見出し画像

教育を通じて「未来のイーロン・マスク」を大量生産するには?


私の来歴

私の夢はズバリ、「日本から未来のイーロン・マスクを大量生産する」ことだ。なぜそれが必要で、どのようにしたらそういうことができるのか?

私自身のこれまでの経歴を簡単にお伝えしたいと思う。お茶女で教育学を専攻して教師になろうとしたタイミングで家庭を持ったので専業主婦になった母と、東大の航空学科を出た後宗教法人に「出家」した父のもとで、私は6歳上の姉と4歳上の兄の姿を見ながら幼少期から英才教育を受けた。

小4から公文に通い出し、主体性を重視する恩師たちのおかげもあり小6には英検2級、中3で英検1級を取得した。その後、高校では東大模試1位をとって東大に現役合格をしたものの、「東大はなんか面白くない」と思って親の入っている宗教(幸福の科学)が設立した不認可の大学(HSU)に入った。

通っているうちに「なんか違う」感じがあって中退し、その時に知り合いから元バンドマンの家庭教師が経営する「家庭教師Eden」のオンライン化を手伝う誘いを受けた。3年間、がむしゃらに仕事をするうちに、教育者一家の両親の血(母方と父方のおじいちゃんがどちらも教師である)が目覚めた。1年間365日ほぼ無休で毎日4時間以上の個別指導を行う生活を約3年間続けて、その間に自分なりの教育スタイルを模索した。現在、「家庭教師Eden」はLINE登録者1万名を超え、来年には代表が初の著書を発刊する予定だ。

オンライン家庭教師として今まで100人を超える小学生を個人指導してきて、思ったことがある。それは、「小学生」という人種は宝物のような才能の塊であり、それぞれが世界を変えられるような爆発的な可能性を秘めている、ということだ。中にはガロア理論を扱った教育番組の内容を嬉々として紹介してくれた小学六年生もいた(彼はその後駒場東邦中に合格した)。

日本と世界の現状について思うこと

現代社会では不確実性が増大し、通常ルートをのし上がるタイプの「エリート」が社会の上部構造を圧迫し、民主主義国家の衰弱を招いている。アメリカで起きていることは近いうちに日本にも上陸することを考えると、この未来は避けられないと思う。

この本を読むとわかること、それは実はこの「エリート過剰生産による国家の衰退」という現象は「教育」と密接に関係しているということだ。国民の識字率が20%以下のような状況では、センター試験のような「読み書きそろばん」のような内容を秀才的にきっちりとマスターした人間を量産することが社会にとって非常に有益である。

これらの単純な「識字率向上フェーズ」を経て、ある程度教育が普及してきて、高等教育を受けた人口の割合が30%を超えたあたりから、徐々に事情がおかしくなってくる。今度は、それらの高等教育を受けた階級が「エリート」として特権意識を持つようになり、その他大勢の「一般大衆」を見下すようになってくるというのだ。エリートの目的は一般大衆を含む社会全体の改善よりも、エリート内部での権力闘争やパワーゲームに勝利することにすり替わる。

この現象は単なる感情的・倫理的問題を超えて、文明の衰退の引き金となる。太平天国の乱を起こした洪秀全の生きた時代の中国では浪人生が大量に存在していたこと(洪秀全自体が科挙に3回落第しており、その仲間も、敵側の鎮圧する側の将軍もすえなべて浪人生上がりの人間たちだった)、英仏の百年戦争が続いた時代には貴族階級の人口が異常な水準にまで増えていたなどの事例を見れば、この現象は歴史的に何度も繰り返されてきたことがわかる。

こういう現象を止めるためには、単なる読み書きそろばんを教える以上の「教育」を国家レベルで実践する以外にないのではないか? ナイル川の灌漑から始まってデカルト座標やニュートンの微分積分学の発明に結実した、線形代数による「確実な未来の予測」を可能にするシステムの教育以上に、「不確実性への対処」と「民衆との対話」を可能にするヴィーコ的なパラダイムへの移行、あるいは古代ギリシアの伝統に基づく「弁論術」的な本来の人文学的エリート教育が復活する必要があるのではないか?

こういう説明もできるかもしれない。社会学者の渡邊雅子によると、人類は「四つの論理」を持っている。

  • 三段論法的論理:演繹的あるいは帰納的に真理を証明する

  • レトリック論理:「真実らしさ」によって多くの人を説得する

  • アブダクション論理:事実から仮説を立てる

  • 哲学論理:「本質」の探求

今の学校教育で教えているのはこの一番上の「三段論法的な論理」で、中学と高校で習う数学の「証明」問題はこの思考法の養成機能を果たしている。だが、優れた政治家や外交官を生み出すには「レトリック論理」の教育が必要だし、優れた科学者や研究者を生み出すには「アブダクション論理」の教育が必要だし、優れた思想家を生み出すには「哲学論理」の教育が必要だ。これら3つの能力をバランスよく鍛えていくことが、これからの社会に貢献できる本当の「エリート」が学ぶべきカリキュラムとして提示されるべきだ。

過去3年間やってきたこと

私が現在講師として働いている家庭教師Edenでは、「Kahoot」というゲームを使って中学受験の内容を教えてきた。元々はYouTubeライブをやっていたのだが、コメント欄を用いたコミュニケーションに限界を感じ、Kahootの導入に踏み切った。

Kahootの面白いところは、単なる四択クイズ以外にも、豊富な答え方のオプションが存在し、ホスト側の設計次第であたかもその場にいて授業をしているような授業体験を生み出せるところ。

点数が入るクイズ形式だけで、以下の6通りがある。

  1. 四択クイズ

  2. マルバツ問題

  3. 短答式

  4. スライダー(数字を選択)

  5. 答えをピン留め(場所を指定)

  6. 並べ替え

さらに興味深いのが、プレイヤーたちのエンゲージメントを高める「意見を集める問題」のバリエーションも豊富に存在するところ。中でも「ブレーンストーミングモード」は革新的だ。

ブレインストーミングモードでは、制限時間内にプレイヤーたちが自由に解答を入力し、時間を締め切るとそれが一覧表示される。その後、プレイヤーたち自身がアイデアに対して投票を行い、得票数の多かった順番にポイントが加算されるのだ。

このモードでは、オフラインの場所では恥ずかしくて発言できないような子も、気軽に答えを入力できるところもポイントだ。実際、YouTubeのチャット欄では一言も喋らないような子が、ブレインストーミングモードだと素晴らしいアイデアを書き込んで一位になるようなケースも多い。以下の画像は、小学校5〜6年生の子達に「磁力の性質」についての授業を行った時の様子だ。

ブレーンストーミングを用いた授業

Kahootには自分が作った教材をオープンスペースに公開できる機能があり、世界中の教育者たちが無料教材を共有している。ただ、内容としては圧倒的に幼稚園児〜小学生低学年向けの内容が多く、小学校高学年以上の知的好奇心を満たすようなコンテンツは見つからない。

Kahootのマーケットプレース

これからやりたいこと

このような試行錯誤を3年間ほどやってきて、充実感を感じつつも、やはり限界を感じた面もあった。それは、Kahootというプラットフォームの制約上、ゲームを通して開発できる能力に限界があるということだ。

繰り返すが、私の夢は「未来のイーロン・マスクを大量生産する」ことだ。

トランプ政権下では、公教育のフリー・スクール化が進む方針が打ち出されている。日本では、都心に住んでいる多くの子どもたちが学校+塾のダブルスクール状態で、塾がある種の「フリースクール」のような役割を果たしていると言えるが、「受験産業」をベースにしているがゆえの制約も多い。どうしても偏差値に縛られ、教育者が思ったような教育による成果測定を独自に行うことができない。その結果、結局のところ偏差値を上げられないような内容を教えている塾は廃業に追い込まれる。

現代の受験カリキュラムは、現代社会の求める人材像と明らかにミスマッチしている。現代社会は複雑性を増しており、単純な「線形思考」では解決できない問題ばかりである。起業家、総理大臣、研究者などをシステム的に輩出するには、構想力や経営能力、交渉力、そして不確実性に対処する柔軟な思考力を養成する必要がある。こうした知能は、戦後日本のエリート教育から意図的に排除されてきたものだと思われるが、日本が独立国家として再び世界のメイン・プレーヤーとなるためには、教育を通じてこうした知能を戦略的に鍛えていくことが重要だ。

ここで、AIが普及した未来社会において社会に貢献できる人材像を要素分解してみたい。以下が私が考える、「国語算数理科社会」への代替案である。

  1. 不確実性への対処能力

  2. 主体的な行動力

  3. 交渉能力

  4. 戦略的構想力

  5. 資源管理能力(人・モノ・カネ)

  6. コミュニケーションを通じた協調能力

  7. 歴史への理解(文学史、科学史、思想史を含む)

特にこの中で重視したいのは、1番目に掲げた「不確実性への対処能力」だ。イーロン・マスクを特徴づける言葉に「オール・イン」という言葉があるが、このような「賭博師」としての要素こそ、大きな成功を手にする人の特徴だと言える。もちろん、計算なしでギャンブルすることは99%の確率で破滅を招くのだが、正しくリスクを計算した上で「賭ける」ことができる人間こそ、今の日本のエリート教育に欠けている要素に違いない。自分の利益のために賭博する人間が増えても社会は得しないが、イーロン・マスクのように、全人類への貢献という理念のもとに壮大なギャンブルをする人間こそ生み出す必要がある。

こち亀の名言

ちなみに私の好きな怪しげなSF?本『ウィングメーカー』の中では、タイムマシンを操作する能力を持つ人間は「流動知性」という独自の知性を持っているとされている。これは、限りなく変化変転する状況に流動的に対処できる能力を指す言葉なのだが、まさにこの「流動知性」こそ、これからの時代のエリートに必要とされる能力だろう。

ゲームが果たす役割

この「流動知性」は、優れた「ゲーム」によって培うことができるのではないか、と筆者は考えている。

ホイジンガが言ったように、人間の文化の本質は「遊び」であり、イーロン・マスクの愛読書が『銀河ヒッチハイク・ガイド』であることからも、彼の企業精神の根幹に「遊び」があることがよくわかる。

とは言っても、ここでいう「ゲーム」とは、日本人が通常想像するような「スマホゲーム」の類ではない。実は、お国柄によって「ゲーム」と言って思い浮かべるジャンルは異なる。どの国も1位はパズルゲームなのだが、日本では2位がRPG、3位シミュレーション、4位バトルロワイヤル、5位アドベンチャーとなっている一方で、米国はパズルに次いでストラテジー、カジノ、シューター、アーケード、英国では2位以降がアーケード、スポーツ、シューター、ストラテジーという結果となる。

日本でRPGが盛んなのは、他者への共感を重んじる日本文化を考えると納得できるが、アメリカやイギリスで上位5位にランクインしている「ストラテジー」という分野こそが、筆者が注目している「ゲーム」に該当する。

ここで、ストラテジー要素が一際高いゲームとして、「ボードゲーム」が浮かび上がる。「ボードゲーム」と聞くと、「将棋」や「チェス」、「麻雀」、はたまた「人生ゲーム」、「カタン」や「モノポリー」といったものを思い浮かべる人がいるだろう。将棋やチェスは伝統的なゲームとして素晴らしいのだが、「数歩先を読む」といった予測能力は鍛えられたとしても、それ以外の構想力や資源管理能力、あるいは交渉力といった複合的なスキルを身につけるにはやや物足りない感じがする。

ここで、ボードゲームの面白さを徹底的に解剖した名著である「ゲームメカニクス大全」を参照し、これからの時代の「教育」と「ゲーム」を結びつける方途を模索したい。

章立てをざっくり紹介すると以下の通り。優れたボードゲームは以下の構成要素によって作られる。先ほど紹介した、未来に求められる人材像と驚くほど一致している。

  1. Ch.1 ゲームの構造

  2. Ch.2 ターンオーダーとターン構造

  3. Ch.3 アクション

  4. Ch.4 解決

  5. Ch.5 ゲーム終了と勝利

  6. Ch.6 不確実性:ベットとブラフ

  7. Ch.7 エコノミー:交換、トレード

  8. Ch.8 オークション

  9. Ch.9 ワーカープレイスメント

  10. Ch.10 移動

  11. Ch.11 エリアコントロール

  12. Ch.12 セットコレクション

  13. Ch.13 カードメカニクス

こういう要素を組み合わせれば、多様な文脈で、多様なスキルセットの開発が可能なゲームを無限に生み出すことができるはずだ。ロブロックススタジオのような、小学生からでも自分のゲームを構築できるプラットフォームはあるのだが、これらはどちらかというとプログラミングスキル的な「技術力」にフォーカスしていて、上記で挙げたよな人材スキル、あるいはもっと根源的な「ゲームルールの構築」の文系的な能力の獲得につながらないような感覚がある。

例えば、筆者が二年前に経済の勉強にハマって見つけたゲームに以下のようなものがある。

マクロ経済を勉強するのと並行してこういうゲームに取り組み、しっかり成果測定して実践的なスキルとして競争して鍛えられるようなコミュニティがあったら日本人の経済リテラシーは爆上がりするはずだ。少なくとも日銀の植田総裁への不必要なバッシングは減るし、MMT理論のようなものを盲目的に支持することは無くなるだろう。あるいは、もっと革新的な経済理論が生まれてくるかもしれない。

他にも、イーロン・マスク一押しの「Kerbal Space Program」というシミュレーションゲームがある。このゲームは本格的な航空力学に基づいた宇宙船設計シミュレーションで、研究者がプレーしても普通に勉強になるらしい。さらには、イーロンはこのゲームの開発者に「SpaceXのロケットを効率化するなんかいいアイデアない?」と聞くくらいの仲らしい。私が以前教えた中国からの優秀な留学生(当時高校生)は、このゲームをプレーして以来航空エンジニアを志すようになって東京理科大に合格した。

ポイントは、こういうゲームを「一部のマニアックなギークがプレーする、辺境の地の時間潰し」にとどめておくのではなく、しっかりとした成果測定を持ち込み、次世代エリート教育の中心に持ってくることだ。そのためには、時間的余裕があり、頭が柔らかく、常識を疑う創造力に溢れている「小学生」にアプローチし、コミュニティを作り上げる必要がある。

現段階で思い描いている理想の教育像

筆者が思い描いている理想の教育像、それは「実験場としての学校」だ。この学校では、すべての授業が「ボードゲーム」であり、教科書は「ルールブック」である。

参加も脱退も自由、生徒自身が「実験的な教育」を楽しみ、自らが主体となって教育プログラム、ここでいうと「ゲーム」の作成にまずはプレイヤーとして参加する。優れたゲームをプレーすることは、自らゲームを設計する創造力につながる。教材は生徒からのフィードバックを受けて常にアップデートされる。

生徒が高学年になるにつれて、生徒は自らのゲームを生み出し、それを教育の成果物としてアウトプットしていく。このビジョンはKahootのようなプラットフォームにも近いが、より自由度の高く、そしてもう一段社会的貢献度の高い内容に方向付けされているべきだ。

最後に

まだまだ具体的な方向性は固まっていないのだが、現時点で考えていることをとりあえずまとめてみた。理念に共感していただける方、あるいはこういう分野で何か知見を持っている方は、ぜひコメント欄などで意見を教えてほしい。

一緒に日本の教育を盛り上げていきましょう!

いいなと思ったら応援しよう!