”。
その結果、”苦しんでいる人を見て心ひそかに、滅びたければ滅んでしまえ、私は安全だという”ような哲学者然とした社会人が誕生する。
換言すれば、「反省」は「知識」を生み出し、「理性」によって点火された「自尊心」の増大プロセスを、その自己言及性によって指数関数的に加速させるメカニズムである。
「自己」の変質を触媒する理性の作用
結論として、理性は「自己愛」を「自尊心」に変え、「自然人としての私」を「社会人としての私」に変え、調和の中に生きる「man」を闘争の中に生きる「men」へと変える触媒となる。
理性によって引き起こされるこの「私」の概念の変質こそが、ルソーの想定する社会のあらゆる害毒と不平等を生み出す連鎖反応の起点であると言えるだろう。