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ただの石ころをどれだけ正視できる? 不安な気持ちを眺める冒険

シンプルでカンタンなことは、
時に強力な方法になる!
と思う話を聞きました。

道端の小さな石ころ。
誰も気に留めない、地味な存在です。
その石ころを眺めても、
特に何も起きません。

その、たいして何も感じない
石を見るような気持ちで

自分の内なる不安や恐怖に目を向けること。
ただ眺めること。

強い不安や恐怖が立ちはだかっても、
逃げずに、ジャッジせずに、

ただただ、その気持ちを
遠くの風景を見るように
あるいは石ころを見るように
眺める。

感情に飲まれずに
ただ眺めることができると
不安が薄れて
気持ちの透明感が増してくるのですね。

石、拾ってみました。
確かに眺めていても、
特に感慨はありません。
ふーん。。。って感じ。

でも、この
何の感慨もなし、がミソ。

実際、不安な気持ちが出た時
その気持ちを
ただ嫌な気持ちと思わず
「石を見るように」と思い出して
ただ眺めました。

ぐらぐらしちゃいました。
不安は不安なんだよね。。

でも、ちょっとずつ、
あれ?
気持ちが、ちょっとずつ
何というのか、静かになって

なんか、
広い景色のところに出たみたいになって。

このプロセスを繰り返すことで、
不安な気持ちが少しずつ薄れ、
心に澄み渡る静寂が生まれます、って
ホントらしいです。

相手が何であれ、
自分から積極的に関わること。

自分の気持ちを
「ただ見ることにしよう」なんて
小さい決定、積極性なんだけど

でも、決めた。自分で。

不安や恐怖はこうして
自分の全体の中に取り込まれて
不思議なことに
それは自分の「力」になってくる。

実際に小さな、
なるべく何の変哲もない石ころを
傍らに置いて

時どき
不安な気持ちを
ジャッジしないでただ観る練習。

小さな石ころに見る静けさや安らぎ
不安や恐怖も、
いつのまにか
ふーん、そうなんだね、って。

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